「成長」を求めて

2020年1月6日

なぜ、優秀な人ほど成長が止まるのか 田坂広志 ダイヤモンド社

著者の田坂広志氏はプロフェッショナル論をはじめ多彩な著作を著しています。私は、『知性を磨く』を最初に読ませていただき、「知識から知恵へ」の考えにすっかり感銘を受けました。

仕事論はもちろん、生命論、社会論、歴史論などについての書作も多く、今後もこのブログでご紹介していきたい本ばかりです。

今回ご紹介する本は、優秀な人が陥りがちな「成長の壁」についてのものです。

学歴、経験、感情、我流、人格、エゴ、他責といった「壁」を想定し、それらの壁に対してどういう姿勢で対峙すべきかを述べています。

人生は順風満帆が続くわけではありません。いつかは「壁」にぶつかります。しかし、ぶちあたる「壁」にも意味があります。

いま順境の人も、逆境の人も、どんな状況でも「成長」を得ながら人生を進めていくために、一度読んでいただきたい本です。

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「下段者、上段者の力が分からない」(P34)

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上司の考えていることは自分の想像を凌駕していると思う

たとえば、上司に相談にいくとする。想定される答えと、それに対する対応も一応考えていく。しかし、上司は想定外の意見をいう。意外と思いながらも、納得する。

「無知の知」という言葉もありますが、自分がどの程度知っているかというのは、自分では分からないものです。「分からない」ということさえも分からないんですが、そういうもんだと思っているほうがいいんでしょう。

自分が知っている範囲というものは案外狭いものです。自分の狭い考えで、上司に相談したらこう言われるだろうなあと想定して、実際に上司に当たってみると、まったく意外な答えが返ってくることがあります。

そういった場合には、上司がなぜそう考えたのか、その根拠も突き詰めておく(できれば聞いておく)のが、次につながる勉強になると思います。

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「我々は、言葉にて語り得るものを語り尽くしたとき、言葉にて語り得ぬものを知ることがあるだろう」(P88)

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「言葉で語り得ぬもの」も伝えたい

引用の言葉は、ウィトゲンシュタインのものですが、ポランニーのいう「暗黙知」にもつながるかもしれません。前者は哲学における話ですが、後者は「経験知」とともに、言葉では伝えることのできないものが、我々の成長の要素として重要なことを示していると思います。

「暗黙知」を学ぶという姿勢は、いわゆる「背中をみる」というような、言葉ではなくて上司や先輩の行動をみて、自分で学んでいくという姿勢でしょうか。技術を「盗む」というのも、これに当たるかもしれません。

たとえば手術にしても、解説しながら手術手技を教示することも重要ですが、ビシッと繊細な操作を見せて、暗黙のうちにそのエッセンスを伝えるというのも、必要と思います(もっとも、こちらは受け取る側の要素も大きいと思いますが)。

しかし、教える側はそう思って黙々としていても、教わる側は何がポイントなのか、見所なのか、学ぶべきなのかについて、なかなか分かるものではないと思います。

そこで、仕事を始めたばかりの新入社員や研修医には、言葉を用いて、こちらがクドイかなと思うくらいの調子で教えてあげることが必要かと思います。

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では、この「反省日記」を、どう書くか。
まず、「反省日記」においても、「反省対話」と同様、その日一日の仕事を振り返り、「技の働き」の振り返りと「心の動き」の振り返りを行うことが基本になります。
すなわち、その日の商談や交渉、会議か会合などでのスキルやテクニックについて、「技の働き」の振り返りを行い、そこでの顧客や交渉相手、会議参加者や会合相手の「心の動き」を振り返ることが基本になります。(P95)

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体験を経験・知恵に昇華する「反省」

「体験」だけでは、時間と共に薄れて消え去ってしまいます。経験・知恵として身につけつ必要があります。「体験」を「経験」に、「経験」を「知恵」に昇華するために、著者は「反省」が重要といいます。

「反省」とは、決して過ぎたことを悔やむ「後悔」ではなく、実際体験したことから、何が起こったのか、どのようなことを感じたか、対応はどうだったのかを、ゆっくりと考え起こすことです。

この「反省」を行うことで、ただ流れ去ってしまう「体験」が、「経験」として身に付き、次に生かすことができるのです。

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自分のプロフェッショナルとしての技術や心得を、いつも厳しい眼差しで見つめ、ときに厳しい声で指摘してくれる「師匠」を、心の中に育てておくことです。(P156)

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心に「師匠」を 

私淑という言葉があります。極端に言えば、向こうは弟子だと思っていなくても、(なかば勝手に)自分がその人の弟子だと考えて、その人の考えや技術などを勉強し身につけようという考えでしょうか。これは歴史上の人物など現存しない人物も対象にすることができます。

職場の直属の上司などが素晴らしい人物であり、「師匠」とするにふさわしい人であれば幸いですが、そうでない場合も多々あると思われます。そういった場合には、本を読んで感銘を受けた人物であるとか、会うことはかなわない憧れの人などを、こちらで「師匠」と考え、その考え方などを勉強するのも良いと思います。

迷ったときに、あの「師匠」であればどのように考えるだろうか、などと思いをめぐらすのも悪くありません。

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「逆境」とは、大いなる何かが、
我々を成長させようとして与えるものであり
我々の人生を導こうとして与えるものである
(P226)

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「逆境」の意義

「逆境」が人を成長させるとは、よく言われることです。人は順境では成長しません。いいところ現状維持か、状況に甘んじて下落することもあります。

宇宙飛行士が無重力の宇宙空間で筋力低下を予防するために、日々筋力トレーニングを欠かせないように、我々も(日々はつらいですが)適度な「逆境」を経験して、少しずつ今までの自分を越えていけるようにしたいものです。

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この「引き受けの技法」は、「人生で出会う人、誰もが、自分に大切なことを教えてくれている」という意味を、さらに超え、「人生で起こる出来事、すべてが、自分に大切なことを教えてくれている」という、究極の学びの姿勢に他なりません。(P236)

こうした「因果的なつながり」が無い出来事にも、「意味のつながり」を感じ取り、それを自身の心の成長に結びつけていく力は、人間の持つ「成熟した精神」の力であり、我々が、逆境を超え、人生を拓いていくために、極めて大切な力でもあるのです。(P240)

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起こったことすべてを「引き受ける」

どんなことにも意味を見出す

良い出来事はもちろん、嫌な出来事も自分の人生にとってすべてなんらかの成長の足しになるんだという考え。

たとえ些細なことでも、それが自分にとって何を教えてくれるんだろうか、自分はこの出来事から何を学ぶことができるんだろうかという姿勢が重要です。

「引き受ける」ということは、「責任」をもつということでもあります。その出来事に出会ったからには、「同じようなことが今後起きれば、うまく対応できますよ、任せてください!」という責任=対応能力がつくわけです。

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最後に、成長を続けていくために必要なものとして、「謙虚さ」があると思います。

「謙虚さ」は教えられたこと、感じたことを自分の成長につなげる吸収力に関わるのです。

「謙虚さ」について語ることが一番「謙虚さ」が無いように感じる今日この頃ですが、やはり優秀な人材の落とし穴や成長の滞りには、「謙虚さ」の欠如が関連していると思います。

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