『鬼滅の刃』を見せられて

2020年11月1日

鬼滅の刃 吾峠呼世晴 JUMP COMICS

ある日曜の午後。今回は久しぶりに何ごともない日曜の午後になりそうだ。金魚の水槽は洗った。タイヤ交換はまだいい。

こんなときこそ、子ども達と遊ばなくては、と思う。しかし、天気は不安定で、公園はびしょびしょだろう。

子ども達の屋内での遊びは、ブロック遊びやゲームが多い。そういったもので遊んでいる間は、こちらも時間が自由にできる。

しかし、日頃遊んであげられないこともあり、なにか私も加わって一緒に遊ばなくては、とも思う。

今のところ、私は必要なさそうなので、読書をしたりしてみるが、どうも集中できない。家にいるときくらい遊んでやらねば、という焦りにも似た気持ちもする。

とりあえず、眠いらしくて機嫌が悪く、他のじゃまをしていそうな下の子を散歩に連れ出す。道路は濡れているが、晴れており、熱くもなく寒くもなく。

いくつかのドングリと葉の付いた小枝を拾う。子どもはドングリが好きである。枝からドングリだけをむしり取る。そして残った葉だけの枝を「ほうれんそう」と呼ぶ。面白い。

「ほうれんそう」、・・・大事である。

さて、散歩とはいえ5/6くらいはおんぶになってしまった苦行を終え、家に帰った。なにやら子供たちはこれから、録画していたビデオを見るようだ。

今、非常に流行っている『鬼滅の刃』の録画である。私はそれまで見たことはなかった。今回のものは連続放映の録画なのか一連で2時間超あるらしい。

始まった。子ども達は熱心に見入っている。お父さんも一緒に見てと言う。私は空返事で読書をするが、落ち着いてはできない。

おそらく面白いのだ。見始めてしまったら抜けられなくなるだろう。親子で楽しめる内容という噂も高い。

親子で楽しめるというのは、キャラクターやストーリー仕立てなど色々な点でそうなのだろう。

結局、思わず見始めて、しっかり見入ってしまった。そして、劇中に出てくる、あるいは感じられるキーワードをもとに、久しぶりに考えさせていただいた。

「鬼」、「呼吸」、そして「原体験」である。

<鬼>

詳しくは知らないが、作中の「鬼」と呼ばれる敵の中には、もともと人間であったが、「鬼」になったものが含まれるようである。

そして、「鬼」になったいきさつには、被害者的になってしまった例も多いが、人間の持つさまざまな「対人関係」の諸問題が含まれる例もあるようである。

「怒り」「恨み」「ねたみ」「あざけり」がきっかけとなって、あるいは失われた「きずな」「愛」「自由」を求めるがゆえに「鬼」となってしまった人間もいるようである。

これはまさに、人間の心理状態の変化に他ならないではないか。「鬼」となった状態とは、まさに恐怖と苦痛に苛まれる「心の状態」である。

「修羅」という言葉も仏教では使われる。これは常に他人に勝ろうとする「心の状態」を示す。

「鬼」となってしまい、他の人間に害悪を与えるだけになってしまったら、切らねばならないかもしれない。

しかし、「鬼」となってしまう前に、「心の状態」を良くし、そこから救い出す方法論もあることは事実である。

仏教の教えには、そういった「心の処方箋」的なものが多い。また、次に述べる「呼吸」を中心とした瞑想やマインドフルネスもそうだろう。

どうか、現世界では「鬼」になってしまわないで、生きていくことができればと思う。まあ、時と場合によっては「鬼」の形相や性質も必要なのかもしれないが。

<呼吸>

この物語は人間と「鬼」との戦闘が中心となる。そして戦闘において、「呼吸」が非常に大切にされている。

詳しくは知らないが、剣術の必殺技のシーンでは、「~の呼吸」と喚呼して技を繰り出す。また、ピンチを切り抜ける際にも、とくに呼吸に気をつかっている様子が描写されている。

ここ一番の大技を繰り出すにしても、窮地に集中して乗り切るにしても、呼吸が大事であることを、改めて教えてくれる。

そして呼吸は、「いま、ここ」に自分を戻し、集中力を高める方法として、マインドフルネスに通じるものである(またその話か、と思うかもしれないが)。

<原体験>

とくに死にそうなピンチに陥ったときに過去の体験が思い起こされる。いわゆる走馬燈のように。

強大な敵に対峙し、敵の必殺の一撃が目前に迫りまさに命の灯が消されようとしている。この物語では、そんなときに、そんな刹那時間を度外視した回想が現れる構成がある。

その人物の修業中のことであったり、幼少期のことであったり、これまで関わってきた人々のことであったりと。

そして、そこから何か、窮地を一転するパワーを引き出し、強大な敵に対して逆転の一撃を浴びせるのである。

これは、原体験のパワーと言ってもいいのではないか。自分の力(身体能力も精神力も)を保っているのは、現時点での身体能力や精神力だけではない。

ふとしたきっかけで思い起こされる過去の体験が、「火事場の馬鹿力」のようなパワーを湧き出させるのだろう。

そして、日常にも活力と輝きを与えてくれるのが、原体験の力だと思う。我々の仕事やさまざまな活動においても、原体験の影響するところは大きい。

自分はなぜこの仕事を、活動をしているのか。そこには必ず原体験が関わっているはずであり、またそういう仕事や活動をしたいものである。

*****

一回見ただけなので、正確な背景などは把握していない。キーワードを勝手に拾って色々考えさせていただいたが、誤解もあるかと思う。

どうも、ハマッてしまってマンガを買い込んだり、絶賛放映中の映画に行きたくなったりするかもしれない。これくらいにしておこう。

(この記事は、テレビアニメ版『鬼滅の刃』によるものであり、背景や内容についてまだ浅い段階での記載です。誤解や実際の内容との齟齬があるかもしれませんが、ご了承ください)

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