怒ること

2020年3月2日

怒る技術 中島義道 角川文庫

以前『怒らないこと』という本をご紹介しました。

その本を読んでからは、周囲の人が怒ることもメッセージはしっかり受け取りつつ受け流すことができるようになったと思いますし、自分でも人に対して怒るということは少なくなってきたかと思います(もともとあまり怒らない方だったとは思いますが)。

しかし、最近「怒ること」も必要かなと思うようになってきました。『怒らないこと』でも述べられていた、困った「怒り」とは、感情のままに他人に厳しい言葉を投げつけ、相手の人格や考え方、背景などを無視して一方的に自分の考え方をねじ込もうという行動かと思います。

それは、伝えたいメッセージを伝えるために、いくぶん効果的なのかもしれませんが、そこまでしなくても伝えることはできます。逆に弊害も大きいものです。

今回ご紹介します本は、時間論、自我論、そしてコミュニケーション論を専攻する哲学者による、「怒る」ということについて、技術的な面も含めてご自身の経験から述べられた一冊です。

「怒る」ことの必要性や「怒り」の感情の扱い方を考え、豊かな人生を送るために、一読いただきたい一冊です。

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(1)すぐに怒りを表出すること。

(2)以前の怒りを根に持つことが少ないこと。

(3)怒りははげしく、しかしただちに収まること。

(4)怒りの表出が言葉中心であること。

(5)個人的に怒ること。

(6)演技的な怒りであること。

これらは、そのまま本書における理想的な怒りの目安となります。(P6)

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ここでは、怒り方について、押さえておきたいポイントが述べられています。

(1):これは、怒りを感じたら、その場で相手に示すことだと思います。少し考えてからとか、周囲の様子を見てからとかではなく、その場で怒る。その方が、相手も自分の行動に対する評価をすぐに受けることができますし、話の流れも新鮮で、こちらの筋も通しやすくなると思います。しかし、項目の(5)にありますように、あまり大勢の前で怒るのはいいことではありません。

(2)、(3):これも同感です。周囲で怒り方がうまいなあと感じる上司はときどきいまして、まあ怒られたときはげんなりしますし、近寄りがたいものです。しかし、次の日に持ち越さない点が良いと感じました。いくら昨日ひどく怒っても、次の日にはひっぱらずに相談に乗ってくれる。これは理想の姿だと思います。

(4):手が出たり、足が出たり、モノが飛んできたりすると、なかなか大変です。ケガのないようにかわして、過ごしましょう。たいてい、そういう場合は本人もあまりコントロールできていないので、自身の手足や器物を損傷します。

(5):人の前で怒るのは、「恥をかかせる」という要素もありますが、怒られた当人も「こんな人前で怒らなくたって」とかなりのダメージを受けます。

(6):“演技的“に怒るの反対は本気で怒る、ということでしょうか。気持ちを込めて考えて怒ることは必要ですが、ある程度余裕をもって、「怒ってるんだぞ」ということを表せばいいかと思います。逆に、本気で怒るということは、それこそ感情に任せて怒っているような状態では、良くないわけです。

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ひとからひどい目に遭ったら、「しかたない」とか「まあいいや」と思うことをやめること。そして、自分の中にうごめく不快感から身を振りほどいて脱出しようとせずに、そこになるべく長く留まるようにすること。「みんな私が悪いんだ」とけっして思わないようにすること。このことを、静かな夜ひとりきりになったときにでも、ゆっくりと実行してみることです。(P37)

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一方で怒られたらどうするか。相手から受けた怒りの感情や不快感を、押し殺して、なかったことにするとか、解離しておくということは、しない。判断、評価をしないということでしょうか。

自分を責めずに、投げやりにもならず。どうでしょう、ただ相手の伝えたかったことをゆっくり、考えて見てもいいのかもしれません。

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ひとは怒るべきだと私は確信しています。正しい怒りでなくても、怒りを感じたらそれを圧し殺すべきではない。このことは、世の中に完全に正しい怒りは原理的にない、という私の信念にもとづいています。いかなる怒りも、完全に正しくはない。いかなる怒りにも、怒りをぶつける相手に対する偏見があり、自分は相手より「まともな」人間であるという思いあがりがあります。

・・・私の言いたいことは、だから怒るなということではない。完全に正しいことのみしようとするなら、われわれは何もできない。

・・・私の提言は、このことを自覚して怒るべきだ、少なくとも怒ったあとでこのことを腹の底まで自覚すべきだ、ということにつきます。(P46)

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怒るべきか、怒らざるべきか。どうしても、我々は怒るにしても、「絶対にこの怒りは正しいんだ、怒った方がいいんだ」というときにしか怒りたくないものです、なるべく。

しかし、著者は世の中には正しい怒りは無いといいます。たしかに、怒りをもって相手になにかを伝えるときに、我々は相手の事情や考え方、状況、背景などを相手と同等にすべて把握しているわけではありません。

だから、相手にとっても、「怒られて、これは正しい」と感じることはないと思います。

飲みすぎて寝坊して怒られたとしても、いつもはそのくらい飲んでも大丈夫だったのに、たまたまカゼ気味など具合が悪いことが重なって、動けなかったのかもしれません。そういう弁解をすればいいのではと思うかもしれませんが、たいがい、しっかりしているヤツはあまり言い訳しないものです。

怒る立場としては、こちらの怒りのメッセージが100%相手に届かなくても、多少相手を損傷するような当たり方をするかもしれないとしても、ただ、少しでも相手のためになればいいなあ、といった心持ちで、怒ってみる程度でいいのではないでしょうか。

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できれば、「書く」ことです。そして、それを何度も読み返すのです。あなたは、そのたびに怒りを新たにするでしょう。しかし、新鮮なかたちのままに生け捕りにされた怒りは、崩壊することはない。腐敗することはない。そこに、いつまでも具体的な相貌が保持されています。(P84)

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私も、「怒り」(こう何度も「怒り」とか「怒る」とか書いていると、自分がなんだかすごく怒りっぽいひとのように感じてしまって、少し気分が悪いです)を覚えた時には、その場ですぐに、うまく怒ることができればいいのですが、まだまだ「怒り」初心者なのでできません。

そこで、自分が何を怒っているか、なぜ怒っているか、どうすればいいと思うのか、など少し考えてみて、できればノートやスマホに書き出してみて整理します。

また、実際に怒ろうとしているとき、その前に怒る内容を書き出してみて、その流れや内容について確認することも有用だと思います。すぐ怒るという場合には使えませんが、少し考えてから怒る場合には良いと思います。

ある程度まとまったら、(少し練習して)怒る実行に移してみます。そして、どうだったか、うまく伝わったか、一方的でなかったか、上げ下げなど流れは、などと反省するわけです。

時間がたてば、熟成してきて自分がそのときなぜ怒ったか、怒った結果どうなったかを振り返ることができるでしょう。次への反省もできます。

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そもそも、自分から見てどうでもいい人に対しては、そんなにこちらも苦労して怒るということもしなくてもいいかと思います。しようとも思いません。

どうでもよくない人に対しては、もっと成長してほしいからだとか、もっと輝いてほしいからだとか、「余計なお世話」を小脇に携えつつ、今後も「怒ること」を使っていければと思います。

「期待しているから怒るんだよ」という意味とはちょっと違うかもしれませんが(むしろ、「あまり期待していると、外れた時に怒りが出ますよ」という意味でしょうが)、最後に本文中にも引用されている徒然草の一節を載せて、締めとさせていただきます。

萬の事はたのむべからず。おろかなる人は、ふかく物を頼(む)ゆゑに、うらみいかる事あり。(『徒然草』 第二百一段)(P187)

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