ゲームについて考える

新型コロナウイルス感染症の影響でStay Homeの日々が続き、家庭内で行うことの関係品に人気が高まっているようです。ゲーム機、DIY用品、ホットケーキミックスなどなど。

ゲームについては、うちでも子どもたちを中心に楽しんでおり、ゲーム時間を決めていますが、よけいに勉強をして追加でゲーム時間を稼ぐ交渉もあるようです。

今回は、『ハートドリブン』の紹介のさいに、思わず脱線してしまった、ゲーム論のようなものです。ゲームから得られる「感情価値」のお話のところで脱線しそうになったのでした。

自分の経験したゲームの中で、とくにRPG(ロールプレイングゲーム)の話になっており、ゲーム経験の豊富な人には、狭い世界の考えと感じられるかもしれません。

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RPGでは『ドラクエ(ドラゴンクエスト)』シリーズが代表格だろう。ゲームといえどもあなどるなかれ、壮大な物語、神話、入り込み様は名高い長編ファンタジー小説に匹敵するものである。

同じくRPGの双璧をなすのが『FF(ファイナルファンタジー)』シリーズである。(この辺は、私の個人的な経験によります。他にも素晴らしい作品がたくさんあります)

黎明期のRPGは、ストーリーが固定されていて、それをうまく進めるという流れであったと思う。

小さいころは、先を急いでしまう傾向があり、主人公が成長していないうちから進もうとするので、よく全滅してやり直しになっていた。

自分が成長するにしたがって、ある程度余裕をもって成長させて、進めるようになっていったと思う。

ゲームの主人公は、当初はレベルに応じて決まったパターンで能力値が上昇していくことが多かった。しかし次第に、自分の好きなように成長させるシステムが導入されてきた。

FFでは「ジョブ」「アビリティ」などのシステムが(初期からあったが)充実していった。プレーヤーの思うようにキャラを成長させることができるようになっている。

『ロマサガ(ロマンシング・サガ)』シリーズでは、フリーシナリオシステムが導入され、物語自体もある程度プレーヤーによって変化するものとなった。

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ゲームの目的自体も、当初はラスボスを打倒することなど、はっきりしていた。しかし、主人公を極端に成長させたりする「やりこみ」、や、入手頻度の低いアイテムを収集する「レアアイテム収集」など、ゲームの目的は攻略だけではなく「個人の満足」に変わっていった。

そういった「個人の満足」、「自己表現」の要素を強めることでヒットしたのがポケモン(ポケットモンスター)だと思う。「ポケモン」と呼ばれる生きものをどれだけ収集するかが重要な要素となっている。

100種類以上のポケモンは、捕獲したりして手に入れると「図鑑」に掲載される。いかに多く集め、図鑑を完成させるかが、ゲームの目的の一つであった。そこでは、ゲームの攻略、完遂とは違った最終目的が存在した。

また、通信機能を用いて他の人間とポケモンを交換したりすることは、ネットの普及していない時期にしては革命的なことであった。

ゲームにおけるハードの進化は画像の美化ももたらしたが、同時にストーリーも固定され、映画をコントローラで進めているような印象も受けた。

画像や音楽の向上も結構だが、システムの面白さがゲームの魅力の大きな要素だと思う。

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ゲーム機械、すなわちハード面では「ゲームボーイ」に始まったポータブルタイプが、分化の枝として大きく袂を分かつ。

ゲーム機は一家に一台の固定機から、ポータブルで個人的な機械へと変わっていった。一人1台ということも珍しくなくなった。

その潮流のなかで、「やりこみ」に端を発した「個人の満足」、「自己表現」に特化したゲームも次々に生み出された。

『マインクラフト』、『どうぶつの森』といったゲームは、そういった要素をメインに押し出したゲームであり、現在非常に流行っているゲームでもある。

目的はもはやストーリーの展開や攻略ではなく、自分の世界を作ることである。作った自分の世界をオンラインなどで、だれかに見せることもでき、承認欲求への対応も万全である。

これはSNSと同様に、現代人の承認欲求を満たす手段の一つかもしれない。他人からの「賞賛」「いいね」が欲しくて、ゲームの中の自分の世界や設備、所持品、獲物?を充実させ、他人に見てもらうのだ。

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また、それまでほとんど、脳みそと手指、ときには口しか動かしていなかったゲームのプレイについて、身体運動が導入された。つまりゲームは身体性との合流を果たしたのだ。「任天堂Wii」ではボードの上に両足で乗り、体重のかけかたやボードへの昇降、さらに手に持つコントローラの動きや傾きによって、ゲーム画面中のキャラを操作することとなった。

そのため、『Wii Fit』のように、自身の運動、トレーニングを目的としたゲームも出現した。

さらに、VR(Virtual Reality)を利用し、ゲームの世界を実世界に広げた『ポケモンGo』が出現した。

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ゲームは家庭のテレビの前の固定された機械、そして固定されたストーリーから、モバイルな機械、個人の考え方の浸透という方向へ変化している。

さらに脳と手の運動だけではなく体全体を動かすといった身体性への派生や、舞台も現実世界への浸透が見られてきている。

ゲームは、言ってみればオペラなどと同様、総合芸術だと思う。画像に関わる美術、物語、そして音楽が総合され、プレーヤーを感動と興奮に包む。

場合によっては、日本語の語彙や英単語を学ぶ勉強になることもある。人生や職業の機微や人間心理の洞察、善悪判断の難しさなどを学ぶこともある。

ただ、やはりそればかりが勉強のつてではない、ゲームというパラレルワールドに入る時間は決めておいて、そこからヒントを得つつ、自世界での人生、勉強、仕事を進めるのがいいだろう。

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