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2020年5月3日

「具体⇄抽象」トレーニング 細谷功 PHPビジネス新書

「具体と抽象」という考え方は、強力な思考のツールであり、自由自在に使えるようにしておきたいものです。

この本は、ベストセラーの『地頭力』や以前ご紹介した『「具体」と「抽象」』などの内容をふまえた、細谷功氏の現時点での集大成といった感じの本です。

内容としても、図が多くて視覚的にも分かりやすいと思います。とくに具体と抽象の関係を「三角形」で表した図がさまざまなバリエーションで頻用されており、本文での説明と合っていて理解しやすくなっています。

その三角形における底辺と上の頂点の関係が、まさに「具体と抽象」の軸であり、これを氏は「縦の価値観」と呼びます。それに対して底辺(低い、悪いという意味ではない)における横の拡がりの関係を「横の価値観」と呼びます。

「横の価値観」は、知識をなるべく多く集め、その知識の中でなんとかしようという考え方です。これはまさに知識偏重社会の陥る状態だと思います。

これに対して「縦の価値観」は、いつでも底辺の「具体」から頂点の「抽象」までの縦の移動を自由にできることです。

知識を集め、持ち合わせの知識でなんとかしようというのではなく、それら具体的な知識から縦方向に集約し、抽象化を図ること。そして抽象と具体の移動を自由にすることが、思考の重要なポイントです。

この本をしっかり読み込み、「具体と抽象」の思考法を身につけると、世界の見え方が変わると思います。

問題解決は大きく分ければ、本書でいう「縦の移動」(具体と抽象間の移動)があるものとないものがあります。縦の移動、つまり「具体→抽象→具体」というのが本書でいう典型的な抽象化と具体化を組み合わせた問題解決で、表面的な問題だけでなく根本的かつ本質的な問題にたどりつくことができる考え方です。

(P32)

著者は分かりやすくピラミッド(三角形)のモデルで説明しています。三角形の底辺が知識であり、幅広く持つことができます。

三角形の(上の)頂点がより抽象的なことであり、底辺の具体はより抽象的な事柄にまとめられるにつれて(上に行くにつれて)、項目も少なくなり、狭まってくるわけです。

よくやりがちな思考は、底辺の具体的な事柄だけを並べて、これがいい、あれがいいと議論してしまうことだと思います。

たとえば、お母さんが、夕食に何を食べようかと言うと、カレーがいい、牛丼がいい、焼き魚がいいなどいろいろリクエストが家族からあると思います。

そこで、ふと家族は、連日の休校によりお母さんが疲れていそうだということを鑑みると、より抽象度の高い「外食」という項目に登り、そこから具体におりて回転ずしだとか、レストランだとか、焼き肉屋などが考えられるかもしれません(今や外食もなかなか行けませんが・・・)。

・・・抽象化とは本書でいう縦の世界の代表的能力です。これに「横の能力」としての知識が加わって(組み合わせられて)人間の知的能力が発揮されます。

(P118)

「横の能力」として、知識を幅広く持つことも重要です。幅広い知識の底辺があってこそ、より高い抽象化の三角形ができあがります。

抽象化は「知識の知恵化の一部」ともいえるのではないかと思いました。知識を知恵に昇華するためには、「経験」や「人間心理の洞察」など必要と、これまで何度も言ってきました(それこそ抽象的ですが)。

その「経験」や「人間心理の洞察」はどのように働くかというと、具体的な知識をより高次の抽象的な事柄にまとめ上げるのに役立つ、ということではないでしょうか。

「具体」と「抽象」の間の縦の移動を推進する力が、「経験からくる知」や「人間心理の洞察」、あるいは西田幾多郎の言う「善」ではないでしょうか。

そういえば、先ほどの夕食の話でも、「お母さんの心理の洞察」がより抽象度の高い「外食」という考えに至らしめたのかもしれません。

・・・あまり関係ないですかね。

それは顧客の抽象的依頼に幅広い具体的な業務知識をもって「ベストの着地点を示せる」ことであり、もし顧客が不自然に具体的な依頼をしてきた場合には、あえて抽象度の高い本来のニーズに一度戻した上で、再度ベターな解決策を示してあげられることです。

(P198)

プロフェッショナルの条件を「具体と抽象」という観点から考えます。

顧客の要望の抽象度と、こちらの提案の抽象度が異なることが、意見の食い違いを起こし話がスムーズに進まない原因となります。

顧客が具体的な要求をしてくるのであれば、それに対応した具体的な提案で良いでしょう。しかし、顧客はプロではないので、あまり具体的な知識を持っていません。

そこで、どうしても抽象的になりがちな顧客の要望に対して、幅広い知識から具体的な提案をするのが、プロというものです。

例えば、自宅を設計するにあたって、「部屋を明るくしたい」という抽象的な顧客の要望に対して、プロは「壁紙を明るくする」「窓を大きくする」「照明の配置や種類を工夫する」などといった具体的な提案をするわけです。

また、ふいに顧客が具体的な提案をしてきたときは、内容にもよりますが、その真意を確かめ(抽象化に戻して)、それに沿って具体的な提案をするわけです。

例えば、「天窓を付けたい」と顧客が言ったとします。プロもそれでいいと思えばそのままでいいのですが、積雪が多い場所で耐久性や保温などに心配があるなどとプロが感じたら。

「天窓を付けたい」と言った顧客の真意に戻るのです。

そうすると、「部屋を明るくしたい」など、より抽象度の高い真意が分かることもあるので、(天窓ではなくて)「それでは壁紙を工夫しましょう」だとか「窓の配置を工夫しましょう」など、他の具体策を提案して解決できます。

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さて、医療の世界ではどういう話になるでしょうか。考えてみましょう。

患者さんの抽象的要望(訴え)に幅広い具体的な業務(医療)知識をもって対応するのが、我々医療のプロとしての立場だと思います。

「なんとなくだるい」「熱が続いている」「頭が痛い」といった抽象的な訴えを、我々はこれまでの経験と知識から具体的な可能性を考えて、それに対応する診察や検査を提案します。例えば血液検査、頭部CTといった具合です。

考えてみると、私がいつも言っている「『つかみどころのない相手』に対して『とっかかり』をつける」、つまり「問いを作る」ということは、「抽象→具体」ということなのかもしれません。

思うのですが、「めまい」という言葉は非常に抽象度の高い言葉です。患者さんは「めまい」という言葉に、浮動感、回転感、ふらつき、吐き気、頭重感、食欲低下など、時にはこちらも予測しない様々な「具体」をまとめ上げていることがあります。

医療者は、そこから問診や診察を通して考えられる「具体」にできるだけ抽象度を下げ、それにあった検査を考えるわけです。

また、医療においては患者さんの訴えに共感を示すことが大切とされています。共感を示すとは、患者さんのハート・感情を大切にすることであり、「患者さんの訴えを傾聴し、それを過度に評価、解釈することなく、自分もそう思うということを伝える」という一面があります。

共感の態度として、よく用いられるのは「オウム返し」です。「痛いんです」→「そうなんですか、痛いんですねー」といった感じです。

オウム返しと言ってしまうと、状況や返し方にもよりますが、あまり相手のことを理解せずにただ返しているようにも聞こえます。確かにオウムはそうでしょう。

しかし、対話におけるオウム返しは、少なくとも具体と抽象のレベルを変えない言葉ではないかと思います。

下手に解釈や評価を与えて抽象度を変えないことだと思います。つまり「~ということですね」といった表現に置き換えたり、患者さんがうまく言葉にできないことを無理やり言葉にしたりして、抽象度を操作しないことなのでしょう。

そういった姿勢が、患者さん自身が自分のなかで抽象度を操作し、自分の中で納得する方向に向かうのを、助けるのかもしれません。

ここで用いられた「軸」の話ですが、なぜこのような二項対立的なものを選ぶ必要があるかを解説しておきます。このような話をすると必ず、二項対立にアレルギーを示す人と「世の中そんなに簡単に二つに分けられるものではない」という意見が出てくるからです(そもそもこういう質問をする人は、抽象化の考え方を理解していない人なのですが)。

(P208)

「言葉」は「数」と並んで人間の創り出した抽象度の高い代物です。ものごとを「都合の良いように切り取る」ことで効果を発揮しますが、ときには「誤解」を生み出します。

ここでは、理系と文系の違いについての話です。理系、文系の分け方は、それこそ様々な背景や問題があると思いますが、それは置いておいて、その違いを考えるために、「軸」が必要だという話です。

私もこれまで、二項対立については批判的でした。まさに著者の言うように「世の中そんなに簡単に二つに分けられるものではない」と考えています。なので、この部分にはちょっとグサッときました。私は二項対立アレルギーのほうでした。

ただ、あまり深く考えずにいたと思います。二項対立は物事を二項に分けるのではなく、軸の目印となる両極を示すものです。

実際に世の中はその間のグレーなものが多いわけですが、その「グレー」を示すためにも両極の「黒」と「白」を決めて考える必要があります。

「言葉」は、ものごとを他と区別して切り取るために用いられます。切り取るためには、切れ味鋭い「二項対立」という刃が必要なのです。

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人間の生み出した「言葉」や「数」は、抽象度が高いため広く利用され、その場その場に応じて使われています。

例えば、「言葉」は会話、対話、会議などの場や文字・文章で、また「数」は人数や物の数を把握すること、あるいはお金として商売や金融の場などで活躍しています。

その際に、無意識的にしているかもしれませんが重要なのが抽象度の上げ下げだと思います。

この本では、その抽象度の操作を、意識的に行うことにより、人間の思考の幅を、どうしても横だけ(知識を並べて、そこから選ぶという感じ)から、縦方向(抽象化)の高さも積極的に導入しようという内容です。

どうしても我々は、考えるときには知識や情報を集めてなんとかしようとしてしまいます。

以前ご紹介した『魂の燃焼へ』で、「横野郎」という言葉が出てきました。この「横野郎」は知識や情報を集めてうまく思考しようという人間を抽象的に示しているのです。

そこでは、「横野郎」にはならずに縦の軸を持つ、つまり、自己を掘り込み自分で考え、自分なりの思想軸を持つようにすることが重要であるという話がありました。

この本で強調されている、三角形の「縦の価値観」と似ているように感じました。

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