直心の交わり

「直心の交わり」という言葉がある。茶の湯を大成させた千利休の言葉らしい。

字面からは直接会って交流するような印象を受けるが、そうではない。時間や場所を超えて、相手を想い、相手の考えを汲むことだそうだ。

茶の湯というと、「一期一会」という言葉も有名である。そのひと時の出会いを最大限に尊重する言葉である。

その出会いの後にも、相手のことを想い続けることにより、かつての「一期一会」を大切にするということが、「直心の交わり」であろうか。

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「私淑」という言葉もある。こちらも時間や空間を超えた交わりであるが、相手を自分の先生や師匠と考えて師事するという意味合いが強い。

普通は師事する相手というと、職場や教室、道場などで会うことのできる人物のことが普通である。

「私淑」の場合はそうとは限らず、ベストセラー本の著者やスポーツ選手など、とうてい会うことのできない人物や、今は存在しない歴史上の人物も対象になる。

様々なメディアや読書などにより、かの人の行動や考え方、教えをよく勉強し、その下で修業しているように日々を過ごすのである。

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今、新型コロナウイルス感染症の影響で、テレワークやバーチャルミーティングが普及してきている。モニター上の相手の顔をみることで、表情などといったノンバーバルコミュニケーションも、幾分可能であろう。

通信機器の発達により、文字や絵(手紙)→声、言葉(電話)→リアルタイムな文字(メール)→リアルタイムな声、言葉、表情(バーチャルミーティング)と、伝えられる情報も増えてきたし、リアルタイムになってきた。

今後さらに発展すれば、ホログラムか何かで実際に数人が同席しているようにしてミーティングすることが可能かもしれない。

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もちろん相手の表情や身振り、雰囲気などを感じてコミュニケーションをとることは、非常に重要である。

しかし、見えないからこそ、相手のことに思いめぐらせ、その言動を振り返るということもあるのではないか。

かえって目の前にいると、そこで話をしたことしか残らない気もする。

まして、師匠の教えや考えを思いめぐらすことには、決して顔が見える必要はない。むしろ、顔を見合わせて面と向かっては、そう落ち着いて考えることもできないこともあるだろう。

外国に行くと祖国の良さが分かるように、離れてみることによって、メタな、客観的な見方ができる。

人と人とがおいそれと会えない今だからこそ、故郷の親や遠くにいる子ども、友人、あるいは師や弟子のことに思いを馳せてみるのも、いいのかもしれない。

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