音楽をとっかかりに世の中を見る

2020年10月10日

ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる 片山杜秀 文春新書

今年は、ベートーヴェンの生誕250周年だそうです。

新型コロナウイルス感染症の影響で、大規模な演奏会は難しく、年末恒例の『第九』演奏も危ぶまれる状況ですが、音楽なんていつでもどこでも一人でも楽しめます。

今回は音楽を“とっかかり”に世界史を見ようという印象のタイトルですが、実質的には音楽史に関して詳しい本だと思います。

世界史も、直面してしまうと立ちはだかる壁のようですが、とっかかりがあると分かりやすいし、見やすいものです。

ローマ帝国、ペルシア帝国、モンゴル帝国といった国家をとっかかりにするのもいいでしょう。銀やお茶、民族をとっかかりにしている本もあります。

著者の片山氏はカバーの写真を見ると「見たことあるなー」と思う方です。テレビなどで見たことがあるような気がします。

音楽の歴史とともに、随伴するように世界史が分かる本です。音楽に興味がある人も、歴史に興味がある人も、楽しめる一冊だと思います。

たとえば、それまで軽快な曲だとされていたモーツァルトの曲を、ある人が寄る辺ない不安の曲だ、と感じたとします。その解釈が、その時代の中で説得力を持つと、今度は演奏者も不安な曲として演奏するようになるでしょう。

(P112)

「古典」というのは、いつの時代でも、どんな人が読んでもしっくりくるものだと思います。

これは音楽においても例外ではなく、古典とされる音楽は、いつの時代も聴く人に、聞く人の境遇に応じたメッセージを送ってくれます。

引用のように説得力をもつ人が解釈すると、その解釈が世の中に拡がることは多いですが、それとは異なる解釈をする人もいるでしょう。

それでいいんです。自分の状況に応じて、何らかのメッセージ、とくには勇気づけであったり、ときには同情であったり、を与えてくれるのが古典です。

『論語』などと同じだと思います。古代の人々の言動、考え方がそっくりそのまま現代の我々に当てはまらないとしても、人間の生き方・考え方としてメタな見地からみれば、応用することができるのです。

ベートーヴェンの音楽は、市民層を上にも下にも広げていくものでした。つまり、自らの音楽を追求することと、近代市民という新しい聴衆のニーズに応えることとが完全に一致する。こんな作曲家はほかにはいません。だからベートーヴェンは偉大なのです。

(P161)

ここが、ベートーヴェンの偉大なところだと思います。それまで王侯貴族のものであった音楽を、市民階級にまで広めた。

それまでの音楽家、たとえばバッハはキリスト教的な世界を表すために音楽を用いていたところが大きいでしょう。たとえばハイドンやモーツァルトなどは、宮廷や王侯貴族のために音楽をこしらえていたところが大きいでしょう。

そして、時代の流れとともに近代市民の時代になってゆく世の中に、ベートーヴェンの音楽が寄り添っていったのだと思います。

ベートーヴェンの音楽が訴える、歓喜など日々の生活のなかの感情が、これまで世の中の中心ではなかった市民が、近代市民として能動的に動き出そうという時代に、うまく合ったのでしょう。

そして、歓喜や悲愴を音楽で表すという概念を、音楽の世界に吹き込んだのがベートーヴェンの音楽ではないかと思います。

人々の、感情を音楽に表現しようとした最初の人間が、ベートーヴェンなのです。それまでは、場の雰囲気や儀式のための音楽であったのが、人々の感情を表す媒体としての役割を得たのです。

もちろん、有名なベートーヴェンの3大ピアノソナタ『悲愴』、『月光』、および『熱情』は、その表題はだれかの後付けであって、ベートーヴェン本人がつけたのではないかもしれません。

しかし、そういった表題を付けずにはいられないほど、人の感情にしっくりくる音楽となっています。

そして、聞く人がその表題を、鵜呑みにしなまでもキッカケとして、自分の人生の中で起った感情と結びつけて聞くこともできます。

あるいは「聞いてみるとあの時の感情そのものだなあ」などと感じることもあるでしょう。

そこでワーグナーが見出したのが「民族」でした。特定の地域の文化や伝統、民族性に根をおろしたもの、神話や伝説など、フォルク(民族、民衆)に支えられてきた土着的な文化である、と考えたのです。

(P190)

ワーグナーが音楽にもたらしたのは、特定の地域の文化や伝統、あるいは神話や伝説といった民族に支えられ、そして民族を支えるものたちでした。

いくつかの戦争があって、ナショナリズム、祖国愛といった感情が強まっていった時代なのでしょう。

そういった市民の感情に寄り添うようにして広まったのが、ワーグナーの音楽なのだと思います。

逆に、そういったワーグナー音楽の性質を、ナショナリズムや戦意の高揚に利用してしまったのがヒトラーなのです。

少し後になるかもしれませんが、いわゆる国民楽派と呼ばれるドヴォルザークやスメタナの音楽も、祖国愛に満ちた素晴らしいものです。

ベートーヴェンが音楽に吹き込んだ「感情」は、個人そのものから集団(民族、国家)のレベルにまで広げられたのです。

*****

音楽は、言葉にできないことを表す手段の一つだと思います。

“音楽=楽器=幼少時から厳しい練習 and/or 才能が必要“という図式が、どうしてもみんなの頭にこびりついている気がします。

しかし、そんなことはありません。もちろん、世界レベルの音楽家になるには厳しい練習や才能も必要かもしれません。

でも、音楽を楽しむことはだれでもできます。そう、CDやPCで音楽を聴くだけでもいいし、ちょっとピアノをいじってみるでもいいと思います。

思い入れのある曲なんかは、ちょっと楽譜を買って、いちから練習してみると、結構のめり込んで修得できるものですよ。

それに、音楽に対して心を開いているということは、人生の窓の一つが開いていて、そこから時々、いい風が入ってくるということだと思います。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。