お金は使うためにある

DIE WITH ZERO ビル・パーキンス、児島修 訳 ダイヤモンド社

前回の記事では自己啓発書をいわば否定するような感じではありました。でも、引き続き「これは!」と思うものがあれば読んでいきたいと思っています。

ということで、久しぶりに読みました。自己啓発書。なんてったって本の裏表紙カバーにカテゴリーでしょうか、「自己啓発」と書いてありますからね。これは自己啓発書で間違いありません。

私の読書遍歴としては、10年近く前の本格的な読書を開始した頃から、いわゆる思想書や実用書、そして自己啓発書を読むことが多かったと思います。

その頃は小説をほとんど読みませんでした。小説というのはどうも“作り話”を書いているものであり、読むことで物語を楽しむエンターテイメント性はあるかもしれませんが、あまり自分の身には役に立たないのではないか、と考えていたところがあります。

しかし、最近は小説をよく読むようになりました。小説を読んでいると、物語の内容や登場人物の考え方、生き方について、これまで読んで来た思想書、実用書、自己啓発書の内容をうかがわせるものが見えてくることもあります。

人間にとって大切な知識や技術、あるいは経験を、資料に基づき直接的に説明や解説、論理や数字によって示してくれるのが思想書、実用書、自己啓発書であると感じます。

一方で、そういった知識や技術、経験を物語の内容や登場人物の考え方、生き方、あるいは経験に組み込み、それを読むことで読者も同様の知識や技術、経験に触れることができるものが、小説や文学だと思います。

いずれにしても、「言葉」を用いて相手に伝えたいことがあり、その伝え方として様々な方法があるということですね。

それを直接伝えるも良し、物語として感情の動き、つまり感動を伴わせて読書に注ぎ込むも良しです。

人は、他の人との間で“やり取り”することにより、人間として生きています。その“やり取り”の手段として大切なものの一つのが「言葉」です。

もう一つ、人が人間として“やり取り”することで、現在の人間社会を成り立たせているものが「お金」です。

運搬や保存などの点で不自由を伴う物々交換にうって変わって出現した貨幣制度は、人間の生活に欠かせないものとなっています。

私たちは言葉をいかに上手く使用して他者とコミュニケーションを図り、上手くやっていくかに腐心します。そのために言葉の性質を知り、言葉の使い方を勉強します。

言葉を使う相手は、ほとんどの場合は目の前にいる他者でしょう。もちろん、ウェブ会議など空間を超えて、あるいは録音により時間を超えて他者と言葉を交わし、言葉を伝えることができます。

文字として書かれた言葉も手紙や電子メールのように空間を超えて、さらに古典などの本のように膨大な時間を超えて他者に伝えられます。

言語の違いや古今の用法の違いなどに留意する必要はありますが、翻訳や研究、解読によりはるか昔の人々の思いや考えも、我々は読むことができます。

お金についてはどうでしょうか。お金はカタチをもち、とくに硬貨はしばしば比較的丈夫な素材で作られています。

そのため大昔の硬貨でも一部は現存しており、その価値は歴史的価値や希少性、素材の価値など色々な要素によって変わります。

いま現在流通している貨幣の価値はどうでしょうか。為替相場のように世の中の情勢で変わる価値もあり、また人によっても価値は変わるでしょう。

たとえば、同じ千円であっても、子供がお小遣いでもらった千円と大人が持つ千円ではその価値に違いがあるのではないでしょうか。

子供にとっての千円はけっこうな金額であり、何に使うか、何を買おうかと夢や希望が膨らむものだと思います。大人の場合は、もしかしたら昼食代で一瞬に消えるかもしれません。

言葉の価値も、受け取る側の境遇や年齢によって異なると思います。子供に『論語』を読ませても、直接的にはあまり何とも思わないかもしれません。

でも、ある程度人生経験を積んでから『論語』を読むと、自分の経験に照らし合わせて感得するところも多いと思います。

言葉は受け取る人の知識、経験、あるいは境遇によって、解釈が異なってくるわけですね。言葉にとっては、解釈が大切です。

お金も受け取る人の知識、経験、あるいは境遇によって、使い方が異なってくるわけですね。お金にとっては、使い方が大切です。

さてこの本は、その大切なお金の使い方について教えてくれます。お金の価値を最大限に発揮して自分に、家族に、世の中に役立てるため、ぜひ読んでみてください。

(太字は本文によります)

この本の大きな目的も、直観や本能に頼るのではなく、人生を豊かにする経験を意図的に選択する方法を示すことだ。データや論理に基づき、何をすべきかをよく考えることが、最善の決断につながっていく。(P44)

一般的に自己啓発書は、直観や本能といった定量的に考えることができず個人によっても異なるものではなく、データや論理に基づいて読者に啓発法を教えてくれます。

一方で小説や文学は、登場人物の考え方や生き方、直観や本能にも基づいた行動によって織りなされる経験とその物語を通じ、読者に様々なことを示唆してくれます。

物語は比較的読者の知識や経験によって解釈の幅や深さが異なります。そのため、ある読者が感銘を受けたとしても、他の読者に同様の感動が起こるとは限りません。

それに対して自己啓発書や実用書などの文章は、得られたデータや論理をそのまま読者に伝えてくれます。

また、どうすればいいのか、何をすべきかを直接伝えてくれることが多いので、その実行性は読者次第ではありますが、分かりやすいと言えるでしょう。

つまり、キリギリスはもう少し節約すべきだし、アリはもう少し今を楽しむべきなのだ。この本の目的は、アリとキリギリスの生き方の中間にある最適なバランスを見つけることだ。(P48)

イソップ寓話の『アリとキリギリス』は有名な話であり、ほとんどの方はご存知でしょう。遊んでばかりいたキリギリスが冬になって食物に困り、遊ばずに働き続けていたアリに助けてもらったという話です。

この寓話からは、あとで困らないようにアリのようにせっせと働きましょうという教訓が得られます。

しかし、アリやキリギリスの場合はどうか知りませんが、人生は楽しむ側面も大切です。アリは困窮せずに済んだかもしれませんが、楽しい人生を過ごしたでしょうか。

もしかして、早逝したとはいっても遊んでくらしたキリギリスのほうが、楽しい人生だったと言えるのではないでしょうか。いろいろ考えられます、

それはさておき、何事も「中庸」が大切でしょうね。この寓話は極端な例を比較しているのであり、彼らの“いいとこどり”をすればいいのです。

すなわち、アリのように働いて困窮しないように備えながら、それだけにはならずに、キリギリスのように趣味や遊びに時間を費やし、楽しむことです。

とはいってもどのようなタイミングで、どのようなバランスでお金を貯め、使ったらよいのかは不安であります。不安だからどうしても貯める方向に偏りがちになります。

そのタイミングや、最適なバランスを教えてくれるのがこの本です。

それに、医療費は病気の“治療”に使うより、健康を保つための“予防”に使うほうがはるかに賢明だ。(P91)

ある経験から最大の価値を引き出すために金、健康、時間の3つが必要であるなら、もっとも大きく影響するのは健康である。健康を損なえば、障害の充実度は大幅に下がってしまう。(P178)

人生を楽しむためにはお金、健康、そして時間が必要です。時間はほとんど全員平等に与えられています。お金は多くの場合稼ごうと思えば稼ぐことができますし、使い方や貯蓄など比較的思い通りにすることができます。

それに比べて健康というものは、比較的意図的にどうにかなるものとも限りません。いつ人は必ず老います。いつ病気になるかも分からず、いずれは必ず死に至ります。

お釈迦様のおっしゃった四苦である生老病死がありまして、生はともかく老・病・死はいずれも健康に関わる問題です。

病気になると、病気の種類にもよりますが、医療費がかかります。様々な治療法や新薬が開発されていますが、結構な値段になることもしばしばです。

我々ができることとすれば、できるだけ病気にならないように予防することですね。存外、予防に良いとされる行動はお金がかからないことが多いです。

そう、運動、睡眠、そして食事に気を付けることです。運動は散歩をすればいいでしょうし、睡眠も早く寝ればいいのです。

スポーツジムに通うとか良い枕やベッドを調達するとか、多少お金をかけることはできますが、基本的にお金をそれほどかけずに可能です。

食事も、なにも健康に良い高価な食物をとりましょうというのではなく、多くの場合は粗食が勧められます。

そもそもお金がかかることではありませんし、病気になって大金を投じることにならないためにも、病気を予防し人生を楽しむための土台となる健康を維持したいですね。

どれくらいの財産を、いつ与えるかを意図的に考え、自分が死ぬ前に与える。それが、子どもを真に大切にし、自分よりも優先して考えていることにほかならない。(P120)

これらをすべて鑑みての私の結論は、「親が財産を分け与えるのは、子どもが26~35歳のときが最善」というものだ。金を適切に扱えるだけ大人になっているし、金がもたらすメリットを十分に享受できるだけの若さもある。(P126)

一般的に遺産相続のタイミングはもらい受ける側が60代あたりのことが多いそうです。そうなると、ある程度自分でも財をなし、生活としては安定している時期であることが多いのではないでしょうか。

そんなときにもらってもしょうがない、というわけではありませんが、もっと若いときにもらっておけばいろいろと仕えたのになあという気持ちもあるでしょう。

夏目漱石の『坊ちゃん』でも、主人公は若い時分にある程度のお金を相続できたことで、教育を受けることができ、教職につくことができました。

先に子供の千円と大人の千円は価値が違うと書きました。若いときにある程度のお金を得ていると、もちろん人によっては湯水のように使うかもしれませんが、自分の能力開発や起業資金など可能性に満ちた使い方でできると思います。

これを読んで、私もある程度のお金ができれば、子供たちが若いうちに、もちろんある程度の年齢になってから、よくよく言い聞かせてですが、贈ることができればと考えました。

なお、本書でも言及していますが、こういったお金の相続や贈与についてはきちんと弁護士など専門家に相談し、助言のもとに行うべきとのことです。

金に価値があるのは、それを使って“有意義な経験”ができるからだ。子どもと過ごす時間もこの有意義な経験に含まれる。(P136)

耳に痛い言葉ですね。そういえば、人生で親が子供と一緒に過ごす時間は、小学校のときまでに過ごした時間がその半分を占めてしまうそうです。

しかし、小学校あたりの子供を持つ親は、たいていいわゆる働き盛りであることが多く、平日日中はもちろん、夜も仕事で遅くなることがあり、子供と過ごす時間を思うようにとれないこともあるでしょう。

せめて、休日には積極的に子供と過ごす時間を作ることや、子供と思い出に残る経験をするために、お金を惜しままない意識を持つことを心がけたいものです。

だが意外にも、もうじき失われてしまう何かについて考えると、人の幸福度は高まることがある。(P195)

以前から、終わりが見えると充実するような感じはしていました。実習などでも期間が区切られており、終わりに近づくと慣れてきた感がしてきます。

慣れてきた感というのは、その場で自分は充分に実習することができている、有意義に過ごすことができている、という感覚からもくると思います。

そういった感覚は、幸福感にも通じると思います。だから、終点を意識することは、今を充実させ貢献感や幸福感を高めることにつながります。

そして、人生の大いなる終点、つまり死を意識することもまた、今を充実させ幸福度を高めることにつながるでしょう。

そりゃあ、死にたくはないですが、誰でも必ず死にます。そして、たいていは寿命くらいいきますが、そうはいってもいつ死ぬかは分かりません。

森信三先生の言葉でも“念々死を覚悟しはじめて真の「生」となる”、“人生二度なし”といいった死を想うことの大切さが語られています。Memento mori(死を忘れるな)という言葉も有名ですね。

物騒だ、滅相もない、という気持ちもありますし、死なないように事故や病気に気を付けて過ごす気持ちも大切ですが、終点を意識して今を充実させることも心掛けましょう。

私たちは、さまざまなことを体験し、発見したいと思っている。仕事をすれば、それらを叶える手段(金)が手に入る。だから私たちは、働き、金を稼ぐことに必死になる。だが、いつのまにかそれ自体が目的になってしまい、もともと求めていたものが何かを忘れてしまっている。それでは本末転倒だ。(P230)

お金は、いわば可能性ですね。お金を使うことによりさまざまなモノを得ることができ、さまざまなことを体験し、発見することができます。

さらに、貯めることによりそういったことの可能性を貯めることもできます。お金を貯めれば貯めるほど、可能性の幅は広がるのかもしれません。

しかし、可能性だけを貯め込んでも、それを使ってモノや体験を得なければ仕方がないと思います。手段としてのお金はあるけれど、その目的が無い状態です。

お金の話でなくても、能力の可能性にも考えが及びます。可能性に満ちた人もいる。とくに若い人は今後さまざまなことを成し遂げる可能性があるでしょう。

でも、可能性だけあってもそれを使って努力しないことには、次の展開はありません。たとえば「一生懸命勉強すればどんな大学にも入れる」などと考えていても、実際に一生懸命勉強しないことにはどうにもなりません。

可能性を温存して、実際にその可能性を活かさずに生きる人生は、スカスカな感じがします。お金も似ていると思います。

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世の中のお金の動きを知ることも大切で、以前ご紹介した『きみのお金は誰のため』も、その点で大変勉強になる本でした。

お金は手段であり、それを用いて自分は何をしたいのか。この本を読み、よく考えさせてもらいました。

自分のお金に対する考え方が変わりました。今後のお金の使い方も、きっと変わります。

まさに自己を啓発してくれる、自己啓発書ですね。

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