空海!感動の言葉 大栗道榮 中経の文庫
弘法大師空海は、日本人のほとんどがその名を知っている人物でしょう。
仏教のいち宗派真言宗の開祖であるとか、香川の満濃池を造成したなどといった逸話をご存知の方もおいででしょう。また、日本各地に「空海が拓いた池」であるとか「空海が掘った温泉」などという伝説も数多く残っています。
「弘法も筆の誤り」であるとか、「弘法は筆を選ばず」という言葉もあるように、文筆に秀でておりたくさんの言葉を書物に残しています。
今回ご紹介する本は、そんな空海の言葉を、空海が残した書物の中から厳選して、分かりやすくユーモアも交えて解説してくれる一冊です。
著者の大栗道榮氏は、高野山真言宗大僧正・傳燈大阿闍梨であり、僧侶指導にあたるほか様々な文筆業も熱心な方です。真言密教の教えを分かりやすく生活や仕事に活かせるように解説した本をたくさん出されています。
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一芸に秀でた者は必ず用いられるが、五台の車に載せきれないほどの本を書いても、正しい道理に基づいたことを学んでいない者は、なんの役にも立たない。(P84)
一芸是れ立つ、五車通し難し 『遍照発揮性霊集』
いくら多くの書物を読み知識を蓄えても、立身出世や金儲けのためにするのでは、なんにもならない。(P100)
書を読んで但だ名と財とにす 『遍照発揮性霊集』
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まずは勉強について。空海は多くの書物を著しており、また多くの書物に目を通した勉強家だったと思われます。
多くの書物を著しても、正しい道理、つまり人間の世界で理論を通していくための基本的なことを備えていないと、実際には使えない、はたまた害をなすということです。
売れること、有名になることを第一目標として、奇抜な内容や人目を引く見出しの書籍やブログを書いても、内容が伴わないとかえって読んでくれた人の時間を無駄にします。
また、多くの書物を読んで知識を蓄えても、その目的が立身出世や金儲けという利己的なものであれば、これもいけないということです。
それこそ知識の「死蔵」というものであり、どのくらい本を読んだとか、あれも読んだこれも読んだと自慢しても、内容が実生活に味を与えていなければ、読まれた本ももったいないばかりです。
・・・私も気を付けたいと思います。
勉強して知識を蓄え、それを使うのはいいのですが、そこに人間学が込められていなければなりません。
人間学の勉強としては、自分の知識をもとに、宗教や哲学の勉強、あるいは日常から学んだ経験を織り交ぜていくのが良いでしょう。
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ほんとうの雄弁家は口べたである。(P169)
大弁は訥なるが若し 『真言付法伝』
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空海が口べただったかどうかは分かりませんが、口べたの私はこういった記述を見るとありがたく喜んでしまいます。
口から発する言葉というのは、ある程度あいまいであり、ボイスレコーダーでも常備していなければ、まったくそのまま記録にのこるということもありません。そのため、後で「言った言わない」の問題も起きることがあります。
一方、書いたものは残りますので、公表するような文章はよほど調べて、用心して書く必要があります。
空海の文章は、その筆のタッチが素晴らしいのももちろんですが、内容的にも人間学の根本を記載しているものが多く、そのため現在にいたるまで読み続けられ、我々の心をもとらえるのでしょう。
あまりベラベラしゃべるのもいけませんが、しゃべるべき場面で言葉を発しないのは、さらに良くないと思います。
それぞれ、自分が職場や家庭でどんな位置にいて、どんな役割をしているのかを自覚して、自分の関わる話に関しては、積極的に自分の知識や知恵を提供しましょう。
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いかに立派な仏の教えを聞いても、自分が体を動かさなかったら、千里の道が少しもはかどらない。(P172)
道を聞いて動かずんば、千里いづくんか見ん 『続遍照発揮性霊集』
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書物を読んで、たとえば仏教の教えを学んでも、それを実生活に活かさなければ意味はないよということです。
仏教はさまざまな宗派はあり、少しずつ考え方や方法論は違うかもしれませんが、全体的には「生き方論」だと私は考えます。
そういったなかで空海の開いた真言宗は、身口意といった三つの要素に重点をおいた「行動」に重きをおいた宗派だと思います。
身体を座禅や印を結ぶことで整え、口に真言を唱え、その結果として意識が整えられるわけです。
また、空海が拓いた四国八十八か所の霊場を巡る、いわゆる「お遍路さん」も空海が巡った道のりをたどる「行動」です。
そういった「行動」によって心を整え、その整った心で生きていけば、良く生きられるのではないでしょうか。
禅宗の禅やマインドフルネスにも通じるものだと思います。
なにはともあれ、勉強して知識を蓄えるだけではなく、「行動」することですね。
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寝ぼけた者は目覚めている者をあざ笑う。(P183)
酷睡は覚者を嘲る 『般若心経秘鍵』
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アリとキリギリスの話もありますが、日ごろあくせく働いていても、かたや楽そうに仕事をこなし、あるいは投機的な利益を得て過ごしているひともいます。
個人の能力にもよるでしょうが、まずはそんな他人との比較はせずに、自分の仕事や役割を粛々とすることです。
また、この言葉は災害やトラブルへの対応についても当てはまると重います。丸9年が経過した大震災や最近のコロナウイルス。ある程度の被害は避けられないとしても、備えをしておけば、たとえば避難場所の確認や対応を決めておくこと、あるいは日々の体力づくりなどをしておくことはできます。
こういった「記憶」は個人的にも、社会的にも記憶に留める必要があります。
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病人に向かって医学書を開き、病名を説明し、薬の効能書きを読んでやってもその病人は治らない。(P190)
病人に対って方経を披くき談ずとも、痾を遼するに由無し 『続遍照発揮性霊集』
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たしかに医学書を参照すること、病名や病態を説明すること、治療法の説明や薬の効能の説明は必要です。
しかし、患者さんにはそれだけで治せる部分もあれば、治せない部分もあります。前者はたとえば腫瘍に対して治療として腫瘍を切り取ることです。後者はたとえば患者さんの気持ち、なぜ自分はこんな病気になったのだろうであるとか、今後どうなっていくのだろう(予後の説明ではなく、不安感など)があると思います。
AIの台頭が医療の世界でも現実的です。しかし、後者はAIには不可能と思います。
後者に対する対応として(こう書くと実践的でイヤですが)、EBM(evidence based medicine;これまでの知識や報告をもとに医療をすすめるやり方)からNBM(narrative based medicine;ナラティブつまり物語性を重視するやり方)への移行があります。
つまり、NBMでは患者さん個人の生活背景であるとか、趣味や考え方、性格などもよく聞いて、個人としての患者さんに合った医療を提供しようと考えます。もちろん、EBMで解決できることはします。
ただ、これまでのようにEBM一本やりではなく、EBMでは解決できない問題もありますので、NBMも考えましょうということでしょう。
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ご紹介しましたように、千数百年前に活躍した空海の言葉でも、現代の我々の生活に実に示唆的な内容となっています。
これは、人間の考え方や人間が対峙する問題は、時代にかかわらず普遍的なものだということでしょう。
空海は日本の生んだスーパースターです。空海の言葉や考えを現代に活かして生きていければと思います。
他には
私は、最初はこの本で空海について勉強しました。
空海とともに、真言宗についても体系的にまとまっており、詳しく全体的に学ぶことができます。
空海その人について、生い立ちから唐での密教伝授、そして帰国してからの活動など学ぶことができます。
漫画なので分かりやすいです。