父親も必読! 家庭の人間学

2021年7月3日

家庭教育の心得21 母親のための人間学 森信三 致知出版社

以前、『父親のための人間学』をご紹介しました。今度は「母親」のための人間学です。家庭生活、子どもの教育における母親の役割、考え方について書いてあります。

とはいえ、決して母親に限らず父親にとっても伴侶のことを考えるのに大変参考になりますし、子どものしつけ、教育についても勉強になるところがあります。

内容によっては男女不平等、女性蔑視の表現と感じる部分もあるかもしれません。しかし、先生が熱弁をふるった時代背景を考慮し、現代の我々に当てはめて考え、活かすことができればと思います。

夫婦円満の秘訣

具体的な毎日の行事として、この「夫婦は一日に一度は二人きりで話す機会を持つ」ということになります。その時の話は、その日の出来事や、世間話、子どものこと等いろいろ様々なことが話題になるでしょうし、また「一日」の終わりとして、年を取るにつれて感慨深い味わいを嚙みしめることと思われます。(P56)

私は帰宅が遅くなることも多いので、家に着いたときには子どもたちは寝ていることも多々あります。食事をとり、妻になにか変わったことは無かったか聞きます。

聞きたいことを聞くのも大切ですが、聞きたくないことを聞くのも大事なことです。子どもが学校の準備をしないだとか、宿題をなかなかしないだとか、いろいろな聞きたくない話も出てきます。

とりあえず、ふんふんと聞いておきます。とくに得策が出るわけではありません。(おそらく)向こうも聴いてもらうだけでも気が晴れることが、あるかもしれません。(私の思い上がりかもしれませんが)

人は、話しているうちに自分の中で考えの整理ができてくると思います。だまって考え込んでいてもなかなか考えが進まなくても、他人に話してみると思わぬアイデアが出ることもあります。

『頭のなかを「言葉」にして上手く伝える。』の記事でも書きましたが、言葉を発する、つまり話すことは大切です。妻とも、できれば子ども達とも、こうやって話す機会を持つようにしていきたいです。

「わが子の教育には、母親は絶大な忍耐心が要る」

ということです。これこそすべてに優先する最大の秘訣でございましょう。

いやこれはひとり家庭教育に限ったことではなく、およそ、教育のすべてに通ずることであり、さらには人生そのものにおいても一大要諦とも言えましょう。(P100)

まあ、日中は仕事で家庭不在の父親が、家に帰って母親に足して「忍耐だ!」などと言うこともできませんが。

まったく非科学的・非専門的な感想ですけど、子どもの脳はまだネットワークが効率的に繋がっていないためか、話が飛び回ります。ある話から別な話に飛びます。想いもよらない発想が出現します。大人の我々は、ただ驚くのみです。

これを、「頭が柔らかい」というのかもしれません。

思考面のみならず、行動面もいろいろ大変です。散らかしたり、宿題や学校の準備をなかなかしなかったり。一方で転んで泣いていたり。

うちの場合、そやつらを統率してしつけ教育する母親は、ただただ感謝を感じるのみです。せめてこちらが「忍耐」して、休日に母親を休ませるようにしたいと思います。

家庭学習の、一番の土台は、小学の一年と二年では、国語の本を毎日必ず朗々と声をだして読むということです。そして堂々と自信を持って読めるようにすることです。(P101)

うちでも小学生の子どもたちは宿題として国語の教科書を朗読していることがあります。

「朗読」は大変効果的な勉強法だと思います。眼でみて読んだ文字・言葉を自分の口から声として発して、自分の耳から入ってくるわけですから。

脳のなかでも感覚性言語野から運動性言語野に繋がって、脳の外でも運動性言語器(すいません、私の造語です)から感覚性言語器(同じく造語です)に繋がる、というループみたいなものが、良いのだと思います。

英語の教科書や論文なんかも、ジーッと見つめて黙読していてもスカスカとしか入ってこないとき、音読してみると、わりとしっかり内容が入ってくることがあります。

自分としては朗読肯定派です。だから、よく子どもたちが、テキトーに早送りのように朗読しているのを聞くと、そこは厳しく指導しています。

ほめるということ

道元禅師の言葉ですが、「愛語よく廻天の力あることを学すべきなり」とありますように、たった一言によって、その人の心に天地がひっくり返るような革命が起こるものなのです。(P135)

ところで「叱るということ」ですが、それにはまず「人は説教によって育つものではない」ということへの根本認識をまず持つことです。(P138)

叱られて成長することもあります。でも、その場合は成長+(なにかマイナスのもの)が残ると思います。

ほめられて成長することもあります。その場合、成長+(なにかプラスのもの)が得られると思います。

どちらにしても、成長するかしないか(何か自分の向上につながるものを得るかどうか)は、指導された本人次第のところもあります。反省、姿勢というか。

叱る<ほめるのスタンスで、子どもの教育、学生や職場での教育ができればと思います。

お互いに人間というものは、いつのまにかのぼせ上がったり、また心にアグラをかきやすいものですから、最低何か一つ二つの「生活規律」を持っていて、心の緩みを引き締めねばならんと思う次第です。(P155)

帰宅が遅く、料理も苦手な私としては、まずは”食器洗い”をすることをがんばっているつもりです。

あとは、休日はできるだけ子どもの相手をして公園などに連れ出し、妻を休ませるということですかね。

少しでも平日の妻の負担が改善されればと思います。

あと一つ、思ったこと。

たいていの父親は「給与」という収入を家庭にもたらすことで、ある程度の“強さ”を家庭内ですでに得ていると考えられます。

それに加えて、「給料を持ってきているんだからエライ」などと威張りますと、周囲としてはどうしようもない状態になってしまいます。困ってしまいます。

だいたい家庭を守り、子どもの相手をする妻としても、その“労働”に対して給与を払うとして計算すると、結構な額になるでしょう。

ここは父親、少し控えめにして、給料を持ってきていることを強調しないで、それに加えて家でなにができるかを考えるのが、いいのではないでしょうか。

*****

なんとなく、「母親のための人間学」というよりは、自分の経験にかこつけて「父親が母親に対する人間学」のような内容になってしまいました。

でも、父親は母親に対して、あるいは子どもに対して自分の「人間学」を考え、母親は父親、子どもに対して自分の「人間学」を考えることが、つまり自分の「人間学」をしっかり持って周囲に当ることが、家庭においては肝要と考えます。

これは、家庭だけではなく、職場における上司と部下、先輩と後輩、指導医と学生など様々な関係において当てはまるでしょう。

「道徳」と同様、「人間学」も他人に強要するものではなく、各自が考え身につけるものだと思います。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。