線が、描くものは

2023年2月25日

線は、僕を描く 砥上裕將 講談社文庫

気になる小説を読むまでは、どんな話なんだろうとずっと考えています。タイトルや、ちらりと目にした表紙カバーの絵から、いろいろなことを想像します。

いったんそれを読んでしまうと、「こういう話だったのか」と感動とともに納得することもあり、「考えていたのと違う」と意外な展開を楽しんだりすることもあります。

いずれにしても、読んだあとは自分の中にその小説の物語が、その主人公の人生が沁み込んでおり、自分の人生のエネルギーやビタミンになっていることは間違いありません。

そう、小説で経験された他人の人生や物語は、自分の人生の栄養素として知らず知らず良い影響を与えてくれるのです。

この本もそんな感じの本でした。書店で以前からみかけており、その美しく魅力的なカバーイラストから気になっていました。

小説の読み方は、自分の知識や経験によって異なる“読め方”になることは以前も話したかもしれませんが、読む姿勢も自分の場合は他の本と異なることに、最近気が付きました。

実用書や自己啓発書といった本については、スキマ時間を使ってでも少しずつでも読み進めようという感じの読み方になることが多いです。

一方で小説に対しては、できるだけ連続的な時間で一気に読み進めたい、と感じます。もちろん、小説は章ごと、あるいは本一つで一続きの物語になっていることが多いので、そのほうが良いかとは思います。

そういえば運動や瞑想などでは、20分間ほど継続すると効果が期待できると聞きます。もちろん、それより短いと効果が無いというわけではありません。

それは一つには、20分間継続していると、いわゆる“フロー”のような状態になるということも理由の一つにあると思っています。

自転車乗りやランニング、あるいはマインドフルネス瞑想にしても、少々大変ですががんばって20分間継続していると、何となく体や心が暖まってきて“ノッている”感覚が生まれてきます。

小説読書についても、同様だと思っています。もちろん実用書、自己啓発書などもフローに入って読むことが望ましいですが、知識であれば断片的な時間でも得ることはできます。

一方で小説は、物語というのはある程度の言葉やセンテンス、場面の連続や移り変わりで形成されるものですから、自分の心もその世界にどっぷり浸かることができる、連続した時間が望ましいのではないでしょうか。

さて、今回ご紹介する本ですが、上に述べたようにどっぷり浸かって読ませていただいた一冊です。

著者は、ご自身が水墨画家をなさっているとのことです。なるほど水墨画の世界について読者にその知識や技術はもちろん、深淵さや限りない魅力も、物語を通してしっかりと伝えてくださっています。

こういった感じに、自分の専門とする職業や知識・技術を基にして、それを織り込んで物語を奏で、読者に新たな知識や考え方、生き方を吹き込んでくれる物語も、小説の魅力の一つだと思います。

自分も、小説を書くとなればそういう方法もあるなー、などと考えてしまいました。

ともあれ、主人公の青年や他の登場人物たちが筆となり、一人一人の「点」であったものが空間的にも時間的にも、そして心的にも動き回ることで「線」を描きます。

そしてその「線」たちは世界に素晴らしい「画」を描くとともに、それぞれの「線」もしっかりと各人の「人間」を描いている。そんな印象の物語でした。

(引用ページ数は、文庫版によります)

「墨と筆を用いて、その肥痩、潤渇、濃淡、階調を使って森羅万象を描き出すのが水墨画だが、水墨画にはその用具の限界ゆえにかけないものもたくさんある。絵画であるにも拘わらず、着彩を徹底して排していることからも、そもそも我々の外側にある現象を描く絵画でないことはよく分かる。我々の手は現象を追うには遅すぎるんだ」(P301)

水墨画の実際から精神まで、この部分に凝縮されていると思います。実際に水墨画をなさっている著者だからこその、渾身の文章ですよね。

まずは物としての道具を用いて世界に印を表す。水墨画では線と点による画を描き出すわけです。

色彩画と異なり、ほとんど墨の黒だけで描かれるが、そこには墨の様々な性質が影響し、利用され、森羅万象が表現されます。

ただ、この段階では外の世界の物体・現象を描いているに過ぎない。そして瞬時に移り変わる現象を追うことはできません。

しかし、さらには余白や配置、リズム、そして再び墨による線の描出具合が、描いた人物の感情、精神、思想、あるいは人となりや生き方といった現象の奥に潜む確固たる部分を描き出します。

多くを載せると、その分だけが感覚されるのみですが、限られた表現の場合はかえって受け手の想像力を発揮させると思います。

昔のゲームも単純なグラフィックや音楽ですが、プレイヤーの想像力がそこを補い、深めることで、印象に残る作品が多かったと思います。

水墨画も、墨と筆という単純な道具で心の広く深い世界を表現し、見た人の想像力を広げてくれます。

「描いてみせた、ということは、この世界では『教えた』ということなんだよ」(P315)

物事を教えるのには、山本五十六の言葉が参考になります。“やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ”

まずは実際にやってみせて、こういうふうにするものだ、と見てもらうわけです。その後に、言って聞かせてポイントを具体的に押さえてもらい、させてみる。良い点を褒めて伸びるようにする、といった具合でしょうか。

しかし、世の中には“言って聞かせて”が難しい知識や技術があります。いわゆる“暗黙知”や“経験値”というやつです。

これらを修得するには、教科書を読むことや言われた通りにすることだけでは十分ではありません。

実際に師が“やってみせ”てくださったことから、言葉以上のものを掴みとる必要があります。

そのために、師は自分の能力を存分に発揮して考え方や自分の経験が滲み出るように“やってみせ”ることも大切であり、逆に、弟子のほうも“よく見る”ということも重要なのです。

そして、そこには「尊敬」や「謙虚」の心が大切だと思います。尊敬は師からどんなことでも自分の足しになるようなことは掴み取ろうという姿勢を生み出すと思います。

また、謙虚はどんな経験でも受け入れ、吸収しようという姿勢を生み出すと思います。

とくに水墨画はもちろん芸術や武道、もちろん技術職の職人技や手術などもそうですが、尊敬と謙虚をもってよく見るということが大切だと思います。

自分がいまその場所に生きている瞬間の輝き、生命に対する深い共感、生きているその瞬間に感謝し賛美し、その喜びがある瞬間に筆致から伝わる。そのとき水墨画は完成する。(P338)

生きている輝き、共感、感謝、喜びは瞬間のもので、すぐに消えてしまいます。それを形として残しておくものも芸術の一つの特徴であり、役割なのだと思います。

言葉はいつも考えに繋がって僕を無気力にさせたけれど、絵は、水墨は、描くことで自分の考えの外側にある世界を教えてくれた。僕が何を感じているかを伝えてくれた(P360)

言葉は声として発せられれば、瞬時に雲散霧消します。録音でもしておけば残りますが、ほとんどの言葉は瞬時に消えます。

たよりなく、言葉を弄して益なく終わることも人生では多々ありますし、自分の考えを言葉に繋げる努力も、言葉の無力感を感じるだけに終わることもあります。

一方で絵や文字は残ります。数万年残った洞窟壁画や数千年残った文字もあります。そして言葉もそうですが、絵や文字は他人の目にさらされ、世界に働きかけます。

これはつまり自分の考えを言葉より明確な形にして自分の外側に出すことです。それと同時に他人の残した絵や文字を見ることで、外側の世界を自分に取り込むことになります。

また、自分の考えを絵や文字として表現して、反芻するように自らそれを見ることで、自分の考えを確認することができます。

*****

さて、この本のタイトルについても、いろいろ考えました。シンプルな言葉ほどこちらの想像力を掻き立てます。シンプルなタイトルも同様。

「線は、僕を描く」というタイトルを聞いたとき、そして物語を読みはじめて線の細い不安定な存在の主人公を知っていったとき、「きっと、境界不明瞭な主人公が周囲の人と交流していくうちに、次第に輪郭の線が描かれてきて、存在感のある人間になっていく話なんだろうなー」などと考えていました。

そういう要素もあるかもしれません。しかし、読んでみて感じたのは「線が僕の輪郭を作る」という意味ではなく、「線が僕の心身を表現している」という意味です。水墨画はまさにそのような芸術であります。

さらには、「線が翻って僕を描くようになった」という感じもしました。当初は見えない硝子の線で外なる世界から、あるいは内なる世界の中でも区切られていた主人公。

それが手を通して、筆を通してアウトプットしていくうちに、自分のアイデンティティを形作るようになったのではないでしょうか。

最初は線が不定形だった僕の輪郭を描いていった。それから主人公の内なる世界を外側の世界に描いていった。ついには、線が主人公を誘導するように、成長させるように未来を描いて行った。未来なんていうと軽々しい感じもしますが、人生を描くという感じです。

世界の把握には、こちらからの働きかけが大切です。物体の質感は、見ること以外に触ることでより豊かに感じ取ることができます。

主人公を囲んでいた、何もないようで進もうとすると阻む硝子の区切り。区切られてはいるが、見えない。そこに手は筆を持ち、世界に線を描くことで、しっかりと主人公の世界に対する働きかけを描き、生きる道を描いていった気がします。

また、線は点と点を結ぶものでもあります。この物語では主人公の考えていること、感じていることが水墨画として外の世界に描かれ、その線が内と外を繋いでくれたという面もあると思います。

つまり、「線が主人公の内なる世界と外なる世界を結んだ」という意味もあるのではないかと思いました。

自分の仕事、行動、立場、存在がどのように世界に働きかけているのか、自分は世界に対して自分の線を描くことができているのか、そんなことを考えさせてくれる物語でした。

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