「素直な心」を大切に

素直な心になるために 松下幸之助 PHP文庫

「素直な心」というものが、人間が生きていくうえでどんな場面でも大切だと思います。極言すれば、「素直な心」があるだけで、世を渡るに間違いはないと思います。

もちろん、知識や技術、優れた能力を有することも、社会の中で生きていくうえで役立つでしょう。

しかし、知識や技術は世の中の変化によりその価値が変動します。むかし役立った知識も役立たなくなることもあり、次々に新たな知識や技術を身につけなければならない場面もあります。

そういった場合、固定された知識や技術だけでなく、新たなものを“しなやかに”導入することが大切です。この“しなやかさ”を与えてくれるのが、「素直な心」だと思います。

目まぐるしく変わる世の中。本人の望む望まないにかかわらず周囲の境遇も変わっていきます。立場が変わったり、職場が変わったりと。

そういった中で、変化についていけなくて精神的身体的なストレスから心や身体を病んでしまうこともあるでしょう。

変化についていけるかどうか。そこに関わるのもまた「素直な心」だと思います。「素直な心」は自らの、とくに心を環境に合わせて“しなやかに”対応させてくれます。

そうすることにより、周囲との摩擦を回避し自らへのダメージを減らしつつ、環境へ適応させてくれます。

私もこのたび職場が変わったことで、カルチャーショックにも似た大きな変化に対する心身の緊張を覚えています。

やることなすこと手に付かない感じで、これまでのようにこのブログも書き続けることができるのだろうか。そんな感じもしました。

そんなとき、以前抜き書きしておいたこの本の内容をふと目にしました。今こそ、「素直な心」が大切なときではないかと思い。今回は本書の紹介といたしました

みなさんもぜひ手元に一冊所持いただき、大きな人生の転機でもちょっとした転機でも、機をみて読み返していだたくのが良いかと思います。私もそうします。

素直な心の内容十カ条

・私心にとらわれない

・耳を傾ける:だれに対しても何事に対しても、謙虚に耳を傾ける心

・寛容:万物万人いっさいを許しいれる広い寛容の心

・実相が見える:物事のありのままの姿、本当の姿、実相というものが見える心

・道理を知る:広い視野から物事を見、その道理を知ることのできる心

・すべてに学ぶ心:すべてに対して学ぶ心で接し、そこから何らかの教えを得ようとする謙虚さをもった心

・融通無碍:自由自在に見方、考え方を変え、よりよく対処していくことのできる融通無碍の働きのある心

・平常心:どのような物事に対しても、平静に、冷静に対処していくことのできる心

・価値を知る:よいものはよいものと認識し、価値あるものはその価値を正しく認めることのできる心

・広い愛の心:人間が本来備えている広い愛の心、慈悲の心を十二分に発揮させる心

人間は環境が変わっても、今までと同じように生きていきたいと思います。しかしこれは幾分、私心を中心に考えていると言えるのかもしれません。私心にとらわれないことが大切です。

動物としてのヒトは、自分の生存を優先して物事を考えがちです。自分が新たな環境でうまく生きていけるのだろうか心配です。これまでのように周囲と上手く合わせていきたい気持ちはあります。

そのためにと、周囲を自分に合わせようという気持ちが大きくなると、あまり上手くいかないことも多いでしょう。

「郷に入れば郷に従え」という言葉もありますし、ちっぽけな自分を包む環境に自分を慣らすほうが、良いと思います。

周囲に合わせるにはどうするか。情報は様々なところに並んでいます。文書、メール、掲示板、ホワイトボード。でも、周囲で交わされる言葉に、その環境ならではの情報が混じっていることも多いものです。

だからといって、自分にとって有用な言葉、無用な言葉などと分別することがおこがましいと思います。

たとえば病棟で耳にした看護師さんたちの話。アンテナを立てていれば有用な言葉が引っかかります。

ましてや、自分に対して直接伝えてくれたことは、相手もこれは伝えなければならないと厳選した言葉であり、きっと自分にとって大切なメッセージになります。

ならんでいる情報、目に見える情報だけでなく、こういった聞こえること聞こえないことにも耳を傾けることが大切です。

「怒り」は適切に使えば効果を発揮するかもしれませんが、たいていの場合多大な損害を自他ともに与えることが多いと思います。

伝えたいメッセージを、怒りの感情とともに、大声などの手段で伝えるだけなので、要は伝えたいことを確実に伝えたい気持ちの行き過ぎのようなものです。

だから、伝えたいことを伝えればいいのです。怒りの感情は不要です。ときには厳しく伝えることも必要ですが、それは周囲や場面を考えて本人だけにしっかり伝えればいいのです。

これは「怒る」とは異なり「叱る」と言うことができるでしょう。

そして、ある程度の「寛容」も必要です。たいていの場合、失敗や不行き届きは“わざと”なされたものであることは少ないはずです。

もちろん、“わざと”そういう困ったことをするようであったり、常習的であったりして指導が必要な場合は「叱る」ことも必要です。

でも、そうでなければ一度や二度の失敗には寛容に対応してあげたいところです。そして、なぜそうなったのか、次につなげるにはどうすればよいのかを諭し、反省へ導いてあげるのがよいでしょう。

ときには自分に対しての「怒り」も生まれるかもしれません。これに対しても、同様ですね。

喜怒哀楽といった感情は、上に述べた「怒り」のようにさまざまな場面で出現します。「怒」「哀」は避けたいとして、大変な仕事の中にも「喜」「楽」は取り入れていきたいものです。

楽しく仕事をする、喜びをもって仕事をするというのは、仕事をするうえでの一つの理想像だと思います。そして、「喜」「楽」を伴う仕事は、仕事として順調に進んでいる証拠とも言えるでしょう。

ただしそういった中で、仕事にしても人間関係にしても実相が見える状態を保つことが大切です。

もしかして「喜」「楽」も独りよがりのものではないか、周囲に負担をかけてはいないか。考え過ぎても困りますが、そういう見方も時々必要でしょう。

また、「怒り」の感情に自分が飲まれてしまい、そこで脈々と行われている周囲の努力や苦労を見逃していないか。周囲が自分のことをどれだけ考えてくれているのか分かっているのか。

そういったことにも、時々意を働かせることが大切です。

道理を知るにはどうすればよいか。道理というものは、様々な出来事やその経験から帰納的に学ぶものだと思います。

考えてみれば道理もそうですが、「素直」や「謙虚」などのいわゆる「徳」というものは、教科書で学んだり人に教えられて学んだりするものではないと思います。

各人がこういった本を読んだり、人徳に優れた人の言動を見たりして、学んでいくものでしょう。

あるいは、小説や映画、ドラマなどからも、その登場人物の考え方や言動から、間接的に学ぶことができると思います。

まさに、すべてに学ぶ心が大切であり、そういったことから帰納的に自分の中で形成されていくものが、道理であり徳というものだと思います。

「われ以外みなわが師」という言葉があります。小説『宮本武蔵』などで有名な吉川英治氏の言葉です。氏の経験した様々な出来事から生まれた言葉だと思います。

周囲の環境に縮こまって、自分とその周りの狭い範囲にしか目が行かなくなると困ります。考え方も狭くなり、いわゆる「視野が狭く」もなります。

仕事は、マニュアルに書いてあるようなことをこなすことも基本的に大切です。しかし、マニュアルに書いている以上の、状況に応じた融通無礙な考え方がどのくらいできるか、というところも、仕事の面白さであります

そのためには、自分の狭い領域に収まらず、自分を俯瞰的に見て広い視野をもって考えることが大切ですね。

さらに、俯瞰俯瞰といってフワフワと浮付いていいてもしょうがありません。自分なりの平常心を保つために、考え方生き方の「軸」をもつことが大切です。

この「軸」というものも、さきほどの「徳」などと同様に、作ろうと思って作れるものでもなく、どこかに書いてあるものでもありません。

やはり、経験から少しずつ重ねて太くしていき、ときには読書や映画など非日常の経験からしなやかさも持たせるようなものではないかと思います。

物事の価値は、自分の立場というか軸があってこそ判断することができるのではないでしょうか。

逆に自分の立場、軸をはっきりさせることで、世間の宣伝やウワサなどに流されずに物事の価値を知ることができると思います。

自分にとって必要なものなのか、それともいらないもの、聞き流してよい情報なのか。そいういったことを常に考えることにより、情報に対するアンテナの張りもよくなり、感度も上がります。

そして、そのように物事の価値はどうかという考え方を研ぎ澄ましていると、どんなものにも何かしらの価値はあるものだという考え方が生まれるでしょう。

自分の立場、軸として今のところは不要で聞き流して良い情報や物事かもしれませんが、それでも状況が変われば有用になるかもしれないし、別なあの人には役に立つかもしれない、などと大きな目で世の中を見ることができると思います。

逆に自分の立場、軸として役に立つようなものにはすぐにピンとくるようになるでしょう。

人間も、自分に対して有益だから価値があるというわけではありません。アドラーのいう「存在の価値」のように、いるだけで安心したり、心の支えになったりしていることも多いものです。それは意外と、失われて気付く価値であったりします。

どのような物事、人間にも価値があり、その価値を認めてあげようという気持ちが愛につながります。

そうすることによって、広い愛の心を持ち、素直に生きていくことにつながるのだと思います。

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「素直な心」を持って、がんばりましょう。

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