「文明病」から身を守る生き方

2021年3月6日

最高の体調 鈴木祐 CrossMedia Publishing

「体が資本」って、よく言いますよね。ここでの「資本」とは、何か活動を行うための元手や設備のことでしょう。例えば、しっかり仕事をするためには、丈夫な身体を保ちましょうということです。

前回の、『武器としての「資本論」』の紹介記事でも触れましたが、マルクスの『資本論』において「資本」は、労働による商品の生産によって「剰余価値」を生み出し、自己増殖する「価値」の運動体といったものでした。

資本主義社会では、労働と再生産を繰り返すことで、しつこいくらいに剰余価値を生み出し、社会を維持・成長させます。

しかし、日本を含め、とくに「資本主義」が透徹している先進工業国において、その資本主義によって我々の「資本」である「身体」が危うき目をみています。

資本主義社会は、人間の「魂、感性、センス」といった精神的な面を蝕むのみならず、まさに人間活動の「資本」である「身体」でさえも蝕んでいるのです。

今回ご紹介する本は、そんな危機に瀕した我々の「身体」をレスキューするために必読の一冊です。“はじめに”で著者はこの本についてこう述べます。

まずは現代人の抱える問題の「共通項」をあぶりだし、そのうえで、すべてを柔軟に解決する汎用的なフレームワークを提供するのが最終的なゴールです。

鬱病、肥満、散漫な集中力、慢性疲労、モチベーションの低下、不眠、弱い意志力など、一見バラバラのように見える問題も、根っこまで下りてみれば実は同じもの。すべては一本の線でつながっています。そして、その線の正体を暴くカギが、「文明病」という考え方なのです。(P5)

資本主義社会がもたらす、いわば「文明病」ともいうべきものは、生活習慣病をはじめ、疲労、肥満、不眠、老化から不安といった気分的なことまで幅広く、現代に生きる人間の大きな問題となっています。

この本では、そういった文明病から脱却し、人間本来の「最高の体調」を取り戻すための方法が数多く述べられています。

著者は10万本の科学論文を読破し、600人を超える学者や専門医へのインタビューを重ね、その知見をもとにヘルスケアをテーマとした書籍や雑誌の執筆を手掛けています。

この本を読んだだけでも、現代社会の問題を確実にとらえた上で、それに対処するための実践的な方法論を提案してくれる、すごい人だなーと感じます。

資本主義社会は、好む好まないにかかわらず、しばらく続きそうです。資本主義の良い面は享受しつつ、自分の身体は自分でしっかり守って、楽しく活動し、仕事し、暮らしていけるようにしたいものです。

そして、農耕がもたらした変化のなかでも、もっとも現代人への影響が大きいのが「時間感覚の変化」です。(P70)

農耕が始まったのは、1万年ほど前でしたでしょうか。動物やヒトの歴史からしたらごく最近です。それまでは狩猟・採集による食物確保が中心であり、不安定な食糧自給でした。

そこに農耕が始まりました。当初は生産量も少なく、天候や災害、病害の影響を受け不安定な収穫だったかもしれません。

しかし、次第に文明や科学が進歩するに伴って、ほぼ安定した収穫が得られるようになっています。

人間にとって安定的な食物供給を可能とした農耕は、また同時に「時間感覚の変化」をもたらしたということです。

たしかに、種を植えてからしばらく待って、おそらくこのくらい後に収穫できるだろうという、「遠い未来」のことを考えるようになったと思います。

同時に、天候はどうなるだろう、災害は起きないだろうか、去年と比べて収穫はどうだろうか、といった未来に対する「不安」が、それまでよりも色濃く感じるようになったのです。

「不安」は精神面のみならず、様々な身体的不調をもたらします。著者は、まず「炎症」と「不安」が現代人にとって重要な問題になっていると述べます。

まず前提として、腸内細菌はおもに食物繊維を食べて繁殖します。

本来のエネルギー源は炭水化物ですが、ブドウ糖の大半は小腸で吸収されてしまうため、腸内細菌が大量に住む大腸まではほとんど届きません。そこで彼らは食物繊維をエサにしているのです。(P84)

和食に使われる食材には食物繊維が豊富なケースが多く、和風の食事を心がけていれば、自然と摂取量も増えて行きます。(P97)

「炎症」の問題を解決するためにガイドラインとして、「腸」「環境」「ストレス」への対応が紹介されています。

「腸」は栄養を取り込むのみならず、常在する「腸内細菌」は外的と戦い、我々の身体を有害な細菌などから守っています。

そんな腸内細菌の大好物が食物繊維なわけですが、現代人の食物繊維摂取量は減少し続けているのが現状です。

たしかに、ファーストフードやコンビニで手に入るメニューは歯ごたえの無いものが多く、食物繊維は別にサプリメントとして摂るか、それが豊富な食材を意識して摂る必要があります。

ほかにも、腸内細菌を大量に死滅させる抗生物質をむやみに使わない、発酵食品を摂るなど、実践ガイドが述べられています。

これらの数値は自然の接触時間とほぼ連動しており、公園に行けばいくほど心と体は改善していきます。エビデンスの質はさほど高くありませんが、当面は「最低でも週1で30分は公園に行く」のをベースラインにしつつ、少しずつ接触時間を増やしていくのがいいでしょう。(P123)

つぎは「環境」についてです。公園、ですか。住宅地の中に、おそらく避難所を兼ねて点在する公園は、場所にもよりますが、あまり「自然」というものも少ない気がします。むしろ遊具などがあり、子どもの遊び場といったところでしょうか。

郊外や河川敷などにある比較的大きな公園であれば、林や小川などあるかもしれません。私の住むような「地方都市」であれば、少し移動すると山や川などの自然にあふれた場所がありますので、そういったところに気分転換に行くのもいいと思います。

日々建物の中にずっと閉じこもって仕事をしていると、休日に外出した時の日光がきつく感じることもあります。とくに夏場にエアコンの利いた中で働いていると、土日に(エアコン嫌いな妻のいる)家で過ごしたり、子どもにせがまれて公園に遊びにいったりするのはしんどいです。

でも、そういった身体への適度な刺激や環境の変化も、体調維持にはいいのでしょう。

超正常刺激は、現代社会のいたるところに見られます。

たとえばジャンクフードもそのひとつで、糖と脂肪が絶妙に配合されたハンバーガーやスナック菓子は、私たちの舌に超正常刺激をあたえます。糖と脂肪はどちらも古代人が生き延びるために欠かせないエネルギー源だったため、人類の脳はビタミンやミネラルよりもカロリーに反応するように進化してきたからです。(P167)

私も、スナック菓子は好きです。塩味や辛い物など刺激の強い食べ物を求めがちです。また、ハンバーガーなどのファーストフードは手軽で効率よくカロリーを摂取できますが、ここで述べられているように、我々人間の身体にとっては、過剰なエネルギーです。

もともと長いこと狩猟・採集に頼っていた人間は、つねに飢餓の恐怖と隣り合わせでした。それが農耕の出現と発達によって解決されました。でもそれはたった1万年前からです。

人間の身体のほうが、それに合わせて1万年で進化するなんてことはありません。いまだに飢餓対応の身体となっています。

ホルモンの勉強をすると、血糖を上げるホルモンの品ぞろえが良いことに気づきます。糖質コルチコイド、グルカゴン、成長ホルモンなどなど。それに比べて、血糖を下げる(取り込む)ホルモンはインスリンの唯一つです。

身体の老廃物を尿として排泄する腎臓でも、「絶対に糖は取り逃がさない!」という工夫をして、摂取した糖を無駄にしないようにしています。

いかに人間が太古から、どうにかして脳をはじめ身体のエネルギー源である大事な大事な「糖」を、一定に維持しようとしてきたかが分かります。

そんな対応の身体ですから、現今の高カロリーな食事、甘い菓子や飲料なんて食らわせられたときにはたまったもんじゃないでしょう。

多大なる高カロリー食の攻撃にさらされた我々の身体は、やがて敗れ、糖尿病や脂質代謝異常症を来すのです。かわいそうな身体。

スマホが現代人の集中力を削ぎ、SNSがコミュニケーションの質を下げたのはすでに述べたとおり。インターネットやスマホは私たちの生産性を高めたいっぽうで、弊害ももたらしています。(P168)

スマホをはじめとする文明の利器も、イノベーションをこれでもかと積み重ねた資本主義のつくり出した製品です。

これらの機器により、我々の生活は便利になりました。しかし、逆にこういった機器に我々人間のほうが尻を叩かれて生活しているような感じもあります。「ストレス」の元となるのです。

頻回にメールチェックをしたり、なにか新しいニュースはないかとネットを見たり。『スマホ脳』の紹介記事でも述べましたが、スマホが近くに、視界にあるだけでも我々は注意を払い、緊張を強いられています。そして、スマホの使用時間が長い人ほど、「不安」が強くなるということです。

スマホによりSNSといったツールを使用してのコミュニケーションが増えたかもしれません。しかし、コミュニケーションは量より質ではないでしょうか(私はそれ以前に絶対的に量が乏しいかもしれませんが)。

そんなにいつもいつも繋がっていなくても、むしろ繋がっていないからこその、相手に対する思いというのも、いいのではないでしょうか。(「直心の交わり」の記事もご参照ください)

全てのデータを分析した研究チームは“ある感情”を体験した回数が多い者ほど、心理的な不安や体内の炎症レベルが低いという事実に気づきました。その感情が、「畏敬」です。(P220)

神社の巨木、高山の頂(いただき)の白、ハッとする夕日。自然はときどき我々にその大いなる姿を見せてくれます。その時、我々はただただ畏敬の念を感じるしかありません。

畏敬の念を感じるのは自然の大いなる姿だけではありません。ミクロな目で見ても、精巧な生体メカニズムや、はたまた分子レベルの細胞内シグナル伝達経路にさえも、「うまくいってるなー」とポカンと口を開けるしかないこともあります。

また、人工物であっても大きな神社や古いお寺などの建造物、絵画や仏像など素晴らしい芸術作品に触れることによっても、畏敬の念を感じることがあります。

そして、この「畏敬」が文明病の大きな要素である「不安」や「炎症」を抑えるのに有用であるとのことです。息の長い存在と一体になることで、自分の小ささを知り、文明に蝕まれたせっかちな時間感覚が和らぐのです。

つまり、マインドフルネスとは心を無にするような困難に挑むことではなく、たんなるリラックスや幸福感の言い換えでもなく、スピリチュアルや宗教的な至高体験でもない、ごく日常的な意識のあり方です。(P232)

「瞑想」や「禅」、あるいは「マインドフルネス」といったツールは、修業のように感じられ、あたかもそれを長年続けていると、まったく異なる精神の境地に至ることができるように考えてしまいます。

しかしそうではなく、これは文明病によって失われた、人間本来の意識状態の一つといってもいいのではないでしょうか。まあ、禅僧くらいに日々「禅」を生き方としていると、まったく違った精神境地なのかもしませんが。

むしろ、普段のマインドレスな状態のほうが、スマホやら過剰刺激食物やら情報やらに対応するためにしょうがなく陥っている異常な意識状態なのです。

さあ、ときどき「マインドフルネス」でもやってみて。人間本来の意識状態に戻しましょう。マインドフルネスについては、以前の記事もご参照ください。

精神集中して新たな解法を求めようとか、困難を乗り切ろうとかいう実利的な考えは置いておいて、まあなにか良いことがあればいいかくらいの気持ちで行うのがいいと思います。

というよりは、この文明病の社会で、自分の心=身体を守るために、大切なツールの一つかと思います。

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ここでご紹介した以外にも、実践ガイド(実際にどのような行動をとると良いか)を含めて、様々な考察が述べられています。

考えてみると、自然に囲まれた生活であったり、食物繊維の多い日本食(などスローフード)であったり、これまでは曲がりなりにも「最高の体調」を保つことができるような生活が営まれてきたのかもしれません。

文明・科学の発達は生活を便利にする一方でそういった文化を低減し、一方で文明病の蔓延を進めています。

資本主義の賜物である食料供給や病気の治療法により、たしかに人生は延びました。しかし、ただ人生を長く延ばすだけではなく、健康に楽しく人生を送ることが大切です。

この本は、その大きな手助けになります!

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