赤ひげ診療譚 山本周五郎 新潮文庫
山本周五郎氏の作品を読んだのは『さぶ』に続いて2作目です。この作品は黒澤映画でも有名な物語ですね。“赤ひげ”は人情味あふれる理想的な医者の代名詞としても使われています。
『さぶ』の物語は人間関係の深い部分を感じさせてくれました。この『赤ひげ診療譚』は、それに加えて医者の仕事に対する姿勢、社会との関係、指導する者と指導される者といった師弟関係のあり方などについて考えさせてくれる作品です。
かならずしも物語のようにはいかないのが現実ではあります。でも、医者に限らず自分が働いている仕事の理想像を持つことは大切だと思います。
“仁術”であるべき医療は技術や話術、算術などの波にさらされています。そういった中で忘れたくないことが、この本には詰まっていました。
医療モノ小説の原点とも言えるこの作品。医療関係者に限らずあらゆる職業について、自分の仕事の役割を考えさせてくれる物語です。
「そんなことは徒労だというだろう、おれ自身、これまでやって来たことを思い返してみると、殆んど徒労に終わっているものが多い」と去定は云った、「世の中は絶えず動いている、農、工、商、学問、すべては休みなく、前へ前へと進んでいる、それについてゆけない者のことなど構ってはいられない、―だが、ついてゆけない者はいるのだし、かれらも人間なのだ、いま富み栄えている者よりも、貧困と無知のために苦しんでいる者たちのほうにこそ、おれは却って人間のもっともらしさを感じ、未来の希望が持てるように思えるのだ」(P227)
“赤ひげ”こと新出去定(にいできょじょう)の言葉です。困窮する人々に医療を提供していった彼の姿勢が、よく表れていると思いました。
心理学者の加藤泰三氏がこんなことを書いていたと思います。お金に困らない生活で、なんでも手に入れることができる生活は、人間の生活ではないと思います、と。
昨今は投資やらなにやらで上手いことすれば、働かなくても一生暮らしていけるお金が手に入ることもあるようです。
でも、それはそれでエサをたっぷり準備されて生かされている動物園の動物と変わらない気もします。
たとえそういう立場であって自分の生活には困らないとしても、では自分は他の人間のために何をすることができるか、と考えるのが人間だと思います。
それぞれの環境や境遇において、それぞれの人生をより良くして生きていこうというのが、他の動物とは異なる人間の生き方ではないでしょうか。
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そして、人間の生活において健康はあらゆる活動の土台となるものです。その健康をまもるのが医者の役割でしょう。
その役割は一般的な医者の仕事とされる診断すること、手術をすること、処方することなどに限らないと思います。
相手の人間を総合的に観て、自分が医者という役割で相手の健康に対して何ができるかを考えることが、医者の仕事です。
アフリカなどの発展途上国に行った医師は何をするでしょうか。医療器材も薬もなければなにもできないと指をくわえているでしょうか。
そんな環境であっても、いかに人々の健康に資するかを考えるのが医者の役割です。例えば、まず井戸を掘ります。これは故中村哲先生もおっしゃっていたと思います。
様々な仕事は専門化され細分化され、自分の日々行っている作業が世の中や人間に対してどのように役立っているのかということも見えにくくなってしまいがちです。
医者に限らずどのような職業でも、自分の知識や技術を使っていかに自分の職業が目指す役割を果たすことができるか。
それがあらゆる仕事に共通する心構えかと思います。