ときにはボンヤリしましょう

マインドワンダリング モシェ・バー、横澤一彦 訳 勁草書房

マインドフルネスについては、皆さんもよく聞いたことがあると思います。呼吸など身体の動作や感覚に集中して、あるいは浮かんでは消える思考に執着せず受け流していくような状態です。

瞑想は古来さまざまな宗教において行われてきました。宗教を実践するための祈りや精神の鍛練を目的として行われています。マインドフルネスは宗教色を落とした瞑想と言えるかもしれません。

いずれもストレスの多い現代社会において、集中力を高め、自分を客観視して対応能力を磨くために積極的に用いられることが多くなっています。

うつ病などの精神・心理的病態は、ストレスや不安などが頭の中でグルグルと繰り返されることが発症する原因の一つとされます。マインドフルネスや瞑想はうつ病や不安などを改善する効果があるとも言われています。

ビシッと目の前の“今ここ”で起きていること、感じていることに集中することによって、ストレスや不安の“グルグル”を断ち、増幅させない効果があるのでしょう。

一方で、これまでの一般的な記憶や経験が無意識に頭の中でグルグルすることによって、新たな思考やアイデアが生まれたり、創造や発想に導いたりしてくれる機能もまた、頭には存在するのです。

その機能の一端を担っていると考えられるのが、デフォルト モード ネットワーク(default mode network; DMN)です。

脳は様々な機能が局在する表面の皮質だけではなく、その深部に存在する白質の神経ネットワークによって皮質どうしの機能を結び付け、より高次の機能を生み出しています。

物事に集中して行動を遂行するためのネットワークも存在します。雑念に負けずに“今ここ”に集中することは人間の営みにおいて大切なことです。この働きによって様々な偉業はなされ、文明や文化を築き、日々の仕事や勉強を進めてきたのだと思います。

一方で、計画的・集中的に考え行動しているだけでは生まれない、意外な発想やアイデアの萌出、ひらめきはどこから生まれるのでしょうか。

その一端を担うのが、このDMNと呼ばれる脳内ネットワークです。DMNは広く脳全体と結びつき、これまでの記憶や経験の整理・統合を行っているとされています。

そういった意識されない脳内作業、いわば無意識の作業の端から、思いがけない思考が生まれ、創造が生まれるのです。

ユングをはじめ、様々な先人が無意識の世界を想定し、人間の活動におけるその重要性を述べてきました。

この本を読んで私は、この無意識とはDMNに代表されるネットワークのことなのではないかと感じました。

意識的に“今ここ”に集中して作業を行う“集中系”に対して、DMNは広く脳の各所とつながる”分散系”として、無意識下にこれまでの記憶や経験を整理する場と言えます。睡眠中に起こる“夢”もその経過と考えられます。

そこにはこれまでの個人的な人生から得られた知識や記憶、経験があるだけでなく、家庭や学校、地域や国など生活の場や学習、様々な出来事や知見から得られた社会的な記憶、経験もあると思います。

そういった個人的な記憶や経験、社会からもたらされる比較的普遍的な記憶や経験の管理を階層のように考えると、ユングのいう個人的無意識や普遍的、集合的無意識などと考えられるのではないか。そんな気がします。

マインドフルネスは流行して久しく、そしてこれは現代社会を生きる我々にとって必須の生き方ツールだと思います。

“今ここ”に集中して作業することにより、人間は様々な難題を解決してきました。個人の活動でも人生の山あり谷ありを歩いて行くための大きな支えとなります。

しかし、それだけでは目の前の問題を解決すること、不安やストレスを増幅させないようにすること止まりです。

意外な発見や発明が人間の文化や文明をときに飛躍的に押し上げてきたことにより、今日の豊かな生活は成り立っています。

そのために必要なのが、今回話題とするマインドワンダリングです。これはいわば、一つのことに集中するのではなくて、ボンヤリと、広く分散した無意識のネットワークにより頭の中の整理を行いましょうという感じです。

この本には、著者自身の研究や精力的な文献検索から得られた、DMNからマインドワンダリングまで多くの知見や思想が述べられています。

そして、実生活でマインドワンダリングをどのように考え、実践したらよいかのヒントも書かれています。

DMNを積極的に働かせ、AIには不可能な意外な発想やアイデアをもたらしてくれるマインドワンダリング。ぜひこの本を読んで、マインドフルネスに続く次の生き方ツールを手に入れたいものです。

それぞれの思考は何かとつながっていますが、そのつながりが私たちの意識の及ばないところにあるだけです。思考がつながっているということは、思考のプロセスが常に首尾一貫しており、論理的に次から次へとつながっているということではありません。(P21)

よく記憶の糸をたどるなどと表現されます。たしかに記憶は繋がっていると感じます。実際は神経細胞が繋がっていて、その繋がりが記憶を作っているようなものです。

AIのようなキカイであれば、その繋がりは物理的で定量的なものだと思いますが、脳の神経細胞の配線は物理的としても、脳のなかの配線は複雑です。

加えて神経細胞どうしの間にあるシナプスのやりとり、神経細胞よりも多いグリア細胞の働き、さらに神経細胞周囲の水分やスペースによる効果、さらにはホルモンのように広範に効果をおよぼす物質の作用などで、もう理論的には考えられない複雑なつながりと関係になってしまっています。

『脳を司る「脳」』の紹介記事もご参照ください)

私たちも忘れたと思っていた記憶が、なにかの拍子に突然思い出されることを経験します。理論的ではなく思わぬつながりが起きているのでしょうね。

そういった記憶を使った思考についても同様で、理論的に考え進めていくだけでは有用な結論に至らなくても、ときに思わぬつながりから意外なアイデアが生まれてくるものです。

自己の背後にある皮質ネットワークである脳については徐々に研究が進んでいますが、DMNが自己意識を最も緊密に媒介する皮質ネットワークであること、マインドワンダリングの内容には自己言及的プロセスが含まれていることは、すでに十分な証拠が得られています。(P65)

マインドフルネスや瞑想が自己をできるだけ没して客観的、俯瞰的に向かうのに対して、マインドワンダリングでは自己を意識するような働きがあります。

これまでの記憶や経験から自分とはどのような存在であるのか、どのような物語を持っているのか、そういったことを思考につなげるのもDMNの働きの一つなのでしょう。

客観的、俯瞰的なものの見方も大切である一方、自分はどう思うか、直観的にどう感じるかという要素も、必ずしも答えの無い世界を生きる我々には必要なことです。

自分の物語(ナラティブ)を活かして、自分なりの思考を進め選択して生きていくために、マインドワンダリングが有用です。

しかし、注意深く、マインドフルであることは、私たちの経験に対する見方を徐々に変えていきます。私たちは、自分の人生のエピソードの主役になるのではなく、目撃者、傍観者になるのです。(P175)

先ほどお話したマインドフルネスのジレンマとは、マインドフルであることで私たちは目撃者、観察者にはなれますが、必ずしも没頭しているわけではないということです。(P190)

マインドフルネスは前頭葉を主体とする集中のためのネットワークを背負って手足や頭を動かし、行動していく印象ですね。自分を客観視し、理論的な思考や今ここの物事の遂行に有用です。

それに対してマインドワンダリングはDMNといった脳内に広くつながったネットワークを背負って手足や思考を動かす感じです。

マインドフルネスが有用であることは言うまでもありません。でも、その性質上自分とその周囲の“今ここ”に対して客観視するものであり、現状の目撃者、傍観者、観察者になるものです。

言い換えれば“醒めた目”で自分と周囲を見る感じでしょうか。

それに対してマインドワンダリングは広く脳内の記憶や経験を集め、五感からの情報も加味して一手を打つことができます。

自分そのものと周囲を活かして、行動や思考に没頭している状態と言えるでしょう。どちらもシチュエーションに応じて使い分けたいツールです。

先ほど、機嫌の良い人は創造性が高く、斬新な洞察を必要とする問題解決に長けている傾向があることを説明しました。というのも、私たちが幸せな気分でいるとき、心は広義の連想モードに入るからです。(P206)

ここに述べられているように、機嫌の良い感情状態であれば創造性が高くなります。自分の実体験としても、気分が良い時はどんどん考えが浮かんできますね。

できればいつも楽しく機嫌の良い状態でいたいものです。方法として一つ、行動を変えることによって感情をも変えるというのがあります。

笑顔も感情を加工する有力な手段です。人は楽しいから笑顔になることはもちろんである一方、笑顔を作ることによって楽しい感情になるそうです。

感情が行動を変えますが、逆に行動も感情を変えることができるのです。苦しいときも(場合によりますが)無理にでも笑顔を作ると、少し気が晴れることもあります。

トップダウン処理とは、過去の経験、記憶、文脈、目標、予測に依存することで、これあらの蓄積された知識を蓄えている皮質の高いレベルから流れ落ちることで、知覚に先行して形成されます。一方、ボトムアップ処理とは、大脳皮質の高次の領域から促進される(ときに歪められる)ことなく、感覚器官からの直接の入力を伝えるもので、環境から知覚される物理的刺激に対する大脳皮質の反応だけで構成されます。(P212)

ここで言われるトップダウン処理とは、知識や経験から理論的に答えを導き出そうという考え方なのだと思います。頭の中のものを総動員して目の前の今ここにどう対応できるのかを考えます。

一方、ボトムアップ処理というのは、自分が五感を通して感じたものを無意識下に処理し、知識や経験も加味しながら最適解を導き出す働きかと思います。

前者は一般的な思考や筋道を立てて物事を考えるさいに働き、後者は自分を取り巻く環境や感覚から直観的に答えを感じる働きなのではないでしょうか。

普通は理論的に順序良く考えていくことが大切です。多くの知的作業は教科書を読んだり人の話を聞いたりして情報を取り込みながら、トップダウン処理をすることが多いでしょう。

それだけではなかなか突破口が見つからないとき、ふとボンヤリと周囲に五感を配し極度に集中することなく頭を雲のように浮かばせることで、ボトムアップ処理が働くものと思います。

チクセントミハイ氏の提唱するフロー状態とは、仕事や遊びなど様々な活動に没入し最善のパフォーマンスを発揮する状態です。

このフロー状態というのは主にボトムアップ処理優勢に思考が働き、周囲からの情報もフルに生かしながら、自分の記憶も無意識に動員して対象に没入する体験なのではないでしょうか。

*****

湯船に漬かり心地よいお湯の感覚に身を預けながら、何事を集中して考えるわけでもなくボンヤリと過ごす入浴。音楽や映画を鑑賞し感情を揺り動かされながら過ごす時間。

こういった時間に発想が生まれることは多いものです。アルキメデスの入浴中の発見は、風呂だからこそ起こった内容かもしれませんが、入浴のボンヤリ効果もあったと思います。

また、目まぐるしく変わる車窓の風景、見知らぬ土地や人との出会い。旅はマインドワンダリングにうってつけなのかもしれません。

私も出張などで新幹線に乗っていると、もちろん読書もはかどるのですが、風景をボンヤリ見ているうちに色々と考えが浮んでくるのを感じています。

DMNに任せてボンヤリと心をさまよわせることにより、理論的意図的に進んでいるだけでは見えない意外な道が見えてくるものと信じます。

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