弓道の周辺

2021年10月31日

凛として弓を引く 碧野圭 講談社文庫

弓道関係の小説やマンガは、あることはありますが、野球やサッカー、バスケットボールなどのスポーツに比べれば少ないでしょう。同じ武道である柔道や剣道と比べても、少ないかもしれません。

競技(?)人口が少ないこともあるかもしれません。一方では、他のスポーツ、武道と異なり動きが少ないこと、個人的な技量に左右されること、そして技術もさることながら精神的な動きや影響が重要なスポーツであることも、関係しているかもしれません。

一般的なスポーツについては、もちろん日々の練習や精神の向上など隠れた努力が描かれることもありますが、試合などの白熱するシーンが魅力を生み出します。

剣道や柔道なども、弓道と同様に精神面が重要なスポーツですが、やはり迫力ある場面が読者を引き込みます。

しかし、一般的な小説やマンガ、あるいは映画やテレビドラマにしても、出来事の内容が面白ければ、面白いわけではありません。

それに関わった人間の心情や思惑、変化が描かれ、それを読んだり視たりした人が自分と照らし合わせて感じとり、共感できる点が、面白いのだと思います。

弓道はたしかに動きが少ないかもしれません。しかし、静寂の中に淡々と行われる弓道の中には、ダイナミックな精神面の動きがあると思います。

また、「体配」といった歩き方や起居動作など、少ない動きの中にも多くの意味や心構えが含まれています。この小説は、そういった弓道の深みをうまく描き出すことができていると思います。

さらに、作者ご自身も弓道をなさっているからこそ描ける技術や練習、道具や段位審査の話などもあり、弓道をしている人であれば「ウンウン」という感じでしょう。

主人公と弓道にまつわるドラマチックな人間関係も面白く、弓道のことを知らない人も楽しく読み進めることができると思います。弓道を始めたばかりの人、弓道のことを知りたい人にも良い一冊です。

「問われているのは技術ではなく、弓に向かう姿勢ではないでしょうか」(P156)

矢を的に当てるための技術も大切ですが、この弓矢という非常にシンプルな道具を使う弓道というものは、道具がシンプルなだけにちょっとして手のブレや腰の不安定、体軸の傾きが大きな影響を出すと思います。

それらの動きを統御するための技術的な方法論としていわゆる「射法八節」があります。しかし、型だけをビシッと進めても、機械のように精確にブレることなく発射することはできません。

機械は、おそらく鉄かなにかでできているので、ブレることも少なく、距離や角度、引き具合などを調整すれば必ず当たるでしょう。

しかし、人間の身体はブレます。そこをいくらかでもブレないように、あるいは変な力がかからないように全身(身体、技術)全霊(精神)をかけて行うのが弓道です。

キカイの場合は弓を“発射“するのかもしれませんが、弓道では我々は”射を行う“のです。キカイの”発射“に相当する(?)”離れ“の瞬間のために、膨大な”行い“を積み重ねていくのです。

そもそも、最近の思想ではなんでもかんでも二元論にするところが、西洋的で、困った点かと思います。

デカルトでしたか、身体(筋力や技術)と心(精神)という二元論にしてしまったのが悪いのではないでしょうか。

技術は精神から生まれ、精神は技術から生まれるというように、グルグルと絡み合ってお互いに影響し合い、高め合っていくようなものではないかと思います。

「確かにね、続けられるかどうかなんて、いまはわからない。だけど、私は楓に弓道を続けてほしいと思うんだよ。道とつくものは普通の楽しみとは違う、それこそ一生続けられるたしなみだからね。私自身も茶道を長年続けてきたことが自分の財産だと思っているし、(P203)

一般的なスポーツと異なり弓道の良い点は、あまり動かないこともあるかもしれませんが、かなり高齢になっても続けることができることでしょう。

さて弓道でも、様々な道具を使います。弓矢はもちろん、手につける“かけ” (弓懸、弽)、袴といった衣装や弦など。

始めるにあたってこういった道具をそろえることは、たとえば高校や大学に入学して初めて弓道を始めようと思うときにネックになるかもしれません。

でもそこは、この本で主人公がそうしているように、部活なり団体の弓などを借りて始めることができます。

本文中にもありますが、ある程度弓を引いてみないと自分に合った弓の大きさや強さが分からないということもありますので、まずは借りて始めるのがよいでしょう。

微妙なサイズが大事で早くからなじんだほうがよい“かけ”といった道具は、個人所有として早めに購入するのがよいでしょう。

その場合も、続くか分からないからと未来のことを考えるのではなく、むしろ“続けるために用意するんだ!“といった意気込みでもいいかもしれません。

入る部活、サークルを選ぶのも、よくある“可能性の選択”に当たると思います。自分がやっていけそうなところに入るのではなく、やってみたいことを、やっていくために入るのです。

就職先を選ぶこと、医学生が将来自分の進む専門科(内科、外科など)を選ぶことと一緒です。進んだ道が正解なのです。

「そうね、いろいろ理屈をつけるより、そういうことが大事よね。私もここが好き。暑いし寒いしおんぼろだけど、それも弓道場らしい、っていうか」

「あ、それわかります。弓道って普通のスポーツと違ういろんな面倒なことがあって、だけど、そこがいいんだって思う。全部含めて弓道って気がする」(P270)

弓道は禅の思想に根差しているところが大きいと思います。ある意味、弓を引くこと自体が、禅を実行する手段の一つとも考えられるでしょう。

『禅と日本文化』『弓と禅』の紹介記事もご参照ください)

禅や瞑想と似たものに最近流行りの「マインドフルネス」があります。

禅には“歩く禅”、“食べる禅”など行為そのものを禅とみなし、生活所作の一つ一つに心を込める考え方があります。

マインドフルネスでも、いわゆる坐禅のような座って呼吸や思考に注意を払う瞑想もありますが、一歩一歩の脚運びに気遣う“歩くマインドフルネス“や、食べたものの香、舌触り、食感など様々な要素に気遣う”食べるマインドフルネス“といった考えもあります。

弓道も、その所作に一つ一つ気を遣うところは、こういった禅やマインドフルネスと通じるところがあると思います。

さらに、禅では日常動作に大きく注意を払います。道元の『典座教訓』にあるように食事もそうですが、規則正しい生活や掃除などさまざまなことに気を遣います。

弓道場や道具を大切に使い、また他のスポーツと違って面倒くさいことがいろいろありますが、それらもまた弓道の良さだと思います。

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自分もだいぶ弓道から離れて生活していますが、ときどきこういう本を読むと弓道を思い出しますし、弓道っていいなあと感じます。

弓道に限らず、日本文化は禅に繋がるところが多く、またそれが日本文化、日本人的思考のよい点かと思っています。

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