硫黄島から手紙が届いています

2020年4月18日

十七歳の硫黄島 秋草鶴次 文春新書

私はクリント・イーストウッドの映画『硫黄島からの手紙』は見ていない。そもそもあまり映画は見ない。小説と同じく、もう少し映画も見た方が良いのかもしれない。

(ちなみに今回の舞台である硫黄島は「いおうとう」であって、「いおうじま」ではない。「いおうじま」の硫黄島は鹿児島県にある。)

映画は歴史と似ていると思う。「歴史」とはなんであったか。岡田英弘氏はこのように述べていた。

“歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである”

(岡田英弘 『世界史の誕生』 ちくま文庫 P32)

映画も同じである。歴史上の出来事を題材にしている映画監督自身は、まずほとんどその出来事を直接体験していない。

硫黄島の映画を作るにしても、クリント・イーストウッド氏は硫黄島を遠くから見たり記録を読んだりしたかもしれない。あるいは体験談を聞いたかもしれないが、直接は体験していないだろう。

それらの得られた知識から何が起こったかを把握し、解釈し、理解し、説明し、作成したものが映画である。面白くないと流行らないので、ある程度ドラマ性というか、物語性も含まれるだろう。

歴史、あるいは映画は、ある程度客観化、普遍化、抽象化されている。そこに少しだけ著述者の考えや思想も混じり、組み立てられ、物語性も含み持っている。

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しかし、この『十七歳の硫黄島』は違う。著者の実体験の記録である。この実体験は全くもって歴史や映画とは逆であり主観的、特殊であり、かつ具体的である。

著者は、十七歳という年齢で太平洋戦争終盤の激戦地、硫黄島で一通信兵として従軍し、激戦のさなかで様々な体験をした。

目を覆いたくなるような惨状もあれば、まどろむような疲労もあった。

教科書や歴史書で客観的、抽象的な戦争の話を読んでも、あまりピンとこないことが多い。

広島の原爆について教科書で勉強するのと、被爆者自身による語りでは、まったく入ってくるものが違う。

これはたとえば、病気にしても同様である。医学書などの教科書を読むのと、実際の患者さんの話を聞いたり闘病記を読んだりするのでは、まったく違う。

そういった意味で、この本は戦時中における、ある一人の特殊な経験なのではあるが、我々のなかにグサッと入ってきて、あたかも我々が同じ経験をしているような気がしてくる。

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著者は六十一年目にして、その体験の記録を我々に語りかけてくださった。

こういった体験を読ませていただいたことを幸いに、その貴重な経験が、体験のカケラ程度にでも我々の身体に染み着いてくれればいいと思う。

戦争や病気などについては、客観的な知識や歴史の本などから勉強しても、知っているつもりにとどまってしまう。「知る」ことはできるだろう。

しかし、個々の実体験を聞いたり読んだりすることでしか、その実際を「感じる」ことはできないのではないか。

この本は、日本人であれば必ず読んでおくべき一冊である。

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「どんな意味があったか、それは難しい。でもあの戦争からこちら六十年、この国は戦争をしないですんだのだから、おめえの死は無意味じゃねえ、と言ってやりたい」(P259)

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これは、2006年夏に放映されたNHKスペシャルで、番組のあとに著者が述べた言葉である。

戦争中に最終防衛線となった一つの離島の玉砕として、話がまとめられがちである。そこには、本書のような個人個人の、祖国を守りなんとか生きようとした映画以上のドラマがあるのである。

多くの人の命が失われたが、死んでいった人々には、どんな意味があったのか。と考えるとむなしくなることもある。

しかし、彼らの命をかけた働きがあってこそ、今の日本で我々は生活できているのである。

ここで、参議院議員青山繁晴氏の硫黄島訪問の記録による本からも引用させていただく。我々は、彼らが命を懸けて守り、夢見た生活、生き方をしているだろうか。

“・・・戦争が悲惨だったことを一番ご存知の英霊の方々が何を一番知りたいかというと、いま、日本人はどんな生き方をしているのかということを知りたいのではないですか」(P192)

硫黄島からは今こそ、わたしたちに手紙が届いているのです。わたしたちが忘れていたものを、架け橋でつなげば、新しい日本人の生き方が見えてくる。(P286)”

(青山繁晴 『ぼくらの死生観―英霊の渇く島に問う』 ワニブックスPLUS新書)

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なにより、この『十七歳の硫黄島』という新書を手にしてまず印象深いのは、表紙帯に刻まれた著者の、少年時代の写真である。

少年から青年に移行する時期のような、あどけなさと責任感を兼ね備えたような顔が、これから起こる過酷な状況を考えると、いたたまれない。

表紙裏には著者の晩年の写真があり、帯の写真との変化も著しい(失礼!)が、顔のしわとともに刻まれた実体験の深さを、感じさせる顔立ちである。

著者と同様に硫黄島で戦った人々がいて、多くの人が散っていった。

その人々が願ったのは、なんとか敵を食い止め、祖国の家族や人々を守り、幸せになってほしいということなのだ。

少なくとも、我々が今こうして生きていられるのは、彼らのがんばりがあったおかげである。

帯の写真は、我々に言葉以上のものを訴えている。あなたは、何を感じるだろうか。

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