試験対策でない「歴史」の勉強は、楽しい

2020年9月3日

ペルシア帝国 青木健 講談社現代新書

学校での歴史の勉強は、大きく地域ごとに分けて教育される。だいたい世界史と日本史に分かれている。世界史の中にも西洋史があり、東洋史がある。

しかし、歴史は「スキマ」が面白い。

その「スキマ」にはモンゴル帝国が東西の歴史を繋ぎ合わせ、また中東では様々な国々が複数の金属合金のように、ときに輝き、ときに錆びながら存在した。

また、歴史はいかにも因果関係の連続であるように、いかにも時系列的、理論的に出来事が羅列されて教育される。

確立された歴史年表などを見ると、世界はこの予定表にそって出来事が起きてきたような錯覚も覚えてしまう。

ローマ帝国がどうなった、スペイン、フランス、イギリス、ドイツがどうなった。みんな参加して大戦がどうなった、という話が多い。

しかし、歴史は「細部」が面白い。

これがこうなってこうだからこうなった、といういかにも理論的な歴史の流れの「細部」には、それぞれの国々の内情、人々の感情、王の思い、欲望、親子関係、稀代のヒーロー・ヒロインなどなど、人間臭いものが宿っている。

しかし、学校では「スキマ」は教えてくれない。「細部」も教えてくれない。中学高校入試、大学入試に出題される範囲、深さでの知識が、勉強させられるだけである。

このため、学問はそのくらいの広さ、深さであると勘違いさせられてしまうのも、学校教育の痛い点だと思う。試験勉強が終わってから、その広さ深さに驚かされることが多い。

逆に、大学やあるいは趣味的に、あるいは読書などで勉強する場合は違う。自由に「スキマ」も「細部」も勉強することができる。

その道のプロであり、学問の広大な広さや深遠な深さを知った先達による指導や、自分の「好奇心」という最強の勉強ツールで学んでいくので、面白いと感じながら勉強することができるのだ。

今回ご紹介する本は、世界史教育上は紀元前のハカーマニシュ(アケメネス)朝と、アレクサンダー大王にやられて、だいぶ間をおいたその後のサーサーン朝があり、周囲の様々な国と関係しながら盛衰した「ペルシア帝国」の話である。

国内外の事情、人々の活動がテンポよく描かれており、厚めの新書であるがスイスイ読むことができる。

また、ペルシア語独特なのだろうか、日本語で表すと「ー(伸ばし棒)」の多い人名や地名の連続出場はやや圧倒され、まさしく“開いた口が塞がらない”。

そもそも、ダレイオスやクセルクセスといった世界史でおなじみの登場人物名はギリシア語読みなのであった。

それらをペルシア語で読み、なんとか日本語表記しようするとダーラヤワウシュ、クシャヤールシャンとなってしまう。

言葉というのは、非常にその音というか、響きも重要なものを訴えてくる。ギリシア語でダレイオス、クセルクセスと言われると、なんとなく英雄っぽいが、ペルシア語だとなんとなく頼りない感じが否めない。

それはさておき、著者はゾロアスター教、イラン・イスラーム思想の研究を専門とし、このあたりの歴史、宗教・思想についての多くの著書がある。

なかでも同じく講談社現代新書の『古代オリエントの宗教』は、ゾロアスター教やマニ教などこの地域の様々な宗教が、由来や人々の暮らし、歴史と交えて解説されていて、大変面白い一冊だと思う。

今回ご紹介する『ペルシア帝国』は、そういった広く深い知識に裏打ちされた著者の、スパイスを十分に効かせて歴史を面白く描いた一冊だと思う。

西洋史の観点から見れば、続くアレクサンダー三世の軍事的成功は彼の天才を示すものとされるが、イラン史の観点から見れば、解体傾向に歯止めのかからない「帝国」に、絶好のタイミングで侵入したとも言える。

(P103)

個人的にはアレクサンダー大王は、始皇帝やナポレオンにならぶ大人物で、大国を立ち上げたようなイメージである。

しかし、そういったイメージも立ち位置の違いによる。ペルシア帝国からみれば、国内がゴタゴタしているときに、なんだか西からドカドカやってきて、あっというまに征服されてしまった。

歴史Historyは“His story”とも言われるように、有名な人物を中心に描かれることが多い。そこにはある程度の物語性が含まれる。

アレスサンダー大王が素晴らしい戦略でペルシア帝国を攻略したようなイメージでしたが、そのころの帝国はガタガタだったんですね。

辛うじてガンザクのアードゥル・グシュナスプ聖火を退避させたホスロー二世は、―エーラーン帝国にとっては不幸なことに―再び遠大な作戦を思いついた。すなわち、コーカサス山中でヘラクレイオス帝が親率するビザンティン帝国機動軍を撃破するか、首都コンスタンティノープルを攻略すれば、この世界大戦がエーラーン帝国の勝利で終わるとは、誰もが想像するところである。そこまでは良いのだが、ホスロー二世は、何とこの二つの作戦目標を同時に達成しようと深遠な叡慮を巡らせたのである。こうなると、誰か止めろよと思わないでもない。

(P299)

ビザンティン帝国も、失礼ながらローマ帝国の生き残り(亡霊?)のような国であり、しつこそうな印象だ。

がんばれホスロー二世。でも周囲に優秀な参謀、部下がいなくて、ひとりでがんばり過ぎてしまった感がある。

まあ、周囲に賢臣がいなくなったのも、自ら招いたことなんだけどね。『貞観政要』にもあるように、大きな事を成し遂げるには、優秀な、そして諫言いさぎよい部下が必要だ。

ホスロー二世の無理がたたり、この後はサーサーン朝つまりペルシア帝国も終焉へと向かうのであった。

しかしこの辺りの書き方も、講談や落語のようで面白い。まさに歴史を自分のものとして自分の言葉で語っている。

そのサカスターン州も危うくなった後、ヤザドギルド三世はホラーサーン州に姿を現し、ここでファッロフザードと分かれて、単独でメルヴをめざした。片雲と行をともにする孤独な旅だったにちがいない。だが、六五一年、彼はメルヴ近郊の水車小屋で、メルヴ辺境総督マーホーエー・スーリー(スーレーン家の一族と推定される)が放った刺客によって暗殺され、サーサーン朝は第三〇代皇帝で名目的にも終焉を迎えた。

(P327)

擦り切れた衣装をまとい、岩山に囲まれた険しい道を、ときどき空に目をやり片雲を見ながら独り歩く、最終皇帝ヤザドギルド三世の姿が目に浮かぶ様である。

自分はどうなるのだろう、帝国はどうなるのだろうと、考えながら不安の中を歩いていたのだろう。流れる雲のかなたに、何を見ていたのだろう。

ドラクエⅣの『勇者の故郷』あるいはドラクエⅡの『遥かなる旅路』といったBGMが似合いそうなシーンである。

いやもちろん、どこかでもう一度一旗揚げて、国を持ち直してやろうなどと偉大な考えをしていたかもしれない。

しかし彼の死によって、サーサーン朝が支えてきたエーラーン帝国は終焉し、歴史上のペルシア帝国はここで終焉となる。

そして、聖人の中では遅めに出生したムハンマドに起源し、少し前から勃興してきたイスラム勢力が、やがてこの地域を治める時代となっていく。

*****

「ペルシア帝国」。なんと魅力的な響きであろうか。ペルシア紀行、ペルシア絨毯、ペルシアガラス、司馬遼太郎の『ペルシャの幻術師』などの言葉を思い浮かべると、なんとも哀調を帯びた神秘的な言葉である。

しかし、後世の我々がそのように想像するのとは違って、実際のペルシア帝国は人間臭い人間ドラマが繰り広げられた、権力闘争や戦闘に明け暮れた歴史的事実の場であった。

しかし、歴史を単に過去の記録であり、なにか学びとることができる程度の価値があるとするだけでは、もったいない。たしかにそういう価値はあるが。

自分の知識や、ときには思い込みや、語感からくるイメージなども交えて、歴史上の出来事を自由に想像し、思いを馳せるのも、後世の我々の特権だと思う。

まあこの記事は、歴史学の基礎知識もない、いち世界史ファンの個人的記述である。誤解もあると思うが、容赦願いたい。

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