本の読み方(3)~アウトプットはインプットを最大限に利用する手段

「インプット」という言葉と、「アウトプット」という言葉があります。様々な使われ方をします。

ここでは、「インプット」は、話を聞くこと、本や新聞を読むこと、テレビを見ること、ラジオを聞くこと、ネットで検索したり調べたりすることなどを言うことにします。

そうすると、「アウトプット」は、人に話すこと、発表すること、投書や書き込み、レビュー、あるいはブログなどのSNSで文章に書くことです。

読書をして、その感想や書評を書くことは、インプットからアウトプットの一つの流れと考えられます。「読む」というインプットから「書く」というアウトプットへの流れです。

こうしたインプットとアウトプットの間に入っているのは、多くの場合わたしたち人間です。そこでは色々な処理がなされます。

インプットしたことは、ある程度加工され、その人間の知識や経験なども織り交ぜられ、人それぞれのアウトプットが産み出されます。

あるいは、インプットが同じ内容でも、出てくるものはアウトプットする人間によって異なると言えるでしょう。

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話しは少し変わりますが、果物がジュース工場に入って果物ジュースになります。たとえば、リンゴが工場でリンゴジュースになります。

リンゴをインプットと考え、リンゴジュースをアウトプットと考えます。間に介在するのはジュース工場です。

しかしこの過程では、リンゴがジュースになるだけではありません。工場では電力や時間、人件費が使用され、製品製造工程のデータや糖度や不良品などの評価が残ります。また、リンゴの搾りかすも生じます。

ここでちょっと、これを「読む」と「書く」に喩えてみようと思います。読書などで「読む」インプットから、書評などを「書く」アウトプットの流れです。

「リンゴ」を読んだ本と考えます。「リンゴジュース」は書評と考えます。

「電力や時間、人件費」はそのまま当てはまる気がします。陽光の元で読むのでなければ照明が必要ですし、時間も必要です。衣食住足りなければ読書もままなりません。。

「工場に残された製造過程のデータや評価」は知識や経験でしょうか。読んだ内容はすべてアウトプットして放出するわけではなく、残ります。次の機会に利用できるものや、他の情報と織り交ぜて加工することにも利用できます。

このように、「データや評価」を利用して、よりおいしい「リンゴジュース」を作るのが「知恵」だと思います。

これまでの知識や経験は「知恵」として、「ブドウ糖」であるとか「香料」、「酸化防止剤」などとして役に立っているのかもしれません。

「搾りかす」が発生します。これはあまり面白くなかった内容、読み飛ばした内容、あるいは本でしょうか。

「搾りかす」も、肥料になったり飼料になったりします。元はと言えば、リンゴをそのまま食べていれば健康に欠かせない食物繊維です。腸の働きを良くしますし、リンゴの硬さを噛むことによって顎も鍛えられます。

読み飛ばした内容や、あまり面白くなかった本も、面白い部分を引き立てているかもしれませんし、なにかしら人生の肥やしになっていると思います。(少なくとも、面白くないけれど読み切ったことによる忍耐力とか?)

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このように、「読む」から「書く」への流れは、工場で加工するように「製品」以外にも様々なものを工場である我々に残してくれます。

「読む」だけでとどまっていれば、読んで得た知識や経験は蓄積されますが、それを使う、つまり「知恵」へと昇華する機会を、待たなくてはなりません。これは読んだ後にアウトプットすることで可能となります。

「読む」の後にすぐにでも(すぐにでなくてもいいですが)「書く」、あるいは「話す」といったアウトプットにつなげることは、「読む」を最大限に利用する手段の一つなのです。

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