「身体性」と「精神性」を鍛えるために

身体能力を高める「和の所作」 安田登 ちくま文庫

『免疫の意味論』などの著者である免疫学者の多田富雄先生は、「能」についても造詣が深く、ご自身で新作能を作られたほどでした。

そんな接点でのみ、私は「能」について知っている程度で、正直なところ失礼ながら、「なんだかゆっくり動いて謡っていて、あまり面白くなさそう」と感じていました。

今回ご紹介する本は、そんな「能」の能楽師である安田登氏の著作です。「能」からつながる身体動作、身体感覚、あるいは呼吸などについて、さまざまな著書を出されておられます。

私は、氏の出演しているテレビ番組を拝見して、その声の通り具合と姿勢の良さに惹かれ、著書を読んでみたいと思ったのでした。(私はテレビ嫌い派ですが、こういう点ではテレビもいいですね)

「能」は「身体性」と「精神性」を大切にしており、この二つの要素を鍛えることは他の武道や芸能、あるいは日常生活にとって非常に役に立ちます。

身体と心の関係と使い方を、「能」という切り口から見た、実践に富んだ本です。身体と心の関係に興味がある人はもちろん、武道やスポーツをされる人、はたまた健康に気をつかう人には、ぜひ読んでいただきたい一冊です。

現代からするとバカバカしく見える一つひとつのことが、すべて備わって、やっと武士なのです。その武士たちの身体性と精神性を養い、それを表現する芸能として、能は武士たちに尊ばれてきました。

(P32)

武士の示す身体性と精神性を表したのが、まさに「武士道」なのだと思います。

そして、武士の武士道に限らず、日本古来の「~道」というのは、いずれも身体性と精神性を大切にしています。

いわゆる武道としてまとめられる柔道、剣道、空手道、弓道などは、競技として相手を打ち負かす、型を示す、あるいは的に当てるための身体性はもちろん必要です。

しかし、礼儀であるとか、集中、気合、謙虚、平静、思いやりなど精神的な面が、技術の巧拙と同等かそれ以上に重要視されます。

また、茶道、書道、華道など武道以外のものでも、決して精神性のみではなく立ち居振る舞いや、手足の動きの勢い、無駄のなさなど、身体性も必要です。

そういった場面での身体性を支えるものの一つが、この本で紹介されている「深層筋」であり、精神性を支えるのに役立つのが「呼吸」なのです。

鈴木大拙の『禅と日本文化』にもつながる話です。日本人は、こういった身体性と精神性を組み合わせたやり方が、得意なのかもしれません。

外来スポーツであるサッカーや野球にしても、レスリングにしても、あるいはマラソンや短距離走にしても、身体性としては、体格の優位や外国人にかなわないかもしれません。

しかし、身体性を鍛えるのはもちろん、精神性も鍛えることが、スポーツにおいて日本人が世界から跳び抜けるための、一つの考え方かもしれません。

実際に、日本人に限らず各界で活躍している人は、身体性のみならず精神性でも秀でていると思います。

大腰筋を活性化することは、全身の深層筋を目覚めさせることにもなります。このことで、従来とはまったく違った体の使い方、疲れを感じにくい動作、ストレスを感じない動きが可能になるのです。

(P53)

「身体性」にとって大事なものの一つが、「大腰筋」です。

弓道などでも、「すり足歩行」といって、膝をあまり曲げずに下肢全体を動かすような歩行を行います。ぎこちないとロボットのように見えます。

このときに用いられているのが、大腰筋です。一般的な膝を曲げて持ち上げる歩行では、膝から上に付いている大腿四頭筋など表層の筋肉が用いられます。

大腰筋は、①太ももを上げる、②上体を起こす、③背骨を支える、④骨盤のバランスを整える、といった働きがあります。

つまり、歩行や階段登りはもちろん、常住坐臥、バランスの良い姿勢の維持に重要なばかりではなく、内臓機能を高め呼吸を安定させる非常に重要な筋肉なのです。

深層にあり、大腿四頭筋(太ももの前の筋肉)などと違って触れることも難しく、あまり意識されない筋肉ではあります。

しかし、能においてはもちろん、その他さまざまな武道やスポーツ、あるいは健康維持のためには重要であり、ぜひとも鍛えておきたい筋肉です。

その大腰筋の意識のしかた、鍛え方も紹介されています。私もときどき腰が痛くなったり肩がこったりしますので、この本をみて大腰筋を意識して鍛えてみたいと思いました。

本来はコントロール不可能な息を「心」でコントロールすることができるようになった人間は、それを繰り返しているうちに、その逆、すなわち呼吸を使って「心」をコントロールすることもできるということに気づき始めたのです。

(P162)

「精神性」にとって大事なものの一つが「呼吸」です。もちろん「身体性」とも深くかかわっています。

筋肉には自分の意思で動かすことができる随意筋と、自分の意思で動かすことができない不随意筋があります。

手足や体幹を動かしたり、顔の動きを作ったりする筋肉は随意筋であり、心臓の心筋は不随意筋です。

では、呼吸のための筋肉はどうかと考えると、両方の性質があることが分かります。普段は勝手に動いていますが、自分で調節して呼吸することもできます。

不随意筋は主に自律神経により支配されており、感情など「心」の状態に大きく影響されます。怒ったり焦ったりすれば心臓がバクバクしますし、落ち着いていればゆったり動いています。呼吸も、心臓と同様に感情に応じて遅速、深浅があります。

このように、「呼吸」は「心」による影響を受ける動作である一方、自分で調節できる動作でもあります(心臓と違って)。

そして、逆に、「呼吸」を調節することによって、「心」を調節することもできるのです。焦ったときなど、深呼吸をして「呼吸」をなんとか落ち着けることにより、「心」も落ち着けたことが、みなさんもあるでしょう。

古くからの禅の瞑想や、いま広く流行しているマインドフルネスなども、同じ考えだと思います。より「呼吸」に集中することにより、「心」を落ち着け、普段は雑念に埋もれていた本当の心の機能や輝きを取り戻すのです。

一方、他の随意筋が「心」に影響を与えるという話もあります。たとえば、普通のときでも“ニッコリ”した表情をわざと作ると、楽しい気分になることもあります。運動して気分がよくなるのも、似ているかもしれません。

とかく「心」に支配されがちな身体ですが、逆に身体から「心」を調節してやろうという考えも重要だと思います。

大人は環境を整えてやることと待つことしかできません。あとは子供にまかせるのが、いちばん手っ取り早くて最善の方法です。

(P181)

子供を相手に長年のあいだ稽古を続けてきた著者の言葉です。エクササイズを行っていて、飽きたりすることもあります。

たいていの大人の対応は、無理やり続けさせるパターンと、「いやならやめなさい!」などと怒るパターンです。これらは、「待つ」という選択肢を忘れた我々が行ってしまいがちな対応です。

「稽古」という言葉は、「練習」や「訓練」と異なり、「身体性」としての技術のみならず、「精神性」としての心の持ち方も身に付けてもらうという感じがします。技術はともかく、心の持ち方に成長をもたらすのは時間が必要です。

ともかく、勉強にしても、教育にしても、そして稽古にしても(練習、訓練もそうですが)、結果が出るまでには時間がかかることが、世の中には多いのです。

現代は、必要な「もの」はお金があればコンビニなどで「いつでも」手に入れることが可能であり、さらに必要な「知識、情報」でさえも、ネットやスマホで「いつでも」手に入れることが可能な世の中になりました。

そうすると、「待つ」ということができない社会になってしまったわけです。(『「待つ」ということ』参照

しかし、子供なんかはとくに「待つ」ことが大切な対象だと思います。これから成長するんですから。

「結果」を性急に求めず、周囲は親も教育者も自分の立場でできることを施して、あとは「待つ」ことが大切です。

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