図書館をとらえなおす

生きるための図書館 竹内悊 岩波新書

未来をつくる図書館 菅谷明子 岩波新書

つながる図書館 猪谷千香 ちくま新書

図書館に訊け! 井上真琴 ちくま新書

読書好きとしてまことに恥ずかしながら、「図書館=本を借りる場所」程度の認識しかしておりませんでした。穴があったら入りたい。

しかも、書店と違って古い本が多く新刊が少ない。借りたら返すまでに読了できるか分からない。学生がたくさん勉強していて入りにくい。そんな印象も持っていました。

実際、私はあまり図書館を利用しないほうです。妻や子供はときどき利用していて、どっさりと本を借りてくることがあります。私もついていくことがありますが、私は借りずにどんな本が並んでいるのか眺める程度です。

やはり、読みたい本は常に手元に置いておきたい気がします。なので進んで書店やネット書店で読みたい本を購入し、読むなり積むなりしています。

最近、いろいろなことを考えていまして、病院にある院内図書室の役割についても考えていました。大きな病院では設置しなければならないと、医療法で決められているようです。

大学病院だと、たいてい同じ敷地内の医学部に図書館があるので、それでもいいのでしょうか。

うちの大学病院には医学部図書館とは別に院内にも○○文庫という図書室のような部屋があります。

いくつかの本棚とテーブルが並べられていて、患者さんが本を読んでいる風景を通りすがりに見たこともありました。私は利用したことはありませんでした。ちょっと覗いてみたい気はしていましたが、なんとなく患者さんのためのものと思われて気が引けました。

そのときは、入院中の患者さんが時間のあるときに読むことができるように設置しているものだと思いました。実際そういう面が大きいと思います。

しかし、院内図書館について調べてみると、病気のことなど医療情報の提供といった意味も持っているようです。

うちの○○文庫がそのような役割を果たしていたかは、よく見ていないので明らかではありません。でも、いち読書人として病院に勤める上では、気になるところでありました。

たとえばもし、自分がその図書室を任せられたらどうするか。などと楽しい妄想も広がりました。どんな本を置こうかなあ。患者さんが診療の合間に楽しむことができるような本、小説なども置きましょう。まあ、しょうがないから医療情報に関わる本も置きますね。

さらに、本を並べて待ち構えるだけでなく、読書会や本の紹介みたいなことをしてもいいのではないでしょうか。

本は積極的に読むものですが、どうしてもキッカケは必要です。そのキッカケを、図らずもうちの病院に来ていただいたのをいいことに、お渡しするのです。

なにしろ読書は、運動、瞑想と並んで人間にとってメリットしかない行動です。心身の健康にも良いです。病気の予防のみならず、療養中の人々にとっても、その経過を良い方向に向けてくれるに違いありません。

・・・などと妄想は拡大中です。

さて、そんな思考経過もありまして、はたして図書館とはどのようなものなのか、自分が抱いているような単なる貸本所ではないだろう、もっと知りたい、と思ったところでこの4冊を読んでみました。

私は何でも知りたいことがあると、まず新書に当たりますね。新書はその分野を広くコンパクトにまとめてくれていることが多く、ザッと知るのに便利です。同時に、その分野についての一つの考え方を深くグサッと与えてくれるものでもあります。

まずは新書を読んでみて、もっと詳しく知りたくなったら、より専門的な本に当たればいいと思います。

この4冊はいずれも図書館の役割と性質について、そして現代に必要とされる姿についてハードからソフトにわたって解説してくれます。

読んでからは、さっそく幸いにも比較的近くにある図書館にちょこちょこ足を運ぶようになりました。

なじみの書店が何度も通うことによって、店内の配置や性質まで自身に浸透したように、その図書館もまず自身に浸透させたい、そのうえで図書館を新たなる自分の一部として生きていきたい、そう思ったのでした。

今、医療関係者は、高齢者が前向きに過ごす場所としての図書館に注目しているといいます。図書館に出かけて、自分の脳の活性化を図るような本を、楽しみながら探し、考えることが認知症の予防になるのではないかといわれているからです。(『生きるための図書館』はじめにi)

この本では、御年90歳を超える著者が、60年以上の図書館に携わった経験から、図書館の役割について語ってくださいます。

この引用について、私もまったくもってその通りだと思います。入院といっても、まあ疾患や症状にもよりますが、本を読む時間があると思います。スマホやPCを見ている方も多いです。

その時間で、本を読んでいただけたらいいのではないかと思います。そのために、高齢者のみならず入院患者さんが前向きに過ごす場所としての図書館には、憧れますね。

図書館や図書室を訪れて、脳を活性化するも良し、ヒマつぶしをするもよし、勉強するもよしです。

認知症にも様々な発症の要因があるようですが、頭への刺激が少ないことも要因の一つではないでしょうか。どうしてもテレビや動画などでは受動的な刺激享受となってしまいます。

本を読むのは大変です。読むという積極的行動と意志を要します。かと言って、何の気なしに読むことができます。そこに必要なのはキッカケですね。

医療関係者としても、入院中の患者さんに積極的に図書室を利用し、読書することを勧めたいです。なんなら、回診のように病室を廻って本を薦め歩いてもいいかもしれません。・・・妄想が過ぎました。

おそらく板書をするという時間を持つことで、一方的に言葉が流れるのではなく、教師と学生とが字を書くという共通の仕事をする。そこに流れる静寂と、文字を書くことによる参加の感覚によって生まれる何かがある、と見ることができました。手を動かすことで、疑問をメモしたり、質問したいことに印をつけたりもします。(『生きるための図書館』P183)

板書って、重要な作業だと思います。

そういえば昔、私が医学生の頃。解剖学の講義では教室に入ると、黒板に精密な絵が描いてありました。シェーマとか模式図ではなくて、あれは「絵」です。

解剖学ですから、人体の構造を勉強するわけですが、様々な臓器がどのように形成されていくのかを示した発生学の絵でした。

我々学生は、教室に入って早々その絵を必死に書き写します。書き写す前に講義が始まってしまい、板書を重ねるために先生も絵を消してしまいます。

きっと時間をかけてていねいに描いたであろうその絵を、惜しげもなく消してしまうのでした。

当時はまだスマホはなく、携帯電話の写真撮影機能も普及していませんでした。今ならきっと学生は真先にスマホで写真に撮るでしょうね。

板書をしっかりしてくださった先生、素晴らしいレジュメやプリントを用意してくださった先生、パワポのスライドでスイスイと講義を進める先生と、色々な講義スタイルがあります。

私もスライドで講義するタイプですが、けっこうペン機能を使ってスライドに書き込みながら話を進めます。マウスで書くのでギコチナイ文字や絵になりますが、学生の反応は良いようです。

やはり、書くことは対象を積極的に見て、積極的に描く/書くので、写真を眺めたりスライドを眺めたりするだけとは積極度が違います。その積極度の違いが、頭への入りやすさ、残りやすさにも関わっていると思います。

話は変わりますが、本に書き込みをすることについては、私は未だに抵抗感があり、傍線を引くこともしていません。せめて付箋を貼るくらいです。

でも、書き込むこと、線を引くことは積極度と覚悟が伴います。その方がより読書も頭に入りやすいのでしょうね。

図書館などで借りた本は論外ですが、ずっと手元に置いておこうという本であれば、書き込みもいいのではないかと思います。

「若い人たちが、本を読んで考えるようになるためには、その本を手渡しする人が必要なのだ」という考えに乏しかったのです。(『生きるための図書館』P186)

これからは図書館として本を揃えて待ち構えているだけではなく、その本を積極的に薦めて、手渡しする人が大切だと思います。

多くの人は、ともすればネット上やテレビの情報を集めて考えてしまいがちです。それも必要なこともありますが、自分の考えについて先人の考えなどを参考にして研ぎ澄ましていくには、やはり既存の本や資料を当たることが必要です。

相手が考えていることについて、それに合うような本を提案し、紹介することができれば。それは司書をはじめとした図書館職員の役割であると同時に、読書を愛する人の役割なのかもしれません。

おそらく「図書館不要論」というのは、図書館という物理的スペースのみが図書館だと考える人の思考のように思える。(『未来をつくる図書館』P215)

こちらの本では、これからの図書館の役割について、米国ニューヨークでの実例と著者の見分、経験を豊富に提示して教えてくれます。多くの図書館がこのようになればなあ、と感じました。

図書館は、図書館という物理的スペースのみならず、その背後には予想もつかない膨大な蔵書であったり、ネットを介したつながりであったりと、本当に人間の頭における“集合的無意識”のようなつながりがあるのです。

また、単に本を貸す場所、調べ物をする場所というだけではなく、様々な役割を果たすことができます。

ビジネス支援や医療情報や多文化の理解をはじめとした健康で文化的、発展的な生活に必要な情報提供を提供する場となっています。

また、市民の憩いの場としての役割も果たすようになってきているようです。

まさに、単なる貸本所ではなく、公民館と同様の、あるいはそれ以上の地域市民の交流の場になっているのです。

公民館は、用事がなければあまり行きませんが、図書館であれば用事がなくてもブラブラしてもまったく問題はありません。より身近な交流の場になり得ますね。

公立図書館ではない、新しい公共図書館。本の貸し借りによって生まれるコミュニケーションが、人と人とをつなぎ、町を作っていく。そして、それは社会の活力へとつながる。この公共図書館の重要な役割は今後、ますます期待されるのではないだろうか。(『つながる図書館』P217)

こちらの本では、図書館が地域社会に果たす役割について、国内の多くの図書館の例を挙げて解説してくださっています。

また、けして大規模な図書館を設置することができなくても、小規模な図書館、図書室をネットワーク的に管理して、市民にとって使いやすい図書館を実現している実例もあり、大変勉強になりました。

たとえば院内図書館としても、やはりその規模は限られますから、「そういう本はどこにある」といったことを情報提供したり、他の図書館と連携したりできればと思いました。

自分が抱えている問題、求めている情報を、インタビューやヒアリングを通じて、薄皮を剝ぐように、徐々に整理し明確な輪郭を与えてくれる。そして、網羅的で体系的な調査に導く方途を与えてくれるのが、レファレンス・サービスなのだ。(『図書館に訊け!』P178)

こちらの本は、長年大学図書館の司書を務めてこられた著者が、司書の目から見た図書館の役割、司書の役割、そしてレファレンス・サービスについて熱く語ってくれます。

「問い」というものは、自分が様々な問題や疑問など“得体のしれない相手”に対峙して、かろうじて作り取った“とっかかり”です。上手い「問い」ができることもあれば、頼りないあやふやな「問い」でしかないこともあります。

そんな「問い」を持ちかけても、持ち前の知識や読書・司書経験から「問い」をさらに研ぎ澄まし、方向性を整えてくれるのがレファレンス・サービスなのです。

なんとなく、図書館に座っていらっしゃるレファレンス・サービスの方のことを考えると。何か自分の「問い」に対して「答え」が書いてある本を教えてくれるのではないか、もしかして「答え」そのものを知っているのではないか、などと考えてしまいます。

そうではなくて、持ち込まれた「問い」を整理し明確な輪郭を与えてくれる、そしてどういうことを調べたらよいか方向づけてくれるのですね。

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図書館のイメージを大きく変えてくれる4冊でした。以前読んだ『お探し物は図書室まで』で司書の役割を知り、その素敵さを感じました。今回の読書でより一層その理解を深めることができました。

本に対する見かた、考え方も少し変わった気がします。はたして私の持っている本は幸せなのか。私の手元にあってすでに読まれた本は、ごくまれに再読されるかもしれませんが、おそらくはずっと本棚に佇むでしょう。

それよりは、どこぞの図書館にでも居を替えて、より多くの人に読まれる機会を得たほうがいいのではないか。

もちろん、手元に置いていつでも読み返したい本もあります。そういう本は手元に置いておけばいい。でも今持っている本の全部が全部そうでもないと思います。

図書館という、様々なエキスパートの活躍により本が最大限に活躍できる場所を知り、その良さを感じ、これからの半生は、より図書館と密接に生きていきたいと思いました。

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