量子論と生命

2020年3月20日

量子力学で生命の謎を解く ジム・アル=カリーリ、ジョンジョー・マクファデン 水谷淳 訳 SB creative

「量子論なんて、最近出てきた不思議な物理理論で、私たちの生活には関係ないでしょ。いくらものすごく低い確率でブロック塀をトラックが通り抜けることがあるといっても、ぜったいにトラックは塀にぶつかるんだから」

このように思っている人は多いと思う。実際に私も量子論の話は不思議なことだらけで面白いし、これまでの物理学がすべて計算だけで予測できる、といったところに「実はそうでもないですよ」という話が出てきたわけで、少し物理や科学にも人間味が見えてきたかな、などときままに考えていた。

しかし、量子論、量子力学は実際に我々生物のなかでも重要な役割を果たしているのだ。

その理論は「量子生物学」として急速に発展しているらしい。

今回ご紹介する本は、量子力学が生物のなかでどのような役割を演じているかを解説している。

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物理学の世界では、その発展に伴って、これまでの物理理論では解くことができなった「光」の扱いや、時間と空間、重力の考え方に対して、量子論が解決の糸口を与えた。

同様に生物学においても、これまで解明されていなかった様々な生物現象が、量子論を導入することによって解明されてきている。

私としては、「生物学はやっぱり生物(なまもの)を扱うから、物理学のように普遍的にはいかないんじゃないの?」という気持ちがあったのだが、その「なまもの感」も量子論で説明できるようになるのか。

しかしながら量子論は、これまでの物理理論と違って、導入されたからといって人間がどうこうできる幅が増えるわけではないところが面白いと思う。量子コンピューターなど応用技術は少しあるが、結局は人間がコントロールできない現象を利用させてもらっているような気がする。

ここにきて、ついに人間は自分ではどうにもできない現象を自覚し、その性質を少し使わせてもらって、自分の生活に活かすことになったのかもしれない。

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「科学は宗教ではない」と、そんな神話や迷信や主観性に満ちたものではないと言われてきた。しかし、字面では科学は宗教ではないかもしれないが、科学も「実証、客観性、普遍性」を神とする立派な宗教である。そして量子論に至っては「観測者」の存在が結果に大きく影響するというきわめて「主観性」が重要な理論なのである。

これまで、科学において人間は、神の摂理の探求として自然界の仕組みを次々と解明し、人間自身で制御できるようにして技術を発展させてきた。

そこに量子論が出現し、最終的には量子の挙動はそういうものだと分かっても、それを「予測」したり「普遍化」したりするといった、これまでの科学が得意とし、目指したものがいくぶん不可能となっているようだ。

ここにきて人間は、科学においても自分の力ではどうにもならないことがあることを、少し自覚しはじめるのかもしれない。

この自覚は大切である。身の程を知ることは大切であり、これからの科学とつきあっていく際にこの自覚を持ち合わせていないと、どこまでも科学・技術は暴走し、生命を作り変え、これまでの宗教や哲学をこっぱみじんにしてしまうだろう。

 人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね・・・

ブラックジャックの恩師の言葉である。

量子論は、少しでも皆が勉強して、その不思議さ、不気味さ、曖昧さを感じることが必要だ。これまでのように科学はなんでも解決してくれるものではないことを感じ、人間には届かない部分があり、畏まって姿勢をただして生きるのがよいのではないか。

太古の昔から、神を打ち建ててその力の一部をたよりに生活してきたように。

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話はだいぶそれたが、この本は「量子生物学」について実例を提示して面白く解説した本である。

実例としては、渡り鳥がどのようにして目的地にたどり着くのかといった動物の習性や本能、また光合成の場での量子の活躍といった植物のこと、さらには神経系における量子の役割、そして意識はどのよう生み出されるのかといった具合である。

物理学や生物学に興味を持っている人のみならず、生命や人間ってなんだろう、と思うことがある人には、ぜひ一読いただきたい。

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