心臓の王国 竹宮ゆゆこ PHP研究所
タイトルからしてギョッとするこの物語。読んでいて後半になると、あるいは最後まで読み切ると「あ、そういうことか」と納得される方もおられるようです。
私は読んでみてまず、最近の高校生はこんな感じで過ごしているのかー、と半ばタメ息まじりで感じ入りました。
この作品に出てくるような主人公の生活が、いわゆる今どきの“アホ男子”とその周囲の楽しい高校生活というものなのかな、と思ったわけです。
思い返せば自分の高校時代は、非典型的な過ごし方をしてまいりましたので、普通の高校生ってこんな感じなのかなーと。
まあ、ずいぶん時代は異なるかもしれませんが。スマホとか無かったしなー・・・。
こういった読書で、自分は経験してこなかった生活を経験するというか、知ることができるのも、読書のメリットですね。
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さて、そんな生活を送る主人公の男子高校生のもとに 「せいしゅん」を求めて流入してきた謎の少年。
彼が入り込んできたことで、主人公やその周囲の人々がかき回され、それまでなりを潜めていた様々な思いが浮上させられ、さらに深められるといった物語です。
そこには、「生きる意味とは」「死とは」といった誰でもいつかは考える、考えなければならないような重~いテーマから、「青春とは」といったテーマまで、色々なことを想い起させてくれる要素が満ちています。
いやはや、読みはじめたら思わず熱中してしまい、翌日は当直明けのように眠くてボケーッとしてしまった一冊でした。
頭の中がフレッシュにかき混ぜられ耕されて、読者にいっときの「青春」を吹き込んでくれる物語ですよ。
俺たちは無意味に生まれて、無意味に出会って、無意味に今この瞬間を一緒に生きてる! たった一度の十七歳とか言って、『せいしゅん』とか言って、笑ったり泣いたり傷ついたり傷つけたり……無意味にただ、ここで生きてる! たったそれだけのことで、でもたったそれだけのことがこんなに大切で……っ! ・・・
(P417)
「青春」ってなんでしょうね。
私は、青春とは他者との関係によってそれまで自分が構築していた考え方や捉え方、生き方がかき混ぜられ耕されるような経験なのではないかと思います。
ちょうど十七歳あたりの年齢は、それまでの義務教育も完了し、自分で今後のことを考える必要が出現したり、これまで付き合いのなかった人間との新たな出会いがあったりする時期です。
また、スポーツの出来栄えや試合、学業、はたまた家族や社会との関係などでも、必ずしもそれまで過ごしてきたようにスンナリといかないことも増えてきます。
そういった、なんともならないこと、上手くいかないこと、あるいは自分を変えなきゃと思うような出来事あるいは人間との出会いが、青春をもたらしてくれるのだと思います。
逆に考えれば青春とは、けして10代や若い時期にのみ経験するものと決まったわけではありません。壮年でも中年でも老年でもいつでも経験することができるのですよ。
ただ、そこで立ちはだかるのはコテコテの“自意識”です。これまでの知識や経験によって培われた自意識が硬いと、そうそうかき混ぜられませんので、青春も訪れません。
ガンコにならず、心は軟らかく、自分や周囲の人のためになるようであれば何でも取り入れよう。そういう気持ちが、いつでも青春をもたらしてくれるのです。
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物語は後半、そして終盤に向けて竹や木材を薄くそいでいくように集約されていく感じがしました。
もちろん小説やドラマなどの物語は、結末に向かって伏線は回収され、まとまっていくものではあります。
それだけではなく、その集約され濃くなる物語の素材に反比例するように読者に解釈や思い、想像で補わせてくれると感じました。
あえてそうすることによって、読者の解釈や思いを上手く物語に乗せられるようにしてくれている気もします。作者はそんなつもりではないかもしれませんけれど、いち読者としての私はそう感じました。
続きはどうなるのかを図らずもズバッと切断して読者に100%まかせたドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』も、読者に楽しみを与えてはくれます。
一方で、この作品のように読者の解釈や思いを自由に発露させながら読ませてくれる作品も、読者の力量を発揮させてくれる良い作品だと思います。
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さて、「生きる意味とは」「死とは」など、「答え」の決まっていないことについては、現実の討論や小説のテーマとして取り入れやすいということがあるでしょう。
こういった、何が良いのか、良くないのか、どういうことなのか、どのようにすればいいのか、つまり“倫理”が定まっていないことが世の中には数多くあります。
だからこそ、小“説”として、こういった話もあるのではないか、捉え方もあるのではないかという“説”を提示することもできます。
また、私たちも人生を進めるうえで、こういった答えのない問いに向き合う必要を経験します。
そういうときに自分はどう答えを考えるか。それは、自分がこれまで経験したことや、そのときの当事者の考え方を頼りにするだけではありません。
こういった小説などでの経験も参考として自分の経験や考え方と併せて「自分なりの答え」を作っていくものではないでしょうか。
「青春」についても、そうかもしれませんね。
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小説を読むことによって、読者は他人の人生を経験することができます。その経験の一部は自分の現実の人生に前向きに、ときには反面教師的に活かすこともできます。
私のように、典型的なアホ男子高校生の生活をうらやむ一方で、自分の非典型的な高校生活の価値を再感することもできます。
死をまとう家族に対する思いをあからさまにぶつけ合った人々を観て自分はどう考えるか、などと問うこともできます。
そうすることによって現実の世にあふれる「答えのない問い」に対して「自分なりの答え」を用意する一助にもできます。
読者から俯瞰的に見て、じゅうぶん青春を謳歌してるじゃん、と感じる作中の人物たち。生きる意味について深く考えた登場人物たち。
彼らの考え方や生き方は、いつか読者の考え方や生き方にも、ちょっとした調味料として味付けしてくれることは間違いありません。