脳科学からみた「祈り」 中野信子 潮出版社
お読みいただき、ありがとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
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今年は久しぶりに初詣というものに行ってきました。とりあえず、家内安全、交通安全など祈ってきた気がします。まずまずの行列で、後ろの人が待っていることを考えると、ゆっくり祈るわけにもいかず。
初詣の他にも、世の中では神社やお寺、あるいはキリスト教会でも「祈り」は行われます。平和や安全、幸福が祈られます。
この「祈り」という行動は、はたして効果があるのでしょうか。初詣の有無による、その年の良い悪いについての研究はなかったと思います。
ここで、「祈りは、そんな実質的な“効果”など求めるものではなく、祈る姿勢や気持ちが大切」と思う人もいるでしょう。私もそんな気がします。
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今回ご紹介する本は、そんな「祈り」を脳科学と結びつけた本です。私がこの本を読んだのは、現行のエクセル式記録をとり始める以前であり、本に書かれたメモによると2011年12月10日のようでした。
その年は、3月11日に東日本大震災が発生し、続いての原発事故もあり、今も尾を引いています。日本中が余震の鎮静、不明者の発見、原発事故の収束、そしていち早い復興を「祈って」いた年だと思います。
そして、そこから“絆”はともかくとしても、人間の生き方や家族、幸福などについて深い省察をおぼえた人も多かったことでしょう。
著者もそのような状況のなかで、自分の専門である脳科学からみた「祈り」を書かずにはおれなかったのでしょう。以下のように述べています。
いまの私にできることは、脳科学の知見をふまえ、「本当に幸福な生き方とはどのような生き方か?」を、多くの人にお伝えすること。本書は、そのためのささやかな試みなのです。(P10)
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最近、マインドフルネスなどの話もあり、この「瞑想」や「祈り」についても脳科学的に解明されて(あるいは説明されて)くるようになりました。
私も最近そういうことに興味を持って、ふとこの本を10年振りになりますが、読んでみたところです。
比較的平易で分かりやすい説明で書かれており、かつ興味深い内容の本です。
祈りつづけるなかで一念の転換を成し遂げ、浮気相手の幸せを心から祈れたとき、彼女の脳内にはベータ-エンドルフィンが満ちていたでしょう。そのことが脳と心に好影響を及ぼし、結果的に彼女自身が、それまで以上に魅力的な女性に変われたのです。(P31)
突然、不倫の話になってしまいますが、夫に浮気された妻が、浮気相手の女性を憎むのではなく、幸せを祈ったことが状況を好転させたという話です。
脳科学的には、引用に描いてありますように脳内物質環境が好転し、それにしたがい妻も魅力的に見えるようになったということです。
ランナーズ・ハイなどにかかわるこのベータ-エンドルフィンは、まさにいい意味での“ハイ”にさせてくれ、活動的になります。周囲から見ても魅力的になるのでしょう。
また、オキシトシンというホルモンは“愛情ホルモン”とも呼ばれ、母親が授乳しているときや、父親でも子供をあやしているときなどに分泌が促されるようです。こちらも気持ちを好転させます。
一方、“憎む”ほうは、ノルアドレナリンなどのストレスホルモンを増やし、血圧が上がったりイライラしたりと良くない方向に向かうのでしょう。そして夫もますます不倫相手に向かってしまうのでしょう。
このあたりは、『怒らないこと』でご紹介したアルボムッレ・スマナサーラ師の「慈悲の瞑想」とつながるところがあるなあと感じました。
祈りは「未来をよい方向に変えようとする営み」ですから、私たちは祈るとき、未来に心を向けます。将来かくありたい、かくあってほしいという願いが祈りなのです。だからこそ、祈りという営みの中で、人はおのずと展望的記憶を強化していけます。(P45)
認知症は高齢化社会の大きな問題です。「祈り」は認知症のような脳機能の低下に対しても、良い効果をもたらすようです。
さきほどのベータ-エンドルフィンやオキシトシンは記憶を司る海馬の委縮を抑え、記憶力の維持に結びつくようです。
海馬が司る記憶のなかでも「展望的記憶」というのがあり、これは「未来にやるべきこと」「将来行う行動」についての記憶であり、未来をいきいきを思い描くときに重要な機能です。
「祈り」はこの展望的記憶を強化し、まさに“生きる活力”を生み出してくれると言えるでしょう、
プラセボは、実験科学の世界では「切り捨てるべきノイズ」でしかありません。しかし、誰かの病を治していく、苦しみを取り除いていくという立場から考えるなら、「三割の人はプラセボ効果で改善してしまう」ということを、もっと積極的に評価し、利用していくことを考えてもよいのではないでしょうか。(P50)
新薬の臨床試験などで用いられる“プラセボ”というのは、いわゆるニセの薬であり、実薬と比較するために投与される無害無効(と考えられる)薬です。
しかし、実薬ではなくこちらを投与された群も、三割の人で実薬と同様の効果、つまり病気が治ったり症状が改善したりするそうです。それを“プラセボ効果”といいます。
しかし、プラセボだとしても、投与された人はそれを知らない場合が多いですので、“効きますように”と「祈って」服薬すると思います。
その患者の「祈り」あるいは、病気がよくなるといいなあという周囲の医師や看護師の「祈り」が、そこはかとない表情の変化や雰囲気の変化となり、病気を良い方向へもっていくのだと思います。
また、患者は祈ることでオキシトシンなどのホルモンが分泌され、これは免疫力が高まる効果があるようです。
そういったことが相乗効果をなし、病気を治す方向に向くのでしょう。
母親が赤ちゃんに授乳するときなどに分泌される「幸せ物質」オキシトシンは、上司が部下の成長を心から願うときにも、やはり分泌されます(その上司が男性であっても)。そして、そのことが当人に深い幸福感をもたらすのです。もちろん、その結果として部下が見事な成長を遂げたなら、そのこと自体がまた深い喜びになります。(P110)
オキシトシンというホルモンは、まさに「祈り」と脳・身体を結び付けるホルモンなのではないかと、この本を読んで感じます。
授乳の際に分泌されることで有名なオキシトシンですが、女性だけでなく男性でも「幸せ」にとって大事なホルモンのようです。
そして、母が子を思うように上司が部下を思うときにも分泌されるとのことです。
私も、部下と仕事の相談をしたり、部下と飲んだりしていると(これは「アルコール」という物質の影響もあるかもしれませんが)、幸福感を得ることがあります。
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このオキシトシンの働きは、古来、仏教の「利他」、キリスト教の「博愛」などにも裏付けられていると思います。宗教は「人間は他の人間のことを思いやって生きていく必要があり、それが幸せである」ということを、連綿と伝えてきたのでしょう。
オキシトシンは「ミラーニューロン」と並んで、“他人を思う”という人間の性質の、立役者と言えます。肉食獣などからみるとひ弱な動物である人間は、これらを駆使し「協力する能力」を発揮して、生き延びてきたのだと思います。
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本文の内容とは離れますが、私は「祈り」には「認知バイアス」を生み出す効果があるのではないかと思います。「祈り」は、その後に生じる出来事にさまざまなバイアスを付け加えるのです。
「認知バイアス」は客観的な世界把握を阻害して勘違いや思い込みなどを生み出す、やっかい者のようにとらえられることが多いものです。
しかし、「認知バイアス」があるからこそ、人間らしく豊かに暮らせるのではないかという気もします。認知バイアスがあるからこそ、“感動”、“意外性”などを得ることができ、 “感性”や“直感”などの能力を発揮して生きていけるのではないかと思います。
こういったことは、客観的観察に長け「認知バイアス」なんてまったく生じない、ホルモンなんて物質の使用はどだい無理で、心臓のドキドキも胸が苦しくなる感じも空腹感も心が熱くなる感じもしないAI殿には、無理な話でございます。
そして、「祈り」やその集合体のような「儀式」は、この「認知バイアス」というファジーな世界のとらえ方、つまり世界を厚みのある可能性(悪く言えば曖昧さ)を付与して見る能力、を生み出すためにあるのかもしれないと思いました。
そういった意味では、近年新型コロナ感染症で減っている成人式、歓送迎会、忘新年会なども、面倒くさくて不要のものにも思えますが、「儀式」として、その後の人生に豊かな「認知バイアス」をもたらし、人間らしい生き方を実現するのかもしれません。
思考に対しては「認知バイアス」を、脳と身体に対してはオキシトシンなどを与え、人間が人間らしく生きるための秘訣が、「祈り」や「儀式」なのではないかと、強く感じます。