本を手に、歩くさきには道がある

万葉と沙羅 中江有里 文春文庫

保育園で一時期は一緒に過ごしたものの、それぞれの事情で離れてしまった万葉と沙羅。通信制高校で再開した二人が「本」をカギに過去を癒やし、未来を拓いてゆく物語と感じました。

一般的な道とは離れた“遠回り”とも感じられる通信制高校という場面。そこで学年は違っても同時期に学ぶことになった二人は、それぞれに複雑な家庭の事情を抱えていました。

二人がたどたどしくも交流していく中で、万葉はそこに様々な本を提示します。一部は沙羅もその提示を受け容れることによって、お互いに心の向きが変化していく様子が描かれています。

古本屋を営む叔父と関わり、自身も読書を生活の、人生の一部としてきた万葉の言葉は、この物語を読む私たちにも届き、本や読書の”メリット”などという渇いたカタカナ語を追い抜き去るような清々しさを感じさせてくれます。

本のチカラを信じる人や読書に興味のある人はもちろん、「人生の遠回りをしているかな・・・」と感じている人にも、ぜひ読んでほしい一冊です。

「本は生ものなんだ。いつまでもあると思っちゃいけない。読みたい、と思ったらぼくはできるだけ買う。次に行った時にあるとは限らないから」(P66)

昔、高校に入学したときだったと思います。担任の教諭が「生物」の教科担当だったためか、初日のホームルームでこのような質問が全員に出されました。

「生物」って、なんと読む?

学級のすべての生徒が、「せいぶつ」や「いきもの」と読んでいた気がします。それで先生が、「なまもの」と読む人はいないのね、と残念な様子だった気がします。

そうですね。生物は“生もの”なんです。生き生きと活動してはいるけれど、その活動は常に変化しており、不意に活動の継続が難しくなると、死んだり腐ったりしてしまう。

鮮魚や肉類、果物も生ものであり、保存可能な食物と比べて調理や摂取するにはタイミングが大切です。

読者も、というか生物である人間も生ものと言えるでしょう。日々せっせと食物を摂取し身体と心を活動させ維持しており、しかしながら時の流れにより変わり続けます。

ましてや心。感情なんてものはコロコロと変わるものです。記憶はともかく欲しいものリストにでもいれておけばいいかもしれませんが、ときどきリストを見直すと、昔入れた本が今も読みたいかどうかは不確かです。「なんでこの本欲しかったんだっけ?」なんてこともあります。いつまでも読みたいわけではありません。

そうなると、ここで万葉君が言っているように、もちろん本そのものは生ものではないかもしれませんが、本に関係を持った人間は生ものですから、その本の印象もコロコロ変わります。

そして、ある本を読みたい、と思った気持ちというものは、読書を推し進める大いなる原動力だと思います。

そういう気持ちのあるうちに、お相手の本を入手し、読んでしまうのが読書を進めるコツでもあります。

日々おびただしい数の出版がなされる本。その本のうちに「読んでみたい」と思っただけで、あるいは「出会った」だけでも、それは一期一会なのです。

出会いを大切にしましょう。それは人の場合のみならず、本に対しても当てはまります。「本は人なり」ですよ。

「本の読み方6~読書には旬がある」の記事もご参照ください)

ずいぶん遠回りしてきたようでも、ゴールから見渡せば思ったほどでもない。

まわり道は一番近いのだ。(P230)

人生の道は、その場その場で新たに継ぎ足されていくものと感じます。つまり、現実世界のように自分が歩く前に道があるのではなく、自分が足を投下したところに道ができる感じです。

「勇者のあとに道ができる」 これは勇者が困難を切り抜けて道を拓き、その後には勇者を慕い協力する人々がついていくので、大勢の人々に踏み固められて立派な道ができる、という意味かもしれません。

その一方で、勇者の前には歩きやすい道は無く、自分が思うままに、あるいは村人の話でも参考に進むしかありません。人生は勇者の歩みに似ています。

「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」(『故郷』魯迅) 今は先行きや先の道は分からなくて不安ではあるかもしれないけれど、そもそも最初から確かな道なんてものはありません。

多くの人が歩いて行くことによって、そういった道を見出して導いて欲しいという期待が込められているのかもしれません。

「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」(『道程』高村光太郎) これも、先行きの見えない人生を一歩一歩踏み進めて、あるときふと振り返ると、進んできた道があるんだなあ、という感じかと思います。

将来どのように生きていきたいか。どんな道を進みたいか。進路ガイドや就職ガイドにはあたかもそのような道があり、ガイドしてくれるように思われます。

しかし、そういった道は大勢のこれまでの個人により経験されてきたものの寄せ集めの平均的なものであり、個人個人はそれぞれ違った経験や出来事を踏みながら歩いて行ったのです。

そういうガイドを参考にして、前に見える(ような気がする)道が、その通りガイドが示すようなゴールに繋がっているかは進んでみないと分からない。進んでみることで、また道が見えなくなったり分岐に出くわしたりして、選択しながら歩いて行くのです。

義務教育を終えて高校に入り大学に入り就職する、といった典型的な道が最短のようにも感じますが、そこにはその人生の持ち主である人間や周囲の人間、境遇や時代、タイミングなどなど様々な要素が入り混じります。

たとえば病気でしばらく休学したとか、不登校をしたとか、留年したとか、浪人したとか、気が変わったとか、典型的な道からは離れることもあります。

そういった、いわば“遠回り”の経験をしたことによって新たな道が見えることも、あるいは以前は考えもしなかった新たなゴールにたどり着けることもあります。

いずれにしても、通ってきた道が近道であり、選んだ選択が正解であり、これまで歩んできた道が最善の道なのです。

*****

本文中で提示されている本を知っているにしても知らないにしても、そういった本を読んでみるのもまた楽しい、ブックガイド的な要素も併せ持つ物語です。

この物語は著者自身が実際に通った通信制高校をモデルとしており、そこでの経験や著者が当時読んだ本が詰め込まれています。

小説は、登場人物の生き方を読者に経験させて、読者の生き方に風を吹き込むものと思います。

登場人物の生き方のみならず、著者自身の生き方や読書も垣間見せてくれる、まさに「本は人なり」を体現する作品と感じました。

そして、本は万葉を、そして沙羅を導いてくれたように、人生という道なき行程を進むための助けになってくれます。さあ、本を手に、これからも歩いて行きしょう。

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