仕事を俯瞰する

給食のおにいさん 遠藤彩見 幻冬舎文庫

給食の思い出というと・・・、私は食べるのが遅いほうだったので、焦って食べていた記憶や、あまり肉が得意ではなかった記憶があります。

牛乳を飲んでいるときに笑わせられるといった定番の悩みごとなどもありますが、一般的に給食は学校の楽しみの一つでもありますね。

うちにも小学生の子供がいて、給食のお世話になっています。一食200円ちょっとくらいで栄養バランスや味はもちろん、見た目にもおいしそうな給食をいただいています。

ときどき余ったおかずを追加でもらうこともあるようで、月々の給食費引き落としを見ると、本当に一食分の給食費でいいんですか? と言いたくなるくらいです。

一方で、今のように家から離れた職場で半ば単身赴任のような生活をしていると、食事を自分で工面しなければならない場面があります。

そうなると、どうしても外食で済ませたりやスーパーで買った出来合いのもので済ませたりしがちです。

まあ、栄養の面や食費も考えて買うようにしていますし、ときには自炊して鍋ものを作ったりレンチン料理を作ったりします。

そんな状況で考えると給食というのは、費用面でも栄養面でも優れた有難い食事なのだと実感しますね。

そういえば、私の通った小学校も当時は給食室というのがあり、いわゆる給食のおばちゃんが大きな釜や鍋、しゃもじなどで大量の給食を調理していました。

この本を読むと、調理はもちろん栄養のことや、繊細な小学生にいかに食べてもらうかといった努力など、現場の状況がよく分かります。

給食のおばちゃんたちの愛嬌ある笑顔の奥には、技術はもちろん、時間との戦い、安全への配慮などがあったのですね。

この物語の主人公は、コンクールで優勝するほどの腕をもちながら、給食調理員として働くことになった料理人です。

彼が給食の世界で変わっていく姿、それでいて料理人としての本来の姿を見つけ出し、成長していく姿が描かれています。

はたして料理人としての本来の姿勢とは。それは料理人のみならず、あらゆる職業につながる職人としての姿勢があるように感じます。そんなことも考えさせてくれた一冊でした。

これまでの自分に足りなかったもの。高い技術を、費やした努力を、認めてもらうことだけに必死で見えなくなっていたものが、今なら見える。

—くじっていうのは、神様がくれるいいことへの入り口なんだよ。欲しいものとは全然違うように見えても、実はちゃんと繋がってる。(P87)

自分が知っている範囲のものは求めることができます。想像できる姿を目標とすることで、そこに至るにはどうすればよいかが分かります。

どのような練習をすればよいか、何を得ればよいか。目の前に選択肢が並んでいれば、そのどれかから選べばよいのです。

しかし、自分が知らない、認識がない、あるいは専門外のものについては考えることができません。選択肢にないことについては、どうしても考えが及びません。

こういったものに巡り会うことができるのはどういった場合でしょうか。自分が持ち合わせる知識や芋づるだけを頼りに探しても、どうしても知識や芋づるのおもむくところにしかたどり着けません。

そんなときに役立つ(もしかしてすぐには役立たないかもしれませんが)のが、“くじ引き”なのだと思います。

あるいはくじ引きの要素、つまり偶然性・意外性を含む出来事です。世の中、たいていのことは予定通り、思った通りに進みますが、偶発的な出来事も起こります。

もちろん偶発的な出来事でさえも、予測して起こったときに対応できるように、とくに安全面では準備しておく必要があります。それでも思いもよらない人生の出来事はあります。

ふと出会った人物が自分の人生を方向づけてくれたり、ふと出会った一冊の本が自分の考え方を大きく変えてくれたりします。

この物語の主人公はこれまで料理人として働き、数々のコンクールで受賞もしてきました。努力を費やし高い技術を身に付けることによって、人生を進めてきました。

料理人としての人生においては、それも一つの生き方でしょう。でも、技術を高めて高度な料理を提供し賞賛されることだけが料理人の生き方ではありません。

料理はそもそも、食物を美味しく食べるための作業です。そして、料理人は他人のためにその仕事をしてくださるありがたい職業です。

私のようになかなか料理の手が動かない人間もいます。そんなとき、飲食店でお金を払えばおいしい料理を提供していただけることは、とてもありがたいことです。

料理人は、料理を通して世の中に貢献しています。そして、その貢献のしかたにもいくつもの道があるでしょう。

技術を磨いて高度な料理を究めるもよし、たくさんの人においしい料理を提供するもよし、そしてこの物語のように、未来ある子供たちに考えて料理を提供する特殊な状況もあります。

くじ引きのような偶発性を楽しむ手段や、あるいは普段と異なる行動をとってみることにより、未知の領域へ入ってみようとすることが、ときに自分の仕事の広がりを感じさせてくれます。

そういったことが、これまでの自分がいかに限られた見方で生き方を考えていたかを実感させてくれるのだと思います。

主人公も、今回はこれまでの経歴からみるとハズレとも思えるくじを引いたと感じるのかもしれません。

しかし、その経験がきっと料理人としての裾野を広げ、頂点を高めるのに役立つに違いありません。

料理人に限らずどんな職業でも、職場を変えることや多職種間のコミュニケーション、様々なことに好奇心をもつ姿勢が大切です。

そういったことが時に、今現在の自分の仕事について俯瞰的に観ることを可能にして、新たな道を見つけることに役立つかもしれません。

今あるものに、さらに手を掛けて美味しくする。美味しく味わおうという意志。それが料理なのだと。

—人生においても、シェフでいないとね。生でかじってダメだったら、知恵を絞って料理するんだよ。(P267)

そのままでも食べられる食物があります。でもどうすればもっと美味しくなるか、もっと食べやすくなるか。こういった考えは医療でも大切な“最善を尽くす”という考え方です。

“尽くす”と考え出せばキリがないもので、負担が増えることもあります。それでも考えられる範囲で最善を尽くすことができるのが、マニュアル業務と違ったメリットでもあります。

とは言っても、これはあらゆる職業に共通する心がけなのではないかと思います。むしろ職業のみならず、人間が生きることつまり人生においても大切な気持ちなのではないでしょうか。

いかに良く生きるか。人間はこれを目指すのが生きる目的の一つだと思います。そういった中で、この“シェフ”の思想ですね。今あるものを最大限に活かし、手を加え、世に提供するという姿勢です。

今自分は何ができるのか、何を持っているのか、それをどのように自分の人生に活かすことができるかと考えるわけです。

手持ちのものを活かすためには、見る目や知識が必要です。自分の性格や能力、長所・短所などを見極め、知識を蓄える必要があります。

手を加えるためには技術が必要です。自分は自分の人生や世の中に対してどのように手を加えることができるのか。これは職業やその中での専門的技術になるでしょう。

そして、提供するためには心が必要。お客さんや患者さん、クライアントなど、自分の仕事で相手にする人間や自然に対する思い入れといったところでしょうか。

そのためには、やはり、自分の立場でどのように自分や他人の人生を“料理”できるか、という意識が大切です。

自分の知識や技術を高めることとともに他者を思う気持ち、つまり「人を思う心」「人間心理の洞察」ですね。これらを高めることですね。

これは様々な人間を相手にすることで育まれるものでありますし、読書もその一助になることは、言うまでもありません。

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大学病院で世界の最先端に立つような高度な医療をこなし、学会や組織で賞をもらう。医者としてそういった活躍もいいかもしれません。

一方で、地域の人々の病気や困ったことに対応し、多職種からなる包括的地域ケアシステムの一端として協力しながら患者さんの人生を支えていく。そういう活躍もあります。

このたびの転勤で前者(それほど活躍していませんが)から後者(それほど活躍していませんが)に変わったような気がするような、しないような自らの医者としての生き方です。

そういった様々な生き方、働き方があることは以前から存じていましたが、この本を読んで、改めて自分の仕事観に良い効果をいただいたと思います。

続編もあるようで、読み進めるのが楽しみな作品です。

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