「後悔」しないためには、「後悔しない」ことである

2020年4月30日

医学生に問われたことがある。

「(自分が進む専門の)科を選ぶにあたって、どうすれば『後悔』せずに選べますか?」と。

「後悔」はしないで生きていきたいものである。

「後悔」をしないためには、どうするか。一つしかない。

「後悔しない」こと。である。

偉人たちも言っている。

“われ事において後悔せず”(宮本武蔵 『五輪書』)

“後悔などあろうはずがない”(イチロー選手の現役引退会見での言葉)

人々は、「後悔先に立たず」とか言っているが、

大部分の人は「後悔」を先に立てているから、何もできない。

「後悔」を予測してしまい、「後悔」することを恐れているから、何もできなくなってしまう。

(もちろん、「後悔先に立たず」の、「じゃあどうすればいいの?」に答える「ネガティブに人事を尽くして→ポジティブに天命を待つ」は良いことです)

「後悔」は自然発生的・受動的に起きるもののように感じるが、その固着・成長にはだいぶ能動的な要素があると思う。さらに、脳内の回路か何かで「後悔」を増幅してしまう。

だから、ウッと、いっしゅん「後悔」の“k”くらいが頭に芽生えるが、すぐにその芽を摘み取ってしまうのが良い。

日頃から何が起きても、「後悔しない」と考えておけばよい。「後悔」が一瞬生じても、能動的に自分から「後悔」しないようにして、保持しないようにすればよい。

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「そうはいっても真理を選んで生きていきたいし、真理でなくては信じられない、選べない。真理でないものを選んでしまったら後悔する」とか思っている、あなた。

自分が考えて行動に移したことが、その時の「真理」なのだ。

たとえば、とくに人生の趨勢を決める(と思われる)結婚は、気楽に考えられる人にとっては難しくないかもしれないが、(ほとんどの)まじめに考える人にとっては難しい。

「結婚」について、先哲の言葉を聞いてみると、

“とにかく結婚したまえ、良妻を得れば幸せになれるし、悪妻を得れば私のように哲学者になれる。そしてそれは誰にとってもいいことなのだ”(ソクラテス)

“結婚はしてもしなくても後悔するものである”(カフカ)

“結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう”(キルケゴール)

・・・といった具合に、まったくアテにならない。

というか、人生はいろいろなことが起きる。それに対してどう反応するか、・・・つまり後悔するのか、そうじゃなく「自分にとってその出来事にどんな意味があるんだ」と思うのか、どっちの姿勢をとるかが問題なのだと思う。

「結婚には確固たる『愛』が必要」と考えているかもしれない。「そんな『愛』が今の二人にあるかなー」と考えている、あなた。

そんな二人を結び付けていると考えられる「愛」とはなんだろうか。

「愛」については、それこそ様々な人が様々言っている。聖書でもパウロさんがいろいろ言っている。

“愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに心理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません”(『新約聖書 コリント人への手紙Ⅰ』)

・・・要するに、「愛」はひとつの心理状態、思い込みであろう。

いや、人生を駆動していくうえで、「思い込み」は重要な駆動力である。

(こんなことを言っていると、なんだか妻に怒られそう。いや、「愛」は気が付けばそこにあるもの、振り返ってみればそこにあるものだと思います。はい。)

ただ、思い込みや積極的精神を全開にして「過ぎたことは考えません。自分を顧みずに進むだけです」というのも、イノシシのようで良くないと思う(イノシシはそれでいいが)。

「後悔」ではなく「反省」は必要である。

「反省」については、『「成長」を求めて』『「直観」を磨く』の記事も参照されたい。

話しがまとまらなくなってきたところで、ぜひ森信三先生からも、ひとことお願いします!

“そこで諸君らも一つ、後悔しないような人間になって戴きたいものです。それにはいかなる失敗も、必ずやこれを最善に生かすという心がけが大切でしょう。失敗を成功以上に生かす人間こそ、真に畏るべき人間であります。”(森信三 『修身教授録』 P209)

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