医療における「対話」の重要性

2020年1月2日

対話する医療 孫大輔 さくら舎

「対話」とはどんなものでしょう。「会話」や「話し合い」よりも「結論」を導きだすことを重要視するものであります。一方で、「議論」や「討論」よりは「結論」を一つに決めようというものでもありません。

一つの結論に辿り着ければ、それはそれでいいのですが、辿り着けなくても、その過程で形成された「共感」や「納得」を大事にする行動かと思います。

ことに医療は「患者さん」「病気」、はたまた「社会」などといった、決して「正しい答え」がある対象を相手にしているわけではありません。

というのも、試験問題では必ず「問題と正答の組」が用意されており、その「正答」を提示することが必要です。しかし、実際の患者さんを相手にした場合には、まずどのようなお話を伺ったらいいか、どのような検査をするといいか、といういわゆる「問題を作る」作業があります。

この本では、医療における「対話」について、職場コミュニケーションから患者さんとの関係など幅広く考察しています。医療においてはエビデンスが重要ですが、最近ではナラティブという概念も重要視されており、それについても触れています。

「対話」を一つのツールとして、今後の医療を進めていくことはますます重要になると思います。共感される方には、ぜひ読んでいただきたい一冊です。

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・・・スタッフ間での「対話」も重要です。これは情報共有するだけの「申し送り」のようなコミュニケーションでは不十分です。患者・家族は何に困っているのか、患者のふるまいの背景には何があるのか、患者・家族が望むケアとは何か、といったことに関して、各職種が自由に考えを述べ合えるような場が必要です。(P56)

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多職種連携を成功させるための「対話力」

心療においては、いわゆるカンファレンスという医師や学生中心の症例検討会のほかに、看護師など病棟スタッフやリハビリスタッフ、あるいはソーシャルワーカーなども交えて行う多職種カンファレンス、また、治療方針を検討する場合など家族も含めた家族カンファレンスが行われます。

そういったカンファレンスで重要な要素の一つが「対等性」です。やはり普通の症例検討会でも、自由に発言できる雰囲気が大事だと思います。どうしても下がおどおどプレゼンして、上が厳しく指導するような感じになってしまいますが。

多職種カンファレンスなどでも、さらにこの「対等性」は意識しなければならないものです。とくに医療の世界では医師が主導的な位置を、一応は占めておりますので、医師の発言が大きくなりがちです。医師はそれを踏まえて、幅広い意見を取り入れることができるように「対等性」を常に考えることが重要です。

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「不確実性への耐性」とは、不確実性を許容する寛容さを身につけるということ、不確実性へと開いていくような対話のやりとりを目指し、結論が出なくてもその曖昧な状態に耐えること、病名でラベリングして一方的にアセスメントしないこと、などを意味します。結論は誰にもわからないので、ダイアローグは、そのような偶然性と未知への可能性が拓かれている一つの旅なのです。(P96)

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正答のない問題を相手にしていくこと

前にも述べましたが、正答のないものを相手にする場合には、より妥当な答えを導き出すことが一応のゴールになります。この「答えを導き出す」という作業にとって、「対話」は良い方法だと思います。医療者間においても、患者さんとの間においても。

しかし、かならずしも妥当な答えが見つからない場合もあります。そのときは、性急にアセスメントして答えを決めてしまうということはしないで、答えのない「不確実な」状態を過ごすことも考えなければなりません。

精神科医であり小説家の帚木蓬生氏は著書の「ネガティブ・ケイパビリティー」で述べています。「ネガティブ・ケイパビリティー:消極的な能力。何かを積極的に解決するのではない、むしろあえてそれをしないでいられる力。答えの出ない事態に耐える力」も必要であると。そしてその場で必要なものは「共感」であると。

必ずしも患者さんに「答え」を提供できる場面だけではありません。「対話」を通して答えを模索しながら、「共感」を絶やさず過ごすことができればと思います。

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人工知能と共存する時代が来たとき、医師に残される仕事、人間の医師でないと不可能な仕事とは何でしょうか。それは一言で言うと「ヒューマン」な仕事です。「迷い」や「葛藤」をも含むような意思決定、患者との「情緒」や「共感」の交流、人間同士の関係性から構築される「信頼」といったものは、医師の仕事として最重要のものになるでしょう。そうしたヒューマニティに関する資質や能力を育み、高めるような教育をいかに発展させることができるかが、これからの時代の医学教育に問われています。(P188)

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人工知能時代の医学教育

病理医・放射線診断医、薬剤師の調剤業務のほかにも、簡単な臨床診断や一部の手術でさえも、人工知能のほうが得意になる時代が来ると思われます。

そういった中で「人間の医師」が何ができるかというと、やはり「情緒」や「共感」、「信頼」といったものであり、そうした資質や能力をいかに教育できるかが、これからの医学教育の大きなポイントだと思います。

これについては、私はやはり「人間学」の勉強につきると思います。その点でも「読書」が大きな力を発揮するのではないでしょうか。

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患者を取りまく治療の選択肢が、代替医療も含めて多様化しており、それが、患者が経験する「不確かさ」と関係しているという見方もあります。

・・・そうした中で、アトピー性皮膚炎の患者さんたちは、何を根拠にどのような治療を選んだら良いのか判断するのが難しいという「不確かさ」を抱えることになります。

・・・民間療法も含めてさまざまな治療法を試し、「トライアル・アンド・エラー」を繰り返しながらも、主体的に治療を選択していき、自分の身体にとって効果があると感じたものを取り入れるようにしたところ、少しずつ自分の身体が良くなっていったと言います。(P204)

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患者の「主体的選択」が不確かさを減らす

「病状はこうこうで、治療としては、これこれがあります。それぞれのメリット、デメリットはかくかくしかじかです。さあ、選んでください!」

とかく我々も、上記のようにエビデンスに基づいた情報を患者さんにもれなく提供し、患者さんや家族の意思で決定してもらう、という流れが一般的と考えます。

とはいっても、ある程度「決まり手」のあるような話ならこちらからそれを勧めることもできていいのですが、そうでなければ、なかなか患者さんも選択することは難しいと思います。

ある程度こちらからも、患者さんや家族の状況を考えて誘導してあげるのも必要と思います(少し齟齬のある話ですが)。さらに、決定したならば、こちらもその選択を支持して、徹底的に寄り添うのが筋と思います。

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・・・その基本をなすのは、患者の「物語(ナラティブ)」に耳を傾け、患者が病気に関してどのような「不確かさ」を抱えているのかを理解することでしょう。

・・・しかし、自分ではない「他者」の経験を自分のことのように感じること、つまり「共感」を学ぶことは簡単ではありません。(P206)

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患者の抱える「不確かさ」をどう受け止めるか

医学教育では、患者さんから病歴などを聞く最初の面談において、「患者さんが今の状態や自分の病気(病気とまでは自覚していなくても具合が悪いこと)について、どのように解釈しているか聞きなさい」と教えられます。

私も以前は、単に患者さんの現状理解を把握して、それに沿った形で、今後の検査説明や治療方針をお話しするためかなあと考えていました。

たしかにそういうこともあるかとは思います。しかし、ここで述べられているように、患者さんの解釈を聞くことによって患者さんがどのような「不確かさ」を抱えているかを把握することも、大事だと思います。

「ナラティブ」も最近の医療では重要視されている概念ですが、患者が自分の病気・状態をどのように考えているのか、たとえその解釈が医学常識から外れていても、それを受け止め患者のナラティブにそって、もしかしたら徐々に矯正していくのかもしれませんが、良い方向にもっていきながら診療を進めるという考えも重要と思います。

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 私個人は、プロフェッショナリズム教育のために、もっと「対話型教育」が必要であると考えています。例えば、学生や研修医が患者さんを診療する中で、実際に経験した意義深いイベントを振り返り、指導者と「対話」(「指導」ではない)することで、内省を深めるといった教育方法があります。この方法は「SEA:Significant Event Analysis」と呼ばれるやり方で、意義深いイベントについて「なぜ意義深いのか」「なぜ起こったのか」「うまくいったこと」「うまくいかなかったこと」「どうすればよかったのか」「次への行動指針」などを指導者と振り返り、自分の経験を「言語化」し、「省察」を促すやり方で、プロフェッショナリズムの形成につながる可能性が指摘されています。(P226)

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対話型教育

研修医の教育では、いわゆるon the job training(OJT)とoff the job training(off-JT)があります。OJTは実際の臨床現場において様々な診療対応のなかで随時指導を行います。これは、指導医の姿勢も必要ですが、ある程度研修医から指導医に対してドシドシ質問などしてくれる気概も必要かと思います。

一方のoff-JTは、検討会やカンファレンス、学習会・勉強会などといった、いわゆる座学を中心とするトレーニングになります。例えばある疾患に対するまとまった知識を勉強したり、多数の研修医や看護師などを相手に教育するには、よい形態と思います。

しかし、臨床の場で出会った様々な疑問や問題などを、その場で検討して、たとえその場では解決しないにしても、あとで勉強したり検討しなおそうとするOJTは、学生とは全くことなる研修医や看護師などの勉強の場であると考えます。

指導医などにより、その場で的確な解決が得られれば良いのですが、なかなかそうはいかないことも多く、後で教科書やネットで調べることも多いでしょう。さらに、学術的なことのほかにも、患者さんの反応であったり、自分の対応が患者さんにどのように影響を与えたかなどを考えるのには、ちょっとした時間も必要です。

まさにそこは「反省」の場であり、「省察」の場であります。ときには上司も交えて「自分の対応はどうであったか」や、「あのときの患者さんの反応はどう感じてのことだったのだろうか」などを、振り返ってみることが、良いと思います。

ここで重要なのは、「対話」です。「指導」ではありません。はたして指導医も、その場の状況で最も的確な対応を分かっているわけではなく、決して試験問題のように正答が決まっているわけでもありません。

対話のなかで、ある程度の「答え」を導き出し、さらにその検討を、次につなげることにより、一歩進んだ診療を提供できるのではないかと思います。つねに自分の対応がどのように周囲に影響しているのかをフィードバックして一歩ずつ進んでいくのが、プロフェッショナルの要素の一つだと思います。

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