明君に明臣あり。明臣に明君あり。

上杉鷹山 小関悠一郎 岩波新書

“為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり”という短歌。子供のころから何度も祖母に聞かされていました。上杉鷹山の作だそうです。

もう一つ、 “清水の 音羽の滝は 尽きぬとも 失せたる物の 出で来ぬは無し”という歌。こちらは鷹山とは関連ありませんが、失くし物をしたときに効果てきめんです。唱えながら探すと、たいてい見つかります。

この二つの歌を覚えておけば、人生の色々な局面で役立ちそうですね。これからも大切にしたいと思います。

最初に出した短歌に歌われるように、抜群の実行力で困窮に喘ぐ米沢藩を立ち直したとされる上杉鷹山。

その業績はかつての米国大統領JFケネディをはじめ、組織のトップや会社経営者など多くの人びとに讃えられています。

たしかに幼少時からの儒学などの勉強、あるいは実行力や決断力、大局観を活かして一国の経済を立て直したことは確かです。

しかしそこには、明君のもとで大いに働く“明臣”たる家臣たちがあり、また家臣を“明臣”として働かせてくれる明君の相互作用がありました。

この本は、そんな上杉鷹山とその周囲の家臣たちの活躍や苦労が、史実や資料に基づいて生き生きと描かれています。

けして歴史物語・小説というわけではない歴史書ではありますが、ほのかに彼らの物語が香り立つような一冊です。

「風俗教化」(P14)

政治や生活にも道徳を取り入れ、為政者のみならず庶民にも勤勉・倹約・謙譲・孝行といった道徳を自覚させようという考え方ですね。

鷹山は、民衆の衣食住・働き方・家族関係・行動規範・倫理観といった「風俗」を整え、民の心が安らかなうえで国として富む「富国安民」を目指したのでした。

まず行ったのは倹約です。治憲(鷹山)が藩主となった時点から、華美でない服装や一汁一菜といった粗食など自らの行動で示しました。

また、儒学者細井平洲を招聘しての講義を設けたり、藩校「興譲館」を創設したりと、多くの民に教化が届くようにしたのです。

多くの民衆が道徳を意識化することにより、明治以降の日本の発展や「日本人の勤勉性」といった表現につながることになった面もあるようです。

たしかに明治の偉人たちは江戸の時代から四書五経など古典を多く学び、その教養が明治維新やその後の産業・政治経済を発展させる力になったと思います。

第二次世界大戦の辺りにはそういった勉強をしてきた人物は乏しくなってきて、あるいは出る杭は叩かれていたのでしょう。

なんとか復興し、しばらく経済的に潤った時期が続き、もしかしてその間にこういった道徳観念はほころびていったのかもしれません。

そして、いざその経済が崩れてみると低迷する状態から抜け出す力となるような道徳のカケラもなく、またそれを重んじる風潮も無し。

ここは一つ、鷹山のような考え方で、道徳中心の教育、政治、経済、といった社会造りが必要なのではないでしょうか。長い目で見る必要はありますが。

読書ノート(P60)

明君上杉治憲(鷹山)には明臣とも呼ぶことができる家臣がおりました。竹俣当綱(たけのまたまさつな)と莅戸善政(のぞきよしまさ)です。

竹俣は並々ならぬ行動力、実行力を備えていたこともある一方で、様々な書物を読み、その読書ノートを作っていました。

けして四書五経のような儒学の古典ばかりというわけではなく、子供用の本や通俗的な本も多かったようです。

しかし、「読書ノート」をつけていました。読んだ本の内容をしっかりと自分のものにしていたのでしょうね。そして、その知識は教養となり、彼の政治に活かされたのでしょう。

読書人として見習いたい人物だと感じました。このような人物に恵まれていたことも、鷹山の改革を助けたのですね。

『翹楚篇』という書物(P106)

もう一人の明臣が莅戸善政です。彼は二度にわたって鷹山の藩政改革に関わりました。最初は竹俣とともに、二度目は高齢になってからです。

そして彼は『翹楚篇(ぎょうそへん)』という、いわば鷹山の言行録・事績集のような書物を著しました。鷹山が藩主として米沢入りしてからの、様々なエピソードを集めたものです。

この書物は、のちに各地の学者や藩士に出回り、幕府やその学問所でも人口に膾炙するようになりました。

鷹山の、けして政治手腕だけでなく道徳教化を目指した数々のエピソードを集めたこの書物は、のちに時代を変えて日本を支えようとする人々に、大きな示唆を与えたのでしょう。

*****

さて、もちろん莅戸善政も書物は多く読んだのでしょうが、彼は書物を著わしもしました。読書家の竹俣と本を出した莅戸が明臣として明君を助けたのです。

もちろん二人の家臣と上杉鷹山の人間としての能力もあります。それにしても、この二人が藩主とともに貧困にあえぐ米沢藩に希望の光をともしたこと、さらにその光は日本全土に広まったことに、書物つまり本のチカラを感じます。

竹俣は読書を重ねることで教養を深め、一国の政治に役立てることができました。その経過や藩主治憲(鷹山)の言行を、莅戸が本として書き記すことにより、より多くの日本人に道徳教化をもたらすことができたのです。

もしかして道徳教化が底辺をついてしまっている今日このごろの日本。今こそ鷹山や家臣の思いを読み直し、次への一歩とするときなのではないでしょうか。

道徳というものは、算数や国語のようにある程度の教育は可能ですが、教育だけでなんとかなるものではないと思います。家庭や学校、あるいは地域での日常生活から学ぶことも多いものです。

算数や国語、理科、社会といった科目が、なんとなく学校で勉強して実生活に役立つ感があるのに対して、道徳は実生活で実感して、教科書や古典で確かめる、という感があります。道徳はヒトが人間として他人と関わっていくうえで大切なものです。

自分だけでは経験できない他人の経験、あるいはありえない経験から学ぶ場として、小説などの読書は絶好の道徳教化と思います。

私はこの本と同時に藤沢周平の『漆の実のみのる国』上/下を読んでみました。歴史解説的な本と物語的な本を同時に読み進めてみたわけです。

おかげで、上杉鷹山という人物について史実的にも物語的にも理解することができたと思います。

また、最初にお出ししました鷹山の短歌についても、その言葉の背後に連綿と続く苦労や努力が見えてくるような気がしました。

楽観的に考えておそらく人生の折り返し地点あたりをウロウロしている今日この頃。どう生きていくのか。上杉鷹山を読み、思いを強くしたのでした。

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