人生いろいろ、読書もいろいろ

「若者の読書離れ」というウソ 飯田一史 平凡社新書

いち読書人としては、自分の子供はもちろん、より多くの人に本を読んでもらいたいと思っています。

子供の読書推進、習慣づけのためにはどうすればいいか、考えます。一番は自分が読書している姿を見てもらうことかもしれません。

その一方、世の中では“読書離れ”が言われており、書店も減り続けている現状で、読書する人も減っているのだろうと思っていました。

でも、この本を読んで、今の子供や若い人もそんなに読書をしていないわけではない、と感じることができました。

また、人生の考え方や生活スタイルも世代によって変わるように、読書のスタイルも世代によりいろいろであり、そういったバリエーションも、幅広く豊かな読書人生を保つために大切だと思いました。

と言うよりも、全体的に読書する人がもともと少ないんですよ。どうか皆さん、読書してくださいな。

子供や若者とは言わず、人間ぜんたいの読書離れをなんとかしたい、と思いを新たにしてくれる一冊でした。

誰かに本音を吐露し、激情を交わし合いたいという若者のニーズは根強くある。しもかかわらず、ズケズケと相手の内面に踏み込み、本音をぶつけ、感情を互いに昇らせ、分かち合う関係は、虚構のなかにしかほとんど存在しない―現実には「ありえない」ものになっているのである。(P85)

マンガやアニメ、映画やドラマなど、激しい感情の応酬があり、激情が交わし合わされていますね。そこがそういった作品の面白いところであり、それを求めて鑑賞する一面もあります。

日常でも、たとえば家族内や学校、職場でもあんなふうに本音を言い合い、感情をぶつけあって、良い方向に止揚するような、劇的に過ごしたい。そう思うかもしれませんが、日常ではそんなことは少ないですね。

余裕と言いますか、“遊び”がないと機械も人も余裕をもって活動することができません。物理的にもそうでしょうが、感情的にもそうだと思います。

ときには作品に触れて激情や本音、感情の激しいぶつかりありを経験し、自分の感情をストレッチしておくことが、日常での感情表現にもハリを出すことができるのではないでしょうか。

そこでも役立つのが、本です。読書です。言葉から登場人物の感情の動き、ぶつかり合い、あるいは出退を読みとるのは、映像作品よりは難しいかもしれませんが、それだけ感じられたときの印象は強いものと思います。

若者と大人を比較した場合、「フィクション」をあまり読まないが読書はするという大人の多くは、「実用書」を中心に読む印象がある。しかし10代は実用書、ハウトゥ本よりも「実在の人物の物語」からなにがしかを得ようとする傾向が、大人よりも強いように思われる。(P92)

人が外の世界から学ぶことには、何から学ぶかについて順序があるような気がします。

人相手としては、まずは親を見ます。親の声がけや表情、しぐさなどを見て、人間とはこういうコミュニケーションをするのだ、こういう行動をするのだと、小さいながらも子供は知るのではないでしょうか。

次に家族を見ます。親以外の家族。たとえば兄弟であるとか、祖父母であるとか。親とは違った接し方をしてくる人々を見て、コミュニケーションのバリエーションを見ているのではないでしょうか。

親とは異なり、少し条件や交渉を考えることが必要な兄弟であったり、全くもって無償の愛というか、それはしばしば親をも困惑させるような接し方をしてくれる祖父母であったり。

さらに年齢があがると、色々な人間が周囲に見えてきます。幼稚園や保育園、小学校などなど。周囲を見るようになります。

そこでは、親や家族とはまた違った、他人の付き合いが繰り広げられますね。そして他人にはそれぞれにまた、自分と同様の人付き合いがあることを知ります。

以後は、その発展型のようなもので、高等教育や会社、地域などの人付き合いと、そこからの学びが続きます。

さらに人を知る手段が読書です。たとえば小学校あたりで伝記などを読むこともあります。また、新聞などで今も活躍する人々のことを知ることもあります。

そういった伝記、あるいはマンガやアニメの登場人物に感化されて、あこがれたり同じような能力や気概を目指したりすることもあるでしょう。

人間が普通に成長して過ごしていくなかで学ぶ「人」についての知見以上に、学びを進めてくれるのが読書の一面だと思います。

どのような本を好んで読むか、その読書傾向にも色々あると思います。たとえば、まずは物語や伝記などで人間の世の例を読みます。

次に、そういった物語や伝記に記された生き方の、エッセンスを得るような読書もするようになるかもしれません。実用書、ハウトゥ本、自己啓発書といったものです。

そういった本を読んでいくうちに、ある程度共通する人間の性質や生き方のコツのようなものが感じられて、そこでかつて学校で習った古典などを思い出してみると、なんだ本に書かれていたことのエッセンスが古典にまとめられているじゃないか、などと感じることもあるでしょう。

小説など、人の物語はどんな年齢でも相応に面白い作品があります。しかし、上記のような経過で人の生き方やそのエッセンスを知って読む小説もまた、応用編として深く楽しむことができると思います。

むしろ、出版業界や読書推進の従事者が、中学生(とくに男子)に対して、実体・実力以上に「これくらい読めるだろう/読むべきだ」という規範を押しつけてきたのではないか、と反省を迫る本になっていると感じる。軽い中身の、漢字にはすべてルビを振る「総ルビ」で、絵の多い小説に対する中学生の需要は、意外に大きいのではないか。(P128)

日本語は難しいと思います。とくに外国語と比べると。外国語も、日本語人からみると奇想天外な変格など難しい点がありますが、日本語も難しい。

まず、文字が多いですね。ひらがな、カタカナ、そして漢字。とくに漢字は表意文字、表音文字の両方を備え、一字に深い意味を湛(たた)えることもあります。

一つの漢字の読みも難しい。そのうえ多くの読み方を持つものもあります。「生」や「重」など考えただけでも楽しくなります。

そして、これら漢字の読み書きを全て学校で習うわけではないという点も、面白いところです。中学や高校で習った漢字以上のものは、自分で出会い、学ぶしかないのです。

その方法の一つが読書だと思います。漢字以外でも様々な語用や慣用句など、語彙を増やしてくれるのも読書ですね。

ここで述べられているように、漢字を総ルビにすることは、良いことだと思います。読み慣れた人には少しウルサク感じるかもしれませんが、じきに慣れるでしょう。せめて小学校で習う読み方以外くらいは総てルビを付けてもよいのではないでしょうか。

そうすることで本にとっかかり易くなる効果は高いと思います。ルビがあれば、ひらがなさえ読むことができればどんな本も大丈夫ですから。

内容の理解については、相応の知識や経験が必要かもしれません。でも、本への敷居を低くしてくれると思います。

*****

さて、人間ぜんたいの読書離れをなんとかしたい、という気持ちです。人一人で経験できることは限られる。それに比べて人類は何万年もの知識や経験を言葉として、文章として遺してきました。

短い人生、こういった叡智を利用しない方法はないと思います。そのためにはまず、読書です。テレビもネットもいいですが、能動的に集中して知識や経験、そして物語に接して、さらに没入することができるのは本です。

こんな素晴らしいツール。使うことができるようになりましょう。使うことに慣れましょう。

言葉や文章は「情報」です。情報は固定されて変化しないものです。変わるのは、その情報に触れた人です。

同じ情報、つまり本を読んでも、人それぞれの感じ方、学びがあるでしょう。それを持ち寄ったり、書き残したりして他人の感じ方、学びを比べてみたり、知ったりすることで、あらたな展開が得られます。

読書することで人間は人間らしく生きることができると思います。だから多くの人に本を読んでほしい。この本を読んで、幸いにも若い世代がけっして本から遠ざかっているというわけではないことが、感じられました。

さらに多くの人に読書を勧めていきたいと、決意を新たにしたのでした。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。