心を整える

心を整える。 長谷部誠 幻冬舎文庫

私はサッカーには興味ありません。野球にも興味ありません。総じてスポーツは嫌いなほうです。

でも、そういったスポーツにしてもオリンピックにしても、アスリートを見ていると、そこには「スポーツ道」ともいえる、スポーツを通して人間の生き方を教えてくれるものがあると感じます。

この本は、長谷部誠という偉大な一選手の、サッカー対する姿勢や生き方を通して、人生のキーポイントを並べてもらっている感じの本です。

それが長谷部選手の実経験の裏付けのもとに描かれているから、読んでいる我々も情景が分かりやすく、腹落ちします。

サッカーに興味のない私でも、決勝戦の大事な場面や、なんだかよく分からないけど日本中が盛り上がっている場合は、テレビに見入ったりすることもあります。

そういう状況のなかで、あるいはその裏舞台で、長谷部選手をはじめとするアスリートは、こんなことを考え、実行しているんですね。

こういった習慣は、なにもサッカーなどスポーツの特別な場合にだけ当てはまるわけではありません。

我々の日常でも、つまり仕事や家庭、人間関係の様々な場面でも当てはまり、実践可能なすべを、提示してくれています。

一日の最後に必ず30分間、心を鎮める時間を作りたかったのだ。

(P18)

心を鎮めるための手段として、音楽を聴いたり散歩したり、あるいは坐禅、瞑想、マインドフルネスなど何でもいいです。一日の一時でも、心を鎮める時間は必要だと思います。

なかなか継続は難しいものです。とくに時間をとるのが難しい。夜寝る前にある程度の時間はとりやすいのですが、どうも晩酌をしてしまうと、心が鎮まっているのかどうか、怪しいものです。

とにかく、アスリートでもこういった心を鎮める行為をしている方は多いようです。身体トレーニングによる技術の向上とともに、心のトレーニングも必要です。

試合中の窮地や、予想外の展開などで心が不安定になりそうなとき、日頃の心のトレーニングが役立つのだと思います。

私も、手術などで焦りそうなときに焦らず落ち着いて持続できるように、心のトレーニングをしたいものです。時間が無かったり飲んでしまったりとで、なかなか難しいですがね。

きれいになった部屋を見たら、誰だって心が落ち着く。僕は心がもやもやしたときこそ、身体を動かして整理整頓をしている。心の掃除もかねて。

(P31)

掃除や整理、断捨離、片づけ。いろいろと流行っています。どれもが、実務的に部屋や環境を整える目的だけではなく、自分の心も整えてくれる効果をかもしだしていると思います。

食器洗いは、食器だけではなく自分の手もきれいになります。なにより、食器を洗って相方を楽にしてやろう、ちょっと部屋の散らかったものを片づけてあげよう、その気持ち大事です。

その気持ちが、同居人や相手に伝わるかどうかはともかく、自分の心も良い方向へ導いてくれる気がします。

禅でも、掃除や環境整備が修業の重要な要素となっております。仕事においても掃除やゴミ捨てなど、あるいは雑用と思われる仕事があります。

そういった作業を、とくに文句も言わずにスイスイとやることが、自分の心を整え、磨くことに繋がります。

自分と向き合う方法は、主に2つある。

ひとつは孤独な時間を作り、ひとりでじっくりと考えを深めていくこと。僕にとっては読書も、ひとり温泉も、ここに含まれる。そしてもうひとつは、尊敬できる人や仲間に会い、話をすることで自分の立ち位置を客観的に見ることだ。

(P76)

心を鎮める時間、読書の時間など、一人で過ごす時間は必要です。そういうことによって自分の縦軸を深く、高くしていくのです。

しかしそれだけでは自分の立ち位置とその周囲を、つまり横軸、拡がりを考えることは難しいです。

自分の立ち位置を知るためには、自分の周囲がどうなっているのかを知る必要があります。

それには、まず自分よりおそらく広い視点から世の中を見ていらっしゃるであろう上司や先輩と話してみることです。

さらに、自分はどう見えているのかを、後輩と楽しく飲みながらでも探ってみてはいかがでしょうか。

上司の話を(ちょっとイヤイヤながらも)聞くことも、上司から見た自分とその周囲を客観的に感じ取るのに、いい機会かと思います。

後輩との楽しい飲み会も、ちょっと自分を見直す場として使ってみるのもいいかもしれません。

先人の知恵や同世代を生きる人の言葉からヒントを得る。それを自分に当てはめて自分の考えを掘り下げてみる。僕にとって読書は心を落ち着かせてくれると同時に、自分の考えを進化させてくれるものである。

(P181)

まさに、たくさんある読書の効用のメインディッシュを述べてくださっていると思います。

知識を得て、それを自分なりに解釈して、考えを掘り下げること。読書はたいてい一人でし静かにするものですから、それ自体に心を鎮める効果もあると思います。

さらに、何度も言っていますが「本は心の栄養」です。食べ物によって身体に栄養をつけ、トレーニングで鍛えるとともに、読書で心に栄養をつけ、瞑想などで心のトレーニングを行いましょう。

最悪のケースを考えると言うと、何だか悲観主義者のように思われてしまうかもしれないけれど、僕はそうは思わない。最悪を想定するのは、「失敗するかもしれない」と弱気になるためではなく、何が起きてもそれを受け止める覚悟があるという「決心を固める」作業でもあるからだ。

(P230)

様々な仕事において、常に最悪のパターンを想像し、もしそうなった場合にはどうするか、ならないような対策や次善の策を考えておくことは大切です。

対策を考えておく意外にも、「どんなことが起きても責任をもつ」という気持ちも大切です。そういう気持ちが、仕事の質を高めてくれると思います。

手術においても同じだと思います。最悪を想定するとまではいきませんが、私は「いくら術前に想像しても、絶対に想像よりも難しいのだ」と思って手術に向かいます。

まあ、たいていその通りで、難しいんですけどね。ある程度想定しておくことで、焦りを減らすことができているのではないかと思います。

そして、大事なことは「何が起きてもすべての責任は私がとる」という気持ちです。たとえ助手や看護師さんといった自分以外の要因、はたまた機械トラブルなどで何か問題が起ったとしても、手術では術者が責任をとるべきです。そういう気持ちでいるべきです。

責任を「とる」というと、ことが起こってからの償いのようでイヤですが、責任を「もつ」というと、事前の心構えのような感じで、いいかと思います。

そういう気持ちで、手術でも仕事でも、試合でも、向かうことが大事だと思います。

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何事も、本当に極めようとすると、知識や技術の向上も大切ですが、一方で心(ここでは「精神」と同じような意味で用いています)の向上も大切だと思います。

技術と心は相互作用的に向上していくものだと思います。知識や技術を磨けば、いままで知らなかったこと、気づかなかったこと、できていないことに気づくことができ、それが心の向上につながります。

また、心の向上により、さらに知識や技術の修得に確かさが備わると思います。集中して練習することにより、より知識や技術は身につきやすくなります。

技術を実際に発揮する仕事の場では、窮地においても心が助けてくれます。そのように相互作用的に人間として向上していければと思います。

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