人生の”アーティスト”となるための指南

2021年2月13日

ずっとやりたかったこと、をやりなさい。(The Artist‘s Way) ジュリア・キャメロン、菅靖彦 訳

どうも、邦題をみると、ありきたりな自己啓発本かと思ってしまいます。でも、この本の真意は原題にあると思います。『The Artist’s Way』です。アーティストの道、アーティストとしての生き方、でしょうか。

アーティストというと、絵を描いたり音楽を演奏したりする芸術家が思い浮かんでしまいます。アートは美や感情、見えないものを現物化するわざです。風景の美しさや人情の機微を、絵や彫刻、あるいは音楽として表すことです。

でもここではアートとは、理想や希望を現実化する、現物化する、実現する手段を表していると思います。理想や希望、知識や技術を現実に応用しうまく用いるわざです。このあたりは『「宇宙の音楽」を聴く』の紹介記事でも述べたかと思います。

仕事でもアートが生かされています顧客やの理想、希望に対して知識や技術をもって叶えること。患者さんの訴えから知識や技術をもって診断を下し、治療につなげること。それらが、アートです。

同様に、自分の理想や希望をうまく自分の生き方に組み込み、叶えることもまた、アートと言えましょう。

そういった意味で、人生のアーティストとは自分のやりたいことを行い、理想や希望に沿った生き方ができる人と言えます。

それでは、自分の生き方にアートを導入するためにはどうすればいいのか。その方法論がこの本には書かれていると思います。

夢をかなえる。これはつまり自己実現でしょう。もちろん、自分の理想や希望をかなえ、かつ周囲ともうまくいくことです。

そのためにこの本は、自分をみつめることと周囲と自分の関係をみつめることの二つに、大きく分けて述べています。

全体として、12週のトレーニングのような形で書かれています。なかなか予定通りの進行は難しいですが、ときどき思い出したようにこの本に触れ、何をがんばるか確認しながら過ごすのもいいかと思います。

モーニング・ページとはなんだろう? ひと言でいうなら、三ページほどの手書きの文章であり、意識の流れをありのままにつづったものだ。

・・・もっとくだけて言い方をするなら、それは「脳の排水」と呼んでもいいかもしれない。脳の中を掃除することが目的だからである。

(P44-45)

著者はアートを成し得るための方法の一つとして、このモーニング・ページを挙げています。

モーニング・ページとは、朝に、頭に思い浮かぶことをただひたすら書いていく作業です。思い浮かばないなら「思い浮かばない」などと書いて、とにかくどんどん意識に登ってくることを書いていきます。

私もやってみました。なかなか難しいです。寝て起きてすぐ、あるいは職場に着いてやおら書き出そうと思うのですが、なかなか筆が進みません。まとまりのあること、しっかりした文を書こうと思ってしまうのがいけないと思います。

著者によると、この作業は「脳の排水」ということです。なるほど、排水は必要です。老廃物が溜まってはどんな機械も施設もその働きを発揮できません。

脳そのものも、物質的な老廃物の排泄には、睡眠が大きな役割を演じているという話もあります。一方、脳には非・物質的な、精神的・心理的な老廃物もあるのではないかと思います。

ストレスの一部もそうかもしれませんし、心の奥底、潜在意識の領域に溜まっているドロドロしたなにかもあるかもしれません。

そういった老廃物が溜まっていては、脳のパフォーマンスが落ちるでしょうし、潜在意識に蓄えられている記憶をうまく活用できないと思います。

言葉に表すことが、脳から排水することとなります。「言葉」はまさに脳と外界のアクセスキーであります。アウトプットにしても、インプットにしても、「言葉」は大きな役割を果たしています。

(このあたりは『「伝える」だけではない、「言葉」にすることの効果』の記事もご参照ください)

うまく「脳の排水」を行うことによって、自分の本当の気持ちを表しやすくなったり、仕事や人間関係で感じる直観のようなものが、うまく働いたりするのではないかと思います。

怒りは古い人生の終わりを告げる旋風であり、新しい人生へと駆り立てる燃料だ。

怠惰、無関心、絶望は敵だが、怒りはそうではない。怒りは友だちである。・・・それは、私たちが裏切られたときや自分自身を裏切ったとき、かならず知らせてくれる。そして、自分の興味に従って行動するときであることを告げてくれる。

怒り自体は行動ではない。行動への招待である。

(P128)

私は、怒りはまったくもって“ためにならない“ものだと思っていました。怒ると、相手に対してもダメージを与えますし、なにより自分もダメージをこうむります。

そんなことは極力しないで、怒りを用いずに生きていくことができればいいのではないかと考えていました。

よく読んでいた仏教関係の本も、「怒り」は毒であり良くないものと強調されていたと思います。だから、できるだけ怒りを用いずに過ごしていければと思っています。

『怒らない』の記事もご参照ください)

しかし最近、「怒り」は使い方によっては、相手と自分にダメージはあるかもしれないけれど、その後に両者とも良い方向に働くこともあるのではないか、と感じるようになってきました。

たしかに、怒りの感情は極力使いたくないものですが、相手に自分が伝えたいメッセージを届けるときに、ちょっとした推進剤というか燃料になってくれると思います。

そのときの気遣いとして、決して感情にまかせて怒らないこと、そしてしっかりフォローすることです。また、怒るとしても、そういう相手へのメリットを考えて、怒ることが大事だと思います。

また、ここで述べられているように、自分が何かに怒りを感じた時、それが自分の希望や興味から外れていることを、知らせてくれているのかもしれません。

そういった意味でも、ちょっと「怒り」という感情を大切に見つめてみて、なぜこの感情が湧き出てきたのか、と考える様にしようかと思います。

まあ、自分としてはこれまであまり人を怒ったことがないので、怒り方についてはまだまだ未熟です。積極的に怒ろうとも思いませんが、上手に怒ることができればと思います。

怒りを燃料に、相手となあなあの関係でいる状態を打破し、さらに良い関係に昇ることができれば。

そういった意味でも、「怒り」という感情は、ほかの嫌悪、怠惰、無関心や絶望などよりも、うまく付き合って使えばはるかに発展性のある、まさしく“友だち”と考えてもいいのかもしれませんね。

・・・アーティストとしての自分はないがしろにして、「いい人」の役割をたんたんとこなすことにいそしむのだ。

本来の自分を育もうとせず、一つのところに停滞することには、大きな代償が伴う。

・・・このように、創造性を回復する道の途上にいる多くの人たちは、善人を演じることによって自分自身を妨害するケースがひじょうに多い。

(P192-193)

自分の内にある理想や希望を考えることなく、周囲の要求や期待に応えてばかりいると、たしかに「いい人」であることはできるでしょう。

でも、ある程度周囲との協調性を保っていれば、人間は個人の理想や希望に基づいて、それを叶えようとして生きていくのが一番だと思います。

それこそがアートであり、動物やロボットとは異なる人間の生き方ではないかと思います。

自分の理想や希望、やりたいことをやることによって、周囲に迷惑をかけてはいけませんが、それが自分はもちろん周囲に良い影響を与えたり、職場や社会の発展につながったりするようであれば、多いに行うべきです。

たとえば、仕事においても、自分が興味があることや得意なことを徹底的に追求して、その道で業績を上げるなどです。

個性を発揮するとはそういうことだと思います。ルーチンワークや雑用はある程度マニュアルに基づいて基本的なことができないといけませんし、逆にだれでもできることです。

しかし、そのルーチンワークや雑用を発展させ、もっと専門的な大きな仕事をできるようになるには、ある程度個性を発揮して、人それぞれの理想や希望、得意なことを活かすのが必要かと思います。

一流の仕事をしている人を見ると(たとえばNHKのテレビ番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』などで)、その人が理想とする仕事や仕事のやり方ができていると感じられます。

*****

みなさん、自分のやりたいこと、理想や希望は、日々の仕事に埋没していませんか。

自分はどんなことをしたいのか、昔から好きだったことは何か、自分の理想は、希望は、と少し思い起こしてみてはいかがでしょうか。

今されている仕事も、自分のやりたかったことがルーチンワークに埋もれていませんか。もちろんルーチンも大切ですが、ときどきは自分の理想や希望も考えて仕事を進めて行きましょう。

そして、日々の仕事をこなすうちにも、理想や希望を携えながら、それを活かした業績を上げることができればと思います。

そして、この本はそういった生き方の方法を教えてくれる本だと思います。

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