「出過ぎた杭は打たれない」・・・「謙虚さ」再考

2020年6月29日

なぜ、その「謙虚さ」は上司に通じないのか? 榎本博明 中経出版

「謙虚さ」は「徳」の一つである。「徳」とは、人が人間として(他人との間をうまくやりくりしながら)生きていくために大切なものである。「徳」には様々な項目(徳目)がある。

徳は人間性を構成する多様な精神要素から成り立っており、気品、意思、温情、理性、忠誠、勇気、名誉、誠実、自信、謙虚、健康、楽天主義などが個々の徳目と位置づけることができる。

(Wikipediaより)

上に述べてある以外にも、公平さ、慈悲、思いやりなども人間の徳目として挙げられるかもしれない。それぞれについて古来、偉人の言葉や古典で説き続けられてきた。

しかし、さまざまある徳のなかで「謙虚さ」は、いくぶん“消極性”を帯びるような気がする。

他の徳目がそれぞれの行動や考え方を積極的に起こすものである。たとえば気品を示すように工夫をしたり、勇気を奮ったり。

それに比べて、自分から「控えめにすること、行動を起こさないこと」という、いわば消極的な性質を有するのが、「謙虚さ」ではないか。

仕事などの場面によっては、「謙虚さ」が求められることもある。ときには周囲から、「謙虚になれ」「謙虚さが足りない」などとブウブウ言われることがあるかもしれない。

そして、周囲が「謙虚さ」を求めるようなとき、それに応じることが正しくて、自分の思うように行動することが間違った反社会的なことだと感じるかもしれない。

確かに、自分の“「謙虚さ」に欠けた“行動によって周囲にイヤな雰囲気を創り出してはいけない。

また、仕事に支障を来すようなこと(話しかけにくくなる、避けられるようになるなど)を生み出す極端なことは望ましくない。

しかし逆に言えば、それほど大きな問題を起こすようなことでなければ、いくぶん「謙虚さ」に欠ける(と一部の人が感じる)行動や考えをするのは、問題ないのではないだろうか。

かえって「謙虚さ」を求める周囲に迎合してしまうことのほうが問題である。自分が委縮してしまうだろう。

こういった周囲の求める「謙虚さ」の一部は、ニーチェの言う“ルサンチマン”のようなものもあるだろう。優秀な人物に対する妬み嫉みからくることもある。(『ニーチェ~生き方のアラート、ドライブ、あるいはジェネレータとして』参照)

周囲から、あるいは上司から「謙虚さ」について何か言われるかもしれない。それをある程度自分の反省材料として考えるのはよいが、すべてに従って迎合してしまうのは良くない。

必要最低限の「謙虚さ」があればいい。時と場合によって「謙虚さ」の発揮のしかたを変えればいい。

そのあたりは、以前の記載にある『「謙虚さ」もいいが「謙虚力」も』も参照していただきたい。

考えてみると「謙虚力」は、消極性を帯びる「謙虚さ」を、積極的な行動として変換したものだろう。

だいたい「謙虚さ」などというのは、相手の一人ひとりによって程度も違って当然のものであるし、こういう場合にはこういう「謙虚さ」などと決まっている物ではない。

そして、たとえある場面で「謙虚さ」が足りないことが問題を起こしたとしても、それで一生が決まってしまうことはほとんどない。いくらでも挽回は可能である。

*****

前置きが長くなってしまった。今回ご紹介する本は、上司から見た部下の「謙虚さ」について、そして「謙虚さ」の間違った考え方についてよく分かる本だと思う。

著者の榎本博明氏は、以前ご紹介した『ネガティブ思考力』の著者でもある。さまざまなビジネスシーンや自己実現について、頭を揺すぶって考えさせてくれるような著書を出しておられる。

自分も上司になった立場を想像してみると分かるかもしれない。上司から見ると、決して「謙虚な」部下=良い部下というわけではないのである。

どんどん勉強して自分の考えを磨き、意見を出したり行動に移したりする「出る杭」のような部下が、自部署の発展にも助かるのだ。

そして同時に、そういった部下を包容し伸ばすことができるのが、良い上司なのではないかと思った。

そもそも今のあなたは出る杭といえるほど妬まれる存在になっているだろうか。今の自分はそこまでに達していないと思うなら、まずは周囲から「出る杭」とみなされるくらいのビジネスパーソンを目指してほしい。

(P27)

「出る杭は打たれる」という言葉もあるように、行動力に富み活躍する者、あるいは「謙虚さ」の足りない者が周囲によって抑え込まれることが多い。

しかし、「出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれない」という実に的を射た言葉も、松下幸之助さんをはじめ多くの偉人が言っている。

「出る杭は打たれる」の通り、出ている最中は周囲から打たれるのかもしれない。それでも、ある程度折り合いを付けながら、それでも「出る」ことは止めないでいる。

そうすると、いつしか周囲から打たれることもできないような高さの、あるいは打たれても再び引っ込まないような盤石な土台を伴った「出る杭」になれると思う。

だいたい、組織には「出る杭」のように出っ張った人がいないと、面白くない。平均平坦では何もひっかからない。「出る杭」は見えやすいため、ある意味、アンテナや看板の役目も果たすだろう。

自分の謙虚さが要求水準を低く設定した逃げの姿勢によるものではないか、一度見直してみよう。

(P59)

結局のところ、謙虚さを誤解する人物は、周囲から睨まれたくないという気持ちばかりを優先し、仕事能力を高めたい、成果をあげて貢献したいという意欲が見られない。

(P81)

「謙虚さ」なんて言っていて、実は仕事をしたくないのでは困る。また、高度な仕事を任されないように、自分の能力を限ってしまうのも良くない。

また、周囲との摩擦を起こさないように、いわば「ことなかれ主義」でいるのもどうかと思う。進歩というのは、たいてい摩擦があり、それを解決しようとするところから生まれるのだ。

「謙虚さに欠け、ふてぶてしいけど、やることはやる」 そんな評価がなされるようになったら、これからの時代もあなたはしっかりと生き残れるはずだ。

(P87)

おそらく「謙虚さ」を大事にしすぎて、あるいは「謙虚さ」に逃げて、一見「良い人」に見える人が多いのが現状だろう。

月並みな仕事やルーチンワークだけをこなしている分にはそれでもいい。しかし、そういった作業はAIにとって代わられそうな時代である。いかにクリエイティブなことをするかが大事である。

そのためには、「謙虚さ」は必要最小限に考えよう。いささか「ふてぶてしい」と周囲には思われても、「出る杭」と感じられても、オリジナリティに富む提案や仕事をすることが必要だ。

大切なのは、上司の器の大きさを信じること。・・・「疑問に思うことを質問したり、意見を言ったりしたほうが、指示や提案をより多角的に検討できると、上司はポジティブに評価してくれるはず」と信じるのである。

(P106)

部下だけの問題ではない。上司の側としても、部下の質問や意見、あるいは進言などをぞんざいに扱うのではいけない。

上司としても実直に対応することが、部下を伸ばし職場を向上させるために必要なことであると、肝に銘ずるべきである。

上司は、部下の意見や考え方が自分の気分や考え方と違うからといって、無碍に否定せず器の大きい対応をするべきである。

そのためには、日ごろから専門的知識はもとより、人間学などの勉強を行い、「人間の器」を大きくしておくことが必要だろう。

また、上司はさらに自分の能力を磨き、勉強を重ねておく必要がある。そして、できるだけ部下の希望をかなえることができるようにしたり、相談を受けたときに適切な助言を与えたり支援したりできるようにしたい。

評価される側にとっても、評価する側にとっても、こだわる軸がハッキリ見えているほうが都合はよいのだ。・・・まず、自分が大切に思うこと、ここだけは譲りたくないというこだわり、小さな夢、志などを言葉にして書き出してみよう。

(P139)

自分の原体験や、好きなこと、興味のあることは、仕事に活かせれば大きなモチベーション、それも内発的な動機づけのきっかけとなる。

周囲からは「夢や希望を叶えるなんて甘い」「現実はそんなに簡単ではない」などという揶揄も出てくるかもしれない。そのように叩かれても、伸び続けよう。

いろいろなところで言われているが、そのような夢や志、やりたいことを“書き出す”のは良いことである。

上司や同僚も、日ごろからそのような夢や希望をちらっとでも耳にしていると、なにかの機会に仕入れた関連する研修の情報を提供したり、本を勧めたりもできる。

失敗を恐れるより、チャレンジしないことを恐れる。そんな方向に自分自身の心を変えていくことが大切だ。

(P150)

どんどんチャレンジして、「出る杭」になろう。多少周囲に叩かれてもいい。

上司としても、周囲とのバランスを調整しながら、「出る杭」を伸ばしてみる覚悟も必要である。

失敗が起こってしまったら、必要な責任は上司も喜んで被る。失敗の「反省」を勧め、次に生かしてもらう。

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徳目というのは、子どもの家庭教育や学校教育のうちには積極的に教えるべきことである。その場合にも、教科のように画一的に教えるのではなく、日々の家庭や学校の生活にそって教えられれば理想的である。

しかし、大人になってからは人に言われて身に着けるものではなく、自分から勉強したり日々の行動に活かそうとしたりして身に着けるものではないか。

よほど目に付くことなどあれば、十分熟考ののちに指摘する。そして、相手がよりよく職場や同僚との関係を保ちつつ、成長し続けていけるようにするのが、上司の役目であろう。

同時に、この本でも述べられているように、「ニセの謙虚さ」も困ったものである。私も、この「ニセの謙虚さ」を身に付けていると思うので、少しずつ外していければと思ったところである。

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