認知症を通して考える

2023年5月13日

マンガ 認知症 ニコ・ニコルソン、佐藤眞一 ちくま新書

認知症というと、歳をとるとなりやすい、避けたい病気といった印象かもしれません。認知症にならないために“脳トレ”などのトレーニングや、様々な生活習慣のアドバイスが言われています。

人間にとってメリットしかない行動と言われる運動、瞑想、読書も同様に認知症予防には効果的でしょう。

加えて食習慣に気を付けることは、身体の健康を保つとともに心の健康を保ち、認知症予防にもつながると思います。

さて、認知症は当事者を取り巻く家族などの関係者にとっても、新たな負担を生じたり生活習慣の変更をもたらしたりすることがあり、問題となっています。

そういえば私の祖母も、それなりに高齢です。まあ診断はされていないかもしれませんが、認知症に該当するのでしょう。

最近、施設入所中の祖母に会ったところ、孫である私のことを自分の息子と思っていたようでした。

まさに最近の記憶から順に失われていき、私についてに比べれば古くからの記憶である、自分の子供についての記憶が残っているためでしょう。

それはそれで、否定・修正することもなく流れに付き合い、短くも楽しい時間を過ごすことができました。

この本は、実体験をもとに漫画家のニコ・ニコルソンさんが、迫真のマンガで認知症当事者とその家族を描いています。

分かりやすい場面の描写やその切り替え、登場人物の表情などマンガの良さをふんだんに発揮されています。

当事者の行動や家族の心情をありありと描かれており、思わず自分もその現場に同席しているように引き込まれます。

さらに、漫画のあとには認知症専門家である佐藤眞一氏が、文章による丁寧な解説を付け加えてくださっています。だから認知症の概要や学問的なことについての知識も深まります。

マンガというものは絵と文章がミックスされており、絵の情報を主に処理するとされる右脳と、言葉の情報を主に処理するとされる左脳がいっぺんに活動する、素晴らしい媒体です。

登場人物の表情や擬音語、効果的な線入れなどから感情の動きや背景の雰囲気も伝わってきます。

さらに詳しい説明を文章や模式図でカッチリ加えることで、知識や理論についても効果的に読者に与えてくれます。

認知症に対する理解が腹落ちして深まるとともに、読者の脳をフル活動させてくれて認知症予防にもなるのではないかと感じる、良い本です。

その気持ちはよくわかるのですが、「何度も同じことばっかり聞いて!」と返すことは、「もうあなたの言っていることは聞かないよ」という拒絶を示していることになる、と考えてみてください。内容ではなく、会話という形式のなかで相手を拒否しているのです。認知症の人にはそういうことはわかるので、どんどん被害意識が強くなってしまいます。(P77)

同じことを繰り返すというのは、つい最近した起こったこと、したことを覚えておく近時記憶力の低下が関わっています。

そんなことが繰り返されると、聞いている側もこのように考え、反応してしまうこともあるでしょう。

そこにはもしかすると、自分の家族がそういう状態になってしまったことに対する寂しさや認めたくない気持ちのようなものも、あるのかもしれません。

怒りは二次的な感情であり、その根底には悲しさやつらさがあります。

また、ここには通常の人間関係に対する示唆も含まれると思います。

会話においては言葉が表す内容のみではなく、会話の形式、つまりここでは「何度も同じことばっかり聞いて!」と怒って返すことが、「もう話したくない」という意志を伝えることになってしまっているということです。

会話ではやりとりされる言葉の意味以外にも、多くのものが意味をもって交わされます。表情や態度、姿勢、ジェスチャーなどです。

そして、直接伝えるではなくとも、こういった言葉がその後の会話の流れに大きく影響してしまうのですね。

認知症の人には、言葉による理論的な理解は難しくても、そういった言葉以外の表現や言葉の雰囲気を感じ取る能力は保たれることが多いのではないでしょうか。だから、こういわれると、被害意識を感じるのでしょう。

感情についての能力は、言語的・理論的思考に比べると残りやすいのではないかと思います。

だから、言葉で理論的に理解してもらおうとするのではなく、感情を込めたちょっとした言葉や、アニマルセラピー、音楽セラピーなどに代表される非言語的な介入が、認知症の人には受け取りやすいのかもしれませんね。

認知症の人の気持ちがわからなくて困ってます

そんなときはこう答えます

認知症の人もあなたたちの気持ちがわからないんですよ

(P226)

これも、一般的な会話にも示唆深いことだと思います。我々も、分かっているという前提で話すから、いろいろな人間関係上の問題も出てくることが多いのではないでしょうか。

もっと、相手は自分のことを分かっていないんだ、自分も相手のことを良く分かっているわけではないんだ、という気持ちくらいで他人と当っていくくらいでもいいのではないでしょうか。

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この本を読んで、認知症の人とのコミュニケーションを考えることにより、一般的なコミュニケーションについても考えさせられました。

医学の勉強の中には、発生学というのがあります。ヒトが受精卵からどのように器官や身体の構造と機能を形成していくのか、その経過を学ぶものです。

たとえば完成品としての建物の構造を学ぶためにはその建物を建設しているところを見ると分かりやすいように、発生学を学ぶと建設中の身体を見ているように分かりやすいという一面もあります。

一方、解体中の建物を見ても、その構造がどうだったかを知ることができます。

機能的な面についても、建設中の建物のごとく子供の機能発達を学ぶことで、人間の機能を学ぶこともできます。

そして、認知症の人の症状を見ることにより、それを学ぶこともできると思います。

ただ、子供の場合と違って、そこには必ずその人なりの人生の遍歴や生き方が残されていると思います。

生物学的にしかたない、失われゆく機能を思いつつ、残された機能でどのように付き合っていくか。たとえば言葉による理論的なやり取りではなく、感情や非言語のコミュニケーションをとるなどをしていく。

そして、一般的な能力は失われても残る、その人なりの考え方、性格、歴史をしっかりと感じて拾いながら、認知症の人と向き合うことができれば、と思いました。

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