教わる側の姿勢

2020年2月15日

教わる力 牧田幸裕 ディスカヴァー携書

アンテナというのは大事である。いくら電波が飛び交っていても、アンテナがなければ拾うことができない。同様のことは、教育でも考えられる。

教育の要素としては教える側(たとえば上司や先生)と教わる側(たとえば部下や生徒)があり、これまでは教える側の教え方に重点がおかれ、いかにうまく教えるか、指導するかという点が強調されてきたように感じる。

しかし、もう一つの要素である教育・指導の受け手、つまり教わる側の能力も重要ではないか。この本では教わる側の能力について、考察と説明がなされている。

教育におけるアンテナとは、聞こうとする姿勢であるとか、予習をしておいて聞いた内容を理解しやすい姿勢をとっておくとか、あるいは聞いたことを自分のこれまでの知識や経験と照らし合わせるなどして有機的にとらえようとする姿勢であろう。

教育・指導する側も努力が必要であるが、それを受け取る側も受け身の姿勢ではなく、積極的に「教わる力」が必要だ。

上司や先生が「教える力」や「育てる技術」を磨けば磨くほど、部下や生徒の「教わる力」が退化しているのではないかというのが、僕の仮説なのだ。(P5)

世の中が便利になれば、人の能力は退化する

上司や先生は部下のスキルアップや生徒の成績アップのために、いかに上手く指導・教育するかを熱心に考える。そして効率よく指導・教育できるようになる。

そうすると、それを受け取る部下や生徒は、その恩恵を受けて効率よく指導・教育されることができる。

しかし、いつまでも熱心な上司や先生がいるわけではなく、後々には自分が下を指導・教育する立場にもなるわけである。

今度は、ある程度自分で知識や技術を探求して、得ていかなければならない。そんなときに、これまでの受け身の姿勢でやってきた者は、なかなか探求ができないのではないか。

部下であり生徒であったときから、積極的に上司や先生の指導・教育をいかにしてうまく受け取り、身に着けていくかという姿勢が、のちのちに自分が新たな知識や技術を探求するときに生きてくるのではないかと思う。

いずれも中途半端な結果になり、「二兎を追うものは一兎をも得ず」になってしまうのだ。こういう心理状態になってしまうのは、次の2つの原因がある。(P69)

①クリティカル・シンキングができない

②サンクコストの意識を持つことができない

クリティカルシンキングとサンクコスト

なにが教わるべき重要なことを選び出し、無駄な(世の中まったく無駄ということもないと思いますが)ことを排除するために有用な考え方が、クリティカルシンキングとサンクコストである。

クリティカルシンキングとは、問題を構造化し、そのなかで重要な要素を選び出すことであり、限られた時間の中で今の自分にとって重要なことを選択することである。

サンクコストとは、たとえこれまでの積み立てや投資が一見無駄になろうとも、重要でないこと、面白くないことをやめる考え方である。

たとえば結構なお金を払って購入したイスだが、しばらく使ってみるとあまり座り心地が良くない、そういうときにはかけたお金のことを考えてがまんして使い続けるのではなく、手放して次の良品を求めるようなことである。

自分の確固たる判断軸があってはじめて、視点の比較対象との距離がわかり、何がクリティカルな視点なのかがわかるようになる(P84)

クリティカルシンキングやサンクコストの考え方によって、重要なことを選び出すことできる。しかし、その前に何が「重要なこと」なのか判断する能力が必要である。

その判断には自分の確固たる判断軸が必要である。自分の立ち位置というか、足場である。

確固たる立場から周囲を眺めるからこそ、その立場との距離や位置関係から重要度がわかってくるのである。何ごとも、自分の判断軸との比較でしか、人は自分の重要かそうでないかの評価はできないのではないか。そうでなければ、いわゆる口コミなどネット上の評価をたよりにするしかないか。

最初は面倒くさい。しかし、やっているうちに面白くなってきて、または、やるべきことが見えてきて、やる気が出てくるわけです。彼らは、それをわかっているので、「やる気はないけど、とりあえずやってみる力、手をつけてみる力」が、非常に優れているのです。(P188)

仕事なんかもそうである。日常の仕事もそうであるし、プレゼンや抄読会などもそうだ。期限を切られ、とりあえずその期限まですませばいいかと放っておくことがある。期限がせまりギリギリになって、いやいやながら始めてみる。

しばらくやっていると、意外と内容の面白さに気づいて、もっと調べてみてはどうかとか、こういったことも盛り込んだらどうかなどと浮かんでくることがある。しかし、期限のある仕事であり、そういった工夫の余地なく提出や発表がなされる。

おそらく、その途中で浮かんできたアイデアが、仕事のマンネリ化を防ぐ一つの要素なのだろう。しかし、期限付きでなんとか提出完了してしまう仕事については、提出してしまえば、OKなわけでほっとしてしまう。途中で浮かんできたアイデアを盛り込んだり、そのアイデアをとっておいて後で使う機会も少ない。

対策としては、早めに作業を開始して、浮かんでくるアイデアを適度に盛り入れながら作業を進めることと、アイデアはメモなどして、次の仕事、別の仕事に応用することであろうか。

森信三先生は仕事の進め方についてこうおっしゃっている。

一つ、思い切って、とにかく手をつける。「即今着手

二つ、一度着手した仕事は二等分線を越えるまでは「一気呵成」にやってのけること。

三つ、仕上げはまず80点級のつもりで、絶対期限を遅らさないこと。この良い意味の「拙速主義」が大事です。

自分の「信じる道」は、ベストフィットで目の前に現れるものではない。「信じる道を貫き通し」ながら、自分にベストフィットになるようにカスタマイズしていくものなのである。(P214)

「教わる力」を使いながら、自分の信じる道を進んでいく。信じる道とは、自分の判断軸をたよりに進んでいく道である。

我々の人生は様々な選択肢が目の前に現れて、そのどれかを選択しながら進んでいく。そういった場面で、口コミや評判を頼りにベストフィットを見つけ出して選ぶのではなく、自分の判断軸をたよりに選んでいくのである。

職業選択、志望科の選択から、結婚相手の決断、夕食の選択までさまざまである。ベストフィットが転がっていてそれを選ぶのではない。選んでから、自分にベストフィットになるように工夫してカスタマイズしていくものである。

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コーチングやメンタリングなど、とかく指導する、教える側についての本は多いが、教わる側の工夫についての本は少ないと思う。

そういったなかでこの本は、教わる側の姿勢や自分にとって教わるべき重要なことを選び出すための判断軸について述べられている。

教える側も勉強して、いかにうまく教えるかを鍛えることも重要である。一方で、教わる側もいかにうまく教わるかを鍛えるべきである。

さらに言えば、誰でも決して教える側だけということはないのであり、場面によって教わる側になったり教える側になったりする。「教わる力」をつけることは同時に「教える力」にも寄与すると思う。

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