居酒屋というソフトウェア

2022年3月20日

一人飲みで生きていく 稲垣えみ子 朝日出版社

居酒屋で過ごす時間は、(グチの言い合いや上司の説教などに陥らなければ)楽しい時間となります。

私は職場の同僚(上司は除く)や後輩、あるいは学生などと楽しく飲む時間が、とても好きです。

最近は新型コロナ感染症の蔓延により、大勢の飲み会は難しくなり、むしろ一人飲みや家飲みの機会が増えています。

そういった状況で出逢ったこの本。「一人飲み」という行動を通して、人生の試練を経験し自分を磨いていこうという底流が感じられる一冊です。

たった一人で世界(居酒屋)とストレートに対峙していると、世界とは自分自身が作り出しているものに過ぎないんじゃないか、つまりは「自分の行動が自分に返ってくる」だけなんじゃないかということを恐ろしいほど理解せざるをえない。(P52)

世界は、自分が自分の感覚器(目や耳など)を使って受け取った視覚情報や聴覚情報、あるいは触覚、味覚でもって、自分の脳が作り出しているものです。

どうしても、他人と過ごしたり、テレビやネットに繋がって過ごしたりしていると、世界は受動的に感じられます。

世の中はこの人が言うようなこともあるんだ、ニュースやネット情報のような感じなんだ、と。

しかし、スマホを置いて一人で過ごす時間では、すべての情報は自分がその場で直に感じた情報から創り出されます。居酒屋であれば、雰囲気や周囲の話し声、あるいは美味しいお酒や料理。

相手がいれば、その人との人間関係がその時の居酒屋世界の形成に大きく関与するでしょうが、一人飲みであれば、周囲を解釈するのは自分だけです。

自分が、緊張すれば緊張した世界になるし、不満に思えば不満な世界になるし、楽しもうと思えば楽しい世界になります。

こういうことを感じられるのは、“一人の時間”だと思います。吉本隆明もそういった時間は大切だと言っていますし、瞑想やマインドフルネスにも繋がると思います。

我々は常に張り合ってこの競争社会を生き抜こうとしているのだ。人より上に立つことで初めて周囲に尊重され、ひいては幸せを手に入れることができると心の底から思い込んでいるのである。

だがそれが通用するのは、実は「競争社会」だけだったんじゃないだろうか。なんと世の中には「競争していない社会」というのが存在していたんだよ実は!

それは例えば、家庭であり地域であり・・・そして、そう居酒屋である。(P55)

仕事や学校は、どうしても業績や成績で相対的に評価されます。そうしないと習熟度や合否判定、目標達成度などが評価できないからです。

そのため、どうしても競争の要素が入ってきます。同僚であれば、業績の差が気になり、学友であればテストの点数や部活の成績が気になります。

さらに職場では上司や部下といった明確な人間関係も存在します。上司は自分より経験豊富であるため、その言うことはまず聞かなければならない。部下には逆に、よく教えなければならない。ときには部下に越されそうな威圧感もあるかもしれません。

前年比や偏差値など、評価は相対的であり、自分は他人と、あるいは過去との比較により評価されます。その評価を上げるため、競争が生じます。

一方、こういった競争社会ではない部分がこの世界の大部分を占めていることも、忘れてはいけません。それが家庭や地域社会です。

家庭は、もちろん親と子、夫と妻、きょうだいといった関係はあり、年の差はもちろん、知識や知恵、経験の差もあります。

でも、そこは競争の場ではありません。それぞれの役割を果たすだけです。親は子供の教育や成長を扶ければよい。子は親に育ててもらい、いずれは親を支えるかもしれない。

夫と妻はそれぞれの人格を尊重し、助け合いながら自分の役割を行い、家庭を支えていけばよい。

夫が収入を持ってくるから偉くて、妻は夫に従って家事や育児いっさいをするという考えは、だいぶ遠くなりました。

そして、居酒屋です。ここも、ただただ家庭や職場とは異なる空間を提供し、店によって特徴的な飲み物、料理を提供する場です。

複数人の飲み会のようにワイワイと利用することもできますし、一人飲みの場も提供してくれます。

アドラーは人生のタスクを仕事、交友、愛の三つに考えました。仕事のタスクは職場で発揮され(もちろん、家事なども立派な仕事です)、愛のタスクは主に家庭で発揮されるのかもしれません。

そして、交友のタスクは、もちろんお酒を飲まなければ交友できないわけではありませんが、職場での一休みもそうであり、友人と会話したり出かけたりすることもそうであり、居酒

屋などで飲食を共にすることもそうでしょう。

ただ、そういった場でも他人が存在し、少なからず他人との関係で自分を演じることが多くなると思います。

そういった中でもしかすると、居酒屋での一人飲みは(それに限りませんが)、“自分という人間との交友”の場となるのかもしれません。

いやね、考えてみれば当たり前なのかもしれない。自分を消したら周囲が見える。私はこれまで、あまりに自分のことばかり考えていて周囲のことなんてまともに見ていなかったのだ。ちゃんと見ればよかったんである。(P77)

我々はどうしても、世界の情報に対して“自我という色眼鏡”をかけて周囲を見てしまいます。

良く言えば、得られた情報に対してこれまでの自分の知識や経験を通して解釈する、とでもいいますか。悪く言えば素直にみることができない、となります。

平野啓一郎氏のいう“分人”も、同じ要素を含むと思います。

会食などでも、どうしても自分の職業や肩書といった“仮面”をかぶって周囲と話し、周囲を見てしまうことが多いでしょう。無礼講という言葉は、それを積極的に解消しようという考えなのかもしれません、

そういった“自分”を消す、つまり一人の素の人間としてふるまうことができるのが、非競争社会である家庭や居酒屋でしょう。

そうすれば、周囲の状況がよく見えてきて、今まで以上に世界を楽しむことができるはずです。

相手がいれば、またそれで相手に対する“分人”を立たせて振る舞ってしまう。

でも居酒屋では、(お金を払えば)優しく受け止めてくれる役割としてのカウンターがあり、店主があり、お酒と料理がある。

そこでは普段使い分けている分人は必要なく、素の自分を立たせて目の前のそれらを、ただ楽しめばよいのです。

でもね、世界と繋がるスマホにも、絶対に繋ぐことができないものがあるのだ。それは、目の前のものである。スマホの画面からちょっと視線を外せば見えてくる、リアルなすべてのものである。(P99)

スマホからは広大な世界に繋がっています。いつでも何でも調べることが、知ることができます。まさに手のひらの宇宙です。

でも、人間はスマホの中の世界で生きているわけではありません。自分の身体の周囲の世界と、情報(感覚)を受けとり、発信して生きているのです。

最近では、食事に行っても花見に行っても旅行中もスマホをみる人が多いと思います。完全に脳みそがスマホに接続していて、そこから情報の大部分を得ている感じです。

そのうち、メガネにスマホが付いたような商品が出てくるのではないかと危惧しています。

居酒屋で一人、どうしてもスマホに手が伸びてしまうでしょう。スマホをいじっている姿は他者目線にも問題なく、なにかしらバリバリと仕事をしているようにも見えたりします。

でも、居酒屋に来たんです。Web飲み会ではありません。場所の利、時間の流れ、目はもちろん、味覚、嗅覚で味わうお酒と料理、そして半開きにした耳で触る周囲の環境音を楽しみましょう。

『スマホ脳』の紹介記事もご参照ください)

・・・え、なんで客の側がそこまで気を遣わなきゃいけないのかって?

そう、そこが非常に大事なところだ。この競争社会ではつい「勝つ」ことばかり考えてしまうが、今あなたの目的は相手(店)を打ち負かすことじゃない。相手と息の合ったダンスを踊ることである。(P104)

こちらから積極的に“参加”することが大切です。こちらから何かを発することで得られる情報もあります。

「お金を払っているんだから、それ相応に楽しませてちょうだい」ではダメです。そういう要素もありますが、参加することで楽しめる点も多いと思います。

これはまさに“ダンス”でしょう。ダンスでは自分と相手の動作の応答も重要な要素と聞きます。

そして、アドラーも人生をダンスに例えました。常に行動しつづけることにより、その時その時を最大限に楽しんで進んでいくのです。

居酒屋来訪の目的は金を払って腹を満たすことではありません。楽し時間を過ごすためです。楽しむためには、ある程度こちらも行動が必要です。

とはいっても一方的にこちらの専門知識をひけらかすようでもいけません。やはりそのときの時事やお酒、料理をもとに、対話を作るのがよいでしょう。

いや私ね、お金とは何かということを考えてしまった我らが高度に発達した資本主義社会では、お金を払えば何かが手に入るというのが常識だ。ところが実は態度一つで、お金では決して手に入らないものが手に入るのだ。(P115)

前にも述べたように、居酒屋に行く目的はお金を払って腹を満たすことではありません。一方で、もしかしたらそんな感じがするのが、(失礼ながら)牛丼チェーン店やコンビニなどかもしれません。

払ったお金は正真正銘いただいたお酒や料理の対価分、あるいは形式的なサービス料だと思いますが、楽しい時間を過ごした分はまさにpricelessでしょう。

お客として来訪した自分の感想、店主の話やサービス。これはメニューに価格が載っていません。

“スマイル0円”というのが流行りましたが、これはむしろサービスさえも、ややもすればお金で考えようとする資本主義の悪弊かもしれません。(いや、いいんですけどね)

本当に大切なのは店選びではない。大事なのは自分自身の「振る舞い」だ。客としての態度だ。自らの振る舞い次第で、どんな店も天国にも地獄にもなる。つまりは自分自身が宝の山なのだ。開拓し甲斐のある金鉱なのだ。

その内なる金鉱を発見することができたなら、永遠の安心と満足がやってくる。自分には足りないものなど何もないのだと心の底から信じることができる。

大事なのは店の発掘ではない。自分の発掘だ。

その偉大なる発掘作業すなわち、一人飲み修業なのである。(P172)

それなりに営業している店であれば、どの店がアタリ、どの店がハズレということはありません。どんな店でも自分に影響を与えてくれる何かがあるはずです。

つまり、“居酒屋はソフトウェア”なのです。そこに自分というハードウェア(あるいはOS)を送り込む。自分というハードウェアは様々な居酒屋での経験を経て、支障を減らし、新たな機能を搭載していくのでしょう。

これは居酒屋に限らず、人生の様々な出来事、あるいは本や他人もまた自分というハードウェアをカスタマイズするためのソフトなのかもしれません。

そうやって、様々な人や本、居酒屋などと出会って、自分というハードウェアは徐々にうまくこの世界を解釈できるようになるのです。

そして、さらに自分というハードウェアを磨くためには、デフラグや再起動の時間も必要でしょう。

そういった、いわば”自分の発掘”には一人の時間が大切です。瞑想、散歩、読書でもなんでもいいですが、そういった時間が、自分というハードウェアを改善し、次々と現れるソフトに対して豊かな解釈力を育てるのです。

そして、一人飲みは、そういう場となるのです。

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