地に足をつけて生きろ! スヴェン ブリンクマン 田村洋一 訳 Evolving
「自己啓発」とは、自分の知識や技能を向上させるために自分の意志で勉強や訓練を行うことです。
知識や技能をより多く、より高く向上させて生活や仕事などに活かす。そうすることによって、より良く生きることができるという考えのもとの行為です。
自己啓発のポイントは“自分の意志で”行うことにあります。しかしながら昨今では、企業の人材育成のために自己啓発が勧められることもあります。
あるいは、周りの雰囲気に押されて「自己啓発をしなきゃ、しなさい」という風潮が感じられる現代社会でもあります。
この本は、本来の自己啓発より過剰な方向に向き過ぎているともいえる現代の自己啓発社会に鉄槌を下してくれます。
実際に私もこの本を読んで自分の考え方に強烈な鉄槌を下してもらいました。まずは「イントロダクション」からの引用をどうぞ。
昔は個人的事柄と思われていた人間関係や習慣が、今では企業による人材育成のツールとして活用されている。個人の感情や特質は道具化されている。のろのろしていて、元気がなく、壊れてしまうような、ペースについていけない人には対処法として、コーチング、ストレス管理、マインドフルネス、ポジティブ思考などが処方される。あらゆるものが加速する中で方向や時間の感覚は容易く失われてしまう。「今を生きろ」と言われる。過去にこだわるのは退歩的であり、未来とは空想上のばらばらな瞬間でしかなく、明確な一貫性など存在しない。(P14)
はい・・・。ここで著者は我々の大好きなものたちをことごとく破壊してくれます。
そういえばコーチングの本も読んだし、後輩や学生に対してはコーチングの考え方を用いて相手をしていたこともありました。
ストレス管理は大切です。良いストレスを保ちつつも、過度なストレスが引き起こす心身への負担を避けるための対策が必要です。
マインドフルネスっていいですよね。私もときどきマインドフルネス瞑想は実践しており、ストレス管理の面でも、あるいは自己を最大限に発揮するためにも大切だと思っています。
ポジティブ思考をすれば、人生はポジティブになる、とまでは言いませんが、ネガティブなことをクヨクヨ考えるより、起こったことは全て自分のためになるものだ、と考えるようにしています。
「今を生きる」 そうですよね。うすボンヤリした過去や未来に照明を合わせるのではなく、「今ここ」に集中して、何ができるかを考える。大切じゃないですか。
私だけでなく多くの皆さんが、不安定で変化しつづける現代社会やこれからの社会を生きていくには、こういったスキルが大切と感じているはずです。
そのために、こういった内容についての様々な「自己啓発書」を読んだり、それらを実践して成功を遂げた人物の「伝記」を読んだりして、自己啓発に努めます。
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一方で、こういった自己啓発に一抹の“うさんくささ”を感じるのも否定できません。世の中そんなに何でもかんでも努力すれば上手くいくのか、皆が同じようなことをして宗教みたいで気持ち悪い、などなど感じることもあります。
基本的に人間の生は基本ネガティブで満ちています。そもそも生命というものが大いなる異化(分解してエネルギーを放出しグズグズになっていくこと)に反してがんばっている存在ですから、苦労は多いのです。
生老病死をはじめ、人との出会いや別れ、上手くいかないこと、不運な出来事があります。
それらネガティブなことをネガティブなりに捉えることが、人生に深みを与えてくれることもあります。闇があるからこそ光は輝きます。
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そして、自分自身の経験的にもこういった自己啓発を目指して多くの自己啓発書を読んできましたが、期待するほど効果はありません。まあ私の読み方や実践がまずいのかもしれませんけどね。
ともかく、この本はそういった自己啓発の過度な流れに飲まれている現代人を救ってくれる本だと思います。
そういう意味ではこの本もまた自己啓発書と思われるのですが、その点については著者も自覚されておられます。
また、逆説的だが、本書自体がその批判しようとしている個人の啓発の一例だという皮肉も承知の上である。(P23)
そうですね。この本自体も自己啓発書と呼ばざるを得ません。しかし、これまでの自己啓発書とは異なり、それらを否定するものです。
そして、おそらく私の中ではこの本が最後の自己啓発書になるのではないかと思っています。
まあ、参考程度にこれからもいわゆる自己啓発書や伝記は読むかと思いますが、少なくともこの本を読んで私の読書がガラリと変えられたことは間違いありません。
また、この本では自己啓発書や伝記を読む代わりにどうするかということで、「小説」を読むことを勧めています。内容は後にしますが、読書人としては興味深いところです。
自己啓発書なんて読んでも何も変わらないじゃないか、と思っている方はもちろん、読書のしかた、小説の効用について興味のある方にも是非読んでいただきたい一冊です。
己の内面を見つめたりするな(P27)
この本では、よくある自己啓発書のごとく“7つのステップ”で脱・自己啓発の道筋を説明してくれています。
また、各章の最後には、「そんなこと言ったって、じゃあどうすればいいのさ」という人のために、まさに“じゃあどうしたらいいのか”という項目を布置して実践法を書いてくれています。
各章の表題(太字下線で示しています)を引用しながら、話を進めたいと思います。
己の内面を見つめ、自分はどのような人間なのか、自分はどうしたいのか、自分は何を目指しているのか、そういったことを把握することは大切かもしれません。“自分探し”や“自己実現”ですね。
それもそうではありますが、それだけで行動してはいけません。内面はともかく、自分の周囲に注目して何が求められているのかも見る必要があります。
そのためには、多少やりたくないことをすることも必要ですし、試練に立ち向かうことも必要です。
自分の内面ばかり大切にするのではなく、外界が求めること、倫理的価値のあることを行うようにすることです。
人生のネガティブにフォーカスしろ(P47)
さきほども述べたように、基本ネガティブな要素に彩られているのが人間の生であります。
それをいかに解釈するか、受け入れるかのために古来、宗教や哲学が発達したところもあるでしょう。
生きていくのは大変だし、時間が経てば一方的に老いていく。病気で苦しむこともあり、そして必ず死が訪れます。
自分だけでなく、大切な物や人が失われることは重々承知しておく。そうすることによってその物や人がより大切に思われ、日頃の付き合いも深みを増します。
また、自分がいずれ必ず死ぬことを自覚することにより、死という闇をバックグラウンドに配することにより、生や生活といった光がより輝きを増します。
きっぱりと断れ(P69)
今の社会は、とりあえず何でもイエスと言って対応を考えること求められている感じです。
ただ、その“対応”に無理が出ることもあり、コーチングやストレス管理でごまかすようなことも多いのではないでしょうか。
でも案外、断ってもどうにでもなることが多い気がします。飲み会など様々なお誘いはもちろん、定例的な会議や企業文化にもそういうものがあるかもしれません。
職場などでも、無駄なものを削減すること、キッパリと断っても尊重され自然に感じられるような風土を根付かせるようにしたいですね。
感情は押し殺せ(P89)
感情は人間として大切な機能であり、感情に沿って自分の心や他人の心の動きを推し量ることは人と人とが生きていくうえで大切なことではあります。
しかし、過度に感情を推し量って行動することは、感情に振り回された行動になってしまいます。
それは公共の場ではしばしばそぐわない行動となることもあります。そのために人間は“儀式”という形式を導入してきました。個人の考えや感情に振り回されず、行うべきことを淡々と進めるために。
しかしセネットによれば、これは途方もない間違いだった。社会には人々が文明的に過ごすための前提として儀式が必要なのだ。
・・・現代が儀式を蔑視するようになったことで、我々は最も原始的な狩猟採集民よりも文化的に未熟になっている、とまでセネットは言う。(P97-98)
現代は、この“儀式”が蔑視され、軽薄化しています。儀式とは、個人の感情や考え方に応じるのではなく、皆が同じ感情、考え方にそろって難しいことや予測不可能なことを進めるために必要なのではないかと思います。
医療において、人事は尽して各人ができること、考えられることはします。それでも予測不可能な経過や事態はしばしば訪れます。
(『医療者が語る答えなき世界』の紹介記事もご参照ください)
そのために、儀式的にまでも感じられる確認作業や手順があり、各スタッフの考えや行動を一方向にそろえる効果があると感じます。
そういったスポーツ選手の“ルーチン”のような行為を行うことで、気持ちの落ち着きや安心感、いつも通りにすればいいという安定感が得られるのではないかと思います。
個々の感情や考えで好き勝手にするのではなく、全体の気持ちや考え、行動の方向をそろえて行動することが、人間が偉大なる文化・文明を築く力になったのではないでしょうか。
コーチをクビにしろ(P109)
いかにして後輩や学生、子どもに対して成長をもたらすかを考えるコーチング。「絶え間ない向上」を促してくれるコーチは頼りになる存在と思われます。
ただ、一般的なコーチングは自己実現のためにどのような最適な手段があるかを導いてくれる存在であり、自己を超えた自分の義務や役割に気づかせるものではありません。
もちろん、自分の個人的・主観的な目標を達成することも人生においては大切ですが、その他にも道徳や倫理など人間として生きていく上で守らなければならないものはあります。
コーチングという、個人的・主観的な成長を導く存在よりは、友情や友人あるいは親の愛や親子といった、自分が最善を尽くしたいと思うことができるような関係を大切にしたいですね。
小説を読め—自己啓発書や伝記を読むな(P127)
自己啓発書や伝記を読んで自己啓発に努めるのでないとしたら、読書はどうすればいいのでしょうか。これまでの読書遍歴の一角をいわゆる自己啓発書が占めている私は、不安になります。
そこでお薦めいただいたのが「小説」ということです。おっ、いい感じですね。私も最近は小説の良さを実感してきたところです。
小説は自分以外の(多くは)人間の人生を描いています。自分一人の人生では経験できないことを知ることができます。そして、自分の人生にも深みが得られると思います。
そうではあるとして、著者はなぜ小説を読めと言っているのでしょうか。
自己啓発書や自叙伝などとは違って、小説は人生を忠実に表現している。人生とは複雑で出鱈目で混沌としていて多面的なものだ。小説を読むことで自分がいかに人生をコントロールできないか思い知らされると同時に、社会的・文化的・歴史的プロセスと人生が密接に絡み合っていることも理解できる。この認識だけで謙虚さが生まれ、自分を磨くことばかりに気を取られずに人生における自分の義務を果たすことの助けになるだろう。(P130)
そうですね。自己啓発書はその本の著者の場合に上手くいった方法論を報告したケースレポートのようなものだと思います。それが普遍的に多くの人間に当てはまるとは限りません。
また、伝記もその人の個人的な人生を述べたものです。そこにはたゆまぬ努力があり、ゆるぎない信念があったかもしれません。
しかしこれもまた、その個人の場合であり、同じように多くの人ができるかは当てになりません。
ある意味、伝記は小説と似ているかもしれません。小説と異なり実在の人物が主人公であるというだけで。
それにしても小説は数多くあります。エンターテイメント的な効果もある一方で、伝記並みに、あるいはそれ以上に人生の機微や登場人物の気持ち、感情の変遷を感じ取ることができます。
“事実は小説よりも奇なり”とは言われますが、小説も複雑で出鱈目で混沌として多面的な内容が豊富です。
自己啓発書や伝記は「こうしたら上手くいきました」という生き方の見本のような感じがします。
その一方で、小説は「こういうことがありました」という、けして上手く生きる方法だけでなく失敗やネガティブなこと、どうしようもない絶望的な状態などもふんだんに盛り込まれていることが多いでしょう。
前者も役に立つことはあるかもしれませんが、小説はそのまま自分の人生に役に立つというわけではないにしても、「そんなこともあるかもね」と人生の受け取り方に余裕や幅を持たせてくれる気がします。
そして、「じゃあ自分はどのように生きようか」という自分の生き方や義務、役割を考えさせてくれるかもしれません。
過去にこだわれ(P147)
周囲の人々や自分が知っている自分ではなく、本当の自分を見極める「自分探し」もいいですが、そもそも自分なんてものはこれまでや周囲によって作られている成分が多いのではないでしょうか。
自分の原体験やルーツを知ることにより、自分という人間がどのような人々や組織に支えられてきたか、自分自身を理解することにつながります。
歴史は繰り返すと言われ、愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ、とも言われます。自分の人生ですから、自分の場合に経験してきたを大切にすることが今後の生き方にも活きてくると思います。
そういう意味では、経験からも学ぼうとせず、ただただ「今ここ」だけにフォーカスを合わせているのも考えものです。
まずは自分の過去や経験を大切にして、自分とはどのような人間なのかを何となくつかんでおく。そしてまた、「じゃあ自分はどのように生きようか」と生き方を考えることができるでしょう。
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もちろん、“自己を啓発する気持ち”は大切です。しかし、近年の自己啓発の方向がポストフォーディズムとも呼ばれる大量生産・大量消費の社会に合わせたかたちであることが問題です。
我が国でも高度経済成長などという歴史上の出来事はとっくの昔に過ぎ去ったのに、それを再び目指すような気持ちで社会が努力しているところがあります。
そのためには効果的な指導や協調が必要だ。それならコーチング。ストレスも多い。それならストレス管理。「今ここ」に集中して行動を研ぎ澄まし、成果を目指す。それならマインドフルネス。どんなこともポジティブに考えて生産的に生きていこう。それならポジティブ思考。
もちろん、それらは有用なものではあります。家庭や教育の場、職場などでコーチングの考えは大切ですし、ストレス管理もマインドフルネスもポジティブ思考も現代に生きるための極めて有用なツールです。
それらも自己の啓発、つまり自分がより良く生きるためのツールとしては用いつつも、それだけではなくこの本で指摘された7つのステップも大切に考えていくことが大切です。
それが、人生をより深みがあり明暗、色彩、そして濃淡の豊かな作品とするために役立つのではないでしょうか。
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これまではなんとなく切羽詰まって読書していた感もある、あたかも収穫を恃んで必死に耕そうとしていた私の“読書の畑”でした。
でも、この本を読んでからは少し落ち着いて、楽しんで読書の畑を耕すことができるようになった気がします。
なにしろ、「小説なんて作り話だから読んでも仕方ないのではないか」という根底で払拭されずに残っていた考えが、今回きれいに拭い去られました。これからは心置きなく小説の読書も耕していきたいと思います。
もちろん、今後も自己の啓発は続けたいと思います。「いい年して自己啓発なんて」という人もいるかもしれませんが、いつまでも自己を啓発する気持ちは大切です。
それでも、この本と出会うことによって自分の“自己啓発”に対する姿勢が一段と高められたことは、間違いありません。