世界史の誕生 岡田英弘 ちくま文庫
私は高等学校では「地理」を選択しました。なので、「世界史」や「日本史」は勉強していません。中学校では少し勉強しましたが。以上。
それでいいのでしょうか。まあ、いいのでしょう。
しかし、高校の勉強は明らかに大学受験を見据えたものです。学問としての勉強ではなく、試験に合格するための勉強、知識を詰め込むための勉強です。
ひたすら知識を詰め込み、試験の場では詰め込んだ知識を吐き出す訓練を、しているわけです。
しかし、そういったかたちの勉強のなかでも、その勉強をきっかけに教科に興味をもって、将来勉強したり研究したりしたいという学生が出ることもあります。そのあたりは、個人の興味もありますが、教師の教え方や考え方、情熱にもよると思います。
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評価されると思っての勉強は、あまり面白くありません。大人になってからの勉強は、その内容に関して試験があるわけでもなく、勉強の期間やスケジュールが決められているわけでもなく、気楽にできます。
読書をしたり、インターネットやテレビ放送を見たり、あるいはセミナーなどに参加したりして、きままに勉強できます。
学生時代の詰め込み勉強では、興味があることもないことも全て漏らさず覚えなければというカチカチ感があると思います。
そのため、さまざまな教科を勉強しますが、それらの内容で何が面白かったかまり分からず、つらかったことだけを思い出に「蛍の光」なんか歌ってしまいます。
それに比べて大人になってからは、時間やスケジュールに縛られず(自分で調整して)、広く勉強することもできますし、自分の興味のあることを深く掘り下げて勉強したりすることもできますので、以外と専門家なみに詳しくなることもあります。
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今回ご紹介する一冊は、世界史についての本です。ただ、教科書的な世界史の流れを述べた本ではなく、著者の岡田氏がご専門とされる中国史、そしてモンゴル史などを軸に世界史を見た視点が、切れ味鋭い印象の本です
「世界史」というモノも、「つかみどころのない得体のしれないもの」の一つだと思います。そういったモノに対峙するときには、「とっかかり」や「切り口」を作ることが、その姿を把握するのに大事です。(このブログでも何度も書いています。)
著者は「世界史」に対して、モンゴル史を切り口として、切れ味鋭い考察を展開してくれます。
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「歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである」(P32)
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歴史とはなにか、について著者はこのように述べています。よく歴史“History“は”his story”、つまりある人物を中心とした物語だ、と言われることがあります。
もちろん、その時その時は、誰か中心となる人物が存在して、その人あるいは周囲の人が日々の生活や出来事を記録します。そして、その記録で残っているものを、後世の我々が調べて、「歴史」として認識するわけです。
単なるstory、つまり「物語」と異なるのは、「物語」は現実の世界を必ずしも記述してはいないというところでしょうか。
もちろん、歴史についても、記録を作成した人の知識や経験の程度、判断、あるいは解釈が加味されますので、全く起こったことそのままというわけではありません。一人の記録者が経験できる生活範囲は限られていますし、出来事の解釈も他の人からみればまた違ったものになります。
たとえば、明治維新は勝利した薩長連合を中心とする官軍からみれば反抗勢力を抑えての輝かしい革命かもしれません。しかし、敗北した旧幕府側諸藩や会津藩を中心とする東北諸藩にしてみれば、そうでもないわけです。
まさに「一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度」です。一個人の記録だけではなく、他の個人の記録や考古学的資料、民俗学的資料も総合します。
そして、どのようなことが起きていたか「把握」し、なぜそのようなことが起きたか、それは何のためか「解釈」し、その出来事は当時の人にとってどのような意味があったか「理解」し、現代の人々にも分かりやすいように「説明」を加え、そして現代に通用する言葉によって文章として「叙述」するものです。
後世の我々が「歴史」という物語をある程度“創造する”という意味も含めて、再現するのです。かなりの加工が加わることも覚悟・理解しなければならないと思います。現代のテレビや新聞のレポーターのように、現場を見てきてその映像を放送したり記事にしたりするのとは全く異なります。
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そういった、記録され解釈された歴史のある文明として、筆者は二つを挙げています。
中国文明は司馬遷に代表される歴史の記述者によって営々と記録が行われました。
戦国時代の比較的安定期も唐や宋など国名が変わります(易姓革命)。それを統治する部族としても、漢民族以外に鮮卑という西方系の部族が唐を興したり、まさにモンゴル族が元を興したりと様々です。
しかし、脈々と記録された文書が「中華帝国」としての「正統」の観念を保ち続けていました。
もう一つはヨーロッパの地中海文明です。こちらもヘロドトスなど優れた記録者により、一つながりの歴史が形成されています、
宗教が大きな位置を占めることの多い文明であり、ゾロアスター教、ユダヤ教など二つの勢力が対立し、最後に「正義」が勝利して終わる歴史観といえます。
ヨーロッパは現代ではキリスト教が大部分を占めています。キリスト教も、異教は正義のため「排除」するという考えが昔からあると思われ(イスラム勢力に対抗した十字軍など)、現代の絶えない戦火にも根差しているのではないかと思います。
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十三世紀のモンゴル帝国の建国が、世界史の始まりだというのには、四つの意味がある。
第一に、モンゴル帝国は、東の中国世界と西の地中海世界を結ぶ「草原の道」を支配することによって、ユーラシア大陸に住むすべての人々を一つに結びつけ、世界史の舞台を準備したことである。
第二にモンゴル帝国がユーラシア大陸の大部分を統一したことによって、それまでに存在したあらゆる政権が一度ご破算になり、あらためてモンゴル帝国から新しい国々がわかれた。それがもとになって、中国やロシアをはじめ、現代のアジアと東ヨーロッパの諸国が生れてきたことである。
第三に、北シナで誕生していた資本主義経済が、草原の道を通って地中海世界へ伝わり、さらに西ヨーロッパ世界へと広がって、現代の幕を開けたことである。
第四に、モンゴル帝国がユーラシア大陸の陸上貿易の利権を独占してしまった。このため、その外側に取り残された日本人を西ヨーロッパ人が、活路を求めて海上貿易に進出し、歴史の主役がそれまでの大陸帝国から、海洋帝国への変わっていったことである。(P285)
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私が一番、面白いと思うのはココです!
つまり、中国文明とその周辺も含めた東洋史と、地中海文明とその周辺を含めた西洋史があったわけですが、その時点では世界は部分部分の文明が散在するだけでした。歴史もそれぞれの歴史があるだけでした。地方史のようなものです。
しかし、モンゴル帝国によるユーラシア大陸の広範な支配により、その後の歴史は東洋史と西洋史が接着され、「世界史」が始まったのです。
モンゴル帝国の世界史における働きは具体的にはここで述べられています。第一にはユーラシア大陸中央を支配することにより、その両極を結び付けたということです。交易もあったでしょうが、軍事的な面でも交流を発達させ、文化の交流も深まったのでしょう。
第二に強大なモンゴル帝国がユーラシア大陸の諸国を、東洋も西洋も含めて支配・統一したことにより、改めてモンゴル帝国を基礎とした国々が作られました。
中国では元、南アジアではムガル帝国、中東ではオスマン帝国、ハンガリーなど東欧諸国、そしてロシアです。(日本にも元寇が来ましたが、なんとか免れました。)
第三に、モンゴル帝国が世界初の紙幣を発行して成功し、中国で資本主義経済を活発化させました。それがシルクロードを通してヨーロッパに伝わりました。その後のヨーロッパを中心とする資本主義経済の元になったわけです。
しかし、モンゴル帝国はユーラシア大陸内陸の草原の道に強大な支配を置いたため、その両極の東洋と西洋は海上輸送を発達させました。
そして、歴史の主役がそれまでのモンゴル帝国といった大陸帝国から、西ヨーロッパや日本などの海洋帝国の時代、大航海時代に移り変わるきっかけとなった点が第四です。
どうです、面白いと思いませんか。
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高校で勉強しなかった教科を、これから勉強することで、何か今後のキャリアや生き方に有用かどうかは分かりません。
ただ、試験目線の中学・高校の勉強で「選択しなかったから大学入試に必要なかったし、今後も必要ない」という考えは、惜しいと思います。
世の中には自分の知らない「面白い」ことがたくさんあるのです。「面白い」「興味をそそられる」ことをたくさん有することは、自分の人生を豊かにしてくれるでしょうし、まわりまわって人との出会いや、もしかしたら収入源などに結びつくかもしれません。
この「面白さ」というのも、学校での勉強だけではなかなか気づかないと思います。
たとえ高校で「世界史」を勉強していても、「東洋史」「西洋史」あるいは「アメリカ史」など世界のあちこち、さまざまな時代をいったりきたりするような感じだと思います(最近は違うのかもしれませんが)。
ですから、この本のように「東洋と西洋はモンゴル帝国によって結びつけられた」、であるとか、「ユーラシア大陸の多くの国々はモンゴル帝国に端を発する」といったことは習わないと思いますが、大変面白いところだと思います。
学校の勉強は時間も限られますので、かならず範囲が決まっています。しかし、その範囲よりも広く、学問や世界は拡がっているということを分かることが、より豊かな人生を送るのに役立つのではないでしょうか。