小林秀雄が語る人生のキーワード

2020年11月28日

人生の鍛錬 小林秀雄の言葉 新潮社 編 新潮新書

小林秀雄については、以前も『読書について』の紹介などで書かせていただきました。

私が「言葉」「文章」「批評」「読書」といったキーワードを考える時に、いつも頭の中にフッと浮かんでくる人物です。氏はどのように語っていたかな、と。

この本は、そんな小林秀雄の膨大な著作から厳選された、氏の言葉をちりばめた一冊です。まさに小林秀雄のエッセンスが凝縮された本です。

小林秀雄入門として読んでみても、またときどきパラパラとページをめくって眺めてみるにしても、良い本だと思います。

これを読んで、小林秀雄の思想の入口とするのもいいでしょう。この本ををきっかけに、氏の著作に興味を持つ人も多いのではないかと思います。

批評

批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事でない。批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!

(P13)

「批評の神様」と呼ばれる小林秀雄に、批評について述べてもらうのは幸せなことです。

どれどれと聞いてみると、“批評の対象は己れであり他人である”、“批評とは己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか”と言っています。

批評とは、対象についてあれこれ言っているようですが、結局は「対象と接したことによって自分はどう感じたか、変わったか」というところだと思います。

対象となったものと、幸運にも出会うことができ、そのことによって自分はどう感じ、どう影響されたかということです。

本の批評、映画の批評、絵画の批評、思想の批評。いろいろありますが、批評としてなにか述べるにしても、一度「自分」というフィルターを通してみなければなりません。

他の人が言っているようなことを言っても、面白くないのです。その人だからこそ言える、感じられることを述べてこその批評です。

逆に、批評しようとする姿勢は、「自分」というフィルターを最大限に発揮しようという姿勢だと思います。だから、批評は己れを対象とし、己れを語ることなのです。

たんに対象は、そのきっかけというか、「自分」を表す手がかりなのです。

対象についてあれこれ言うことを通して「自分」をしっかり表現できる人が、「批評のうまい人」なんだと思います。

読書

愛読書を持っていて、これを溺読するという事は、なかなか馬鹿にならない事で、広く浅く読書して得られないものが、深く狭い読書から得られるというのが、通則なのであります。(P52)

往年の烈しい知識欲や好奇心を思い描いてみると、それは、自分と書物との間に介在した余計なもののように感じられる。それが取除かれて、書物との直かな、尋常で、自由な附合の道が開けたような気がしている。

(P217)

多読もいいですが、いつか「愛読書」と言える本と出会い、その本を長く溺読できればと思います。

もしかしたら多読には、素晴らしい本との出会いを求める心が、その根底にあるのかもしれません。

多読を目的にしていると、「愛読書」に気づくきっかけを逃して、次の本にうつっているのかもしれません。

ある程度本を多く読んでくると、なんとなく読書のコツがつかめたり、話のスジが読んでいるうちに早めに分かってきたりします。

それでつい流すように読んでしまうことも多いです。

読書に慣れてきたら、自分の「愛読書」ともいえる本との出会いを気にしながら、読み進めたり、以前読んだ本を見直してみたりするのもいいかもしれません。

知識を求めて、好奇心のままに多読をするのも良いと思いますし、読書の進め方の基本だと思います。

しかし、そういった自分と書物の間に介在する要素を取り除いても、書物と自分との一体感が感じられるような本に、いつか出会いたいものです。

独創

独創的に書こう、個性的に考えよう、などといくら努力しても独創的な文学や個性的な思想が出来上がるものではない。あらゆる場合に自己に忠実だった人が、結果として独創的な仕事をしたまでである。

(P73)

独創的ということは、その人の個性を存分に出せた時に生まれると思います。

では、その人の個性を存分に出すにはどうすればいいのでしょうか。そもそも、その人の個性なんて、自分では分かりません。

人間の個性は、ある程度周囲が作っていくものではないかとおもいます。周囲の人間とのつながりによって、徐々に形成されていくものだと思います。

いや、人間だけではありません。動物や物、作品や音楽、あるいは楽しいことやつらいことの経験など。すべてがその人を作っていくのだと思います。

まずは、義務教育でもなんでもいいですが、人間として生きていくための基本的なことを覚える必要があります。逆に、大人は子供にそういったことを教える必要があります。

そうやって人間として生きていけるようになり、現在の社会で生きていくために必要なある程度のツール(科学や人文学の知識など)を身に付けます。

そして、社会に出てから、人間として他とのつながりを持っていくうちに、その人の個性が出てくる、というか作られるのだと思います。

芸術作品でも、独創性を生み出すためには、まずは模倣が必要といいます。基本的なことは身に付けて、それをしっかりできるようになったときに、そこから独創的な部分が浮かびあがるように出現するのです。

文章

仕方がないから、丁度切籠の硝子玉でも作る気で、或る問題の一面を出来るだけはっきり書いてごく短い一章を書くと、連絡なぞ全く考えずにまるで反対な面を切る気持ちで、反対な面から眺めた処を又出来るだけはっきりした文章に作り上げる。こうした短章を幾つも作ってみた事がある。だんだんやっているうちに、こういう諸短章を原稿用紙に芸もなく二行開きで並べるだけで、全体が切籠の硝子玉程度の文章にはなる様になった。

(P91)

文章を書くのは大変な作業です。ちょっと違う話かもしれませんが、私が文章を書くうえで、なんとなく感じていることがあります。

一気に書き上げようというよりは、こういった短文を書いていくのです。ワードで書いていると、一つの文章が一行にも満たないことが多くあります。

一つの段落は、2行程度(80字前後)にして、その段落をいくつか書くようにしています。

小林秀雄の文章も、短文の連続が特徴的と言われています。その一文一文が、切籠細工の模様の一つなのかもしれません。

一つの模様としても、鋭くクッキリと削り込まないと、模様もぼやけてしまい、全体として作品の美しさを導き出しません。

これは、一つ一つの文章でいいたいことをズバリと書かないと、文章全体の内容がぼやけてしまうことに似ているかもしれません。

そして、小さな模様をたくさん並べることにより、切籠細工の硝子玉や花瓶のような、素晴らしい作品ができるのです。

言葉

菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って来れば、諸君は、もう眼を閉じるのです。それほど、黙って物を見るという事は難しいことです。菫の花だと解るという事は、花の姿や美しい感じを言葉で置き換えて了うことです。

(P176)

言葉の特徴の一つに、“限定する“ということがあると思います。言葉として表してしまうと、様々な要素は結構振り払われます。また、言葉を聞いた人は、それぞれの人なりに様々な要素を付け加えてしまいます。

花の姿や美しい感じ、きれいな色味、かすかな香り、周囲の光加減。これらは道端にさく菫の花を見た一瞬に自分の中に入ってくる情報です。

それらをすべて、表現するのは難しい。人に伝えるのは難しい。“菫の花“と一言に云えばOKなのですが、そこには上に述べた色々な要素は見られません。

せいぜい“美しい菫の花”程度に修飾を加える程度でしょう。無理して、“美しくきれいな色でかすかな香りの光にあふれた菫の花”などと修飾し過ぎると、かえってカチコチの菫の花になってしまいます。

言葉の利便性の一つに伝える手段になるということがあります。「菫の花」と伝えれば、相手も相手なりの「菫の花」を思い浮かべてくれるでしょう。

ただ、それは相手なりのものです。こちらが菫の花を見て自分の中に受け取ったすべてを、相手も感じることはないでしょう。

言葉を使ううえで、気を付けておきたいところです。

親友

露骨な思想上の一致や生ま生ましい感情上の共鳴を、二人は本能的に嫌い、これを務めて避けてきたようである。そんなものを頼りにしているようで、長い間の付き合いが持続したわけがないのを、互に感じ取っていたようだ。表には顕れぬ、もっと深いところで、互に人生観上の通路を持っている事を、信じ合って来たように思われる。

(P238)

どうか、気の合う人とは長く付き合っていきたいと思うものです。

しかし、関係をうまくやっていくために相手に迎合したり、上辺だけとりつくろったりしては、長く続かないと思います。

付き合うきっかけとしては、“思想上の一致や感情上の共鳴“でもいいのかもしれません。考え方が合ったり、趣味が合ったりと。

でも、二人は全く同じ人間というわけではありませんので、どこかしら思想や感情で一致しないところはあります。

そこを、無理して合わせるか。うまく付き合おうと考えていると、合わせてしまうかもしれません。

でも、その二人の違いこそが、長く付き合っていくためのカギのようにひっかかる部分なのかもしれません。

これは、親友関係のみならず、上司部下の関係や同僚との関係にも繋がるでしょう。

自分と考えのちょっと違う相手だからこそ、ときどき「アイツならどう考えるか」とか、「上司ならどう考えるか」というように想像することができます。

そういった思考法が、自分の考え方ではうまくいかない問題の解決に導いてくれることもあるのです。

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まだまだご紹介したい「言葉」がこの本には詰め込まれています。「芸術」「仕事」「古典」「後悔」「問い」、などなど。

そこはぜひ、みなさんもこの本をお手にとり、読んでみてください。

必ず、自分の考えに合った言葉、自分の考えを揺さぶる言葉、あとあと生きてくる言葉、そういった言葉に出会えると思います。

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