書物と共に生きる

2023年4月8日

ヘッセの読書術 ヘルマン・ヘッセ 草思社文庫

「クジャクヤママユ」の一件についての物語(『少年の日の思い出』)は皆さんにもご存知の方が多いでしょう。それなりの年齢のときに教科書で出会ったこの物語は、当時の自分の心に深く刺さりました。

『車輪の下』『デミアン』『シッダールタ』などの作品で有名なヘルマン・ヘッセ。彼は数万冊の本を読む読書家でもありました。

この本には、そんなヘッセが読書について語った文章が編纂されています。すなわち、偉大な小説家そして読書家の、読書に対する考え方、生き方が書かれています。

訳が素晴らしいのだと思います。非常に読みやすく、ついのめり込んで読み続けてしまいます。

読書を愛する自分としても、「そうそう」「そうだよね」と同意できることがたくさん書いてあり、自分の読書の方向性を確かめるような感じもしました。そうは言っても「さすがヘッセ!」と唸る部分も多々あります。

この本は読書、本、そして言葉についての考え方、生き方を高めてくれます。さらに、書物というモノとしての本とのつきあい方を教えてくれる一冊です。

一冊の本に何らかの点で魅了され、その本の著者を知り、理解しはじめ、その著者と内心のつながりをもった人は、そのときにはじめてその本から本当の影響を受けはじめる。(P50)

本を読むということには三段階あると思っています。まずは文字通りその手にした本を読むこと。次に本を通してその著者を読むこと。そして、本を通して世界を読むことです。

手にした本の文字を追って、まずはその内容を知り、考え、解釈して自分のものとします。これが本を読む大きな目的であり、そのために本を読んでいます。

次の本を通して著者を読むというのは、ここで述べられているように著者がその本を通して何を伝えたかったか、著者の内心には何があるのか、を読みとります。

何を伝えたかったか、というのはよく国語の試験問題にも出て、なかなか難しいものですが、ある程度表面上のものは拾い取ることができます。

それでも、その著者について、普段どのような仕事や活動をしているのか、年齢(なかなか分からないこともありますが)、人間関係などを知ると、その著者の本の内容についても、より深く読み込み、感じることができると思います。

そうすることによって、読者はより著者と身近な関係になります。これはたとえ著者がはるか昔の人物であったり、遠い外国の人物であったりしても可能です。

人はさまざまな出来事から影響を受け、自分を変えていきます。その中で一番影響を受ける相手は人間だと思います。本は、本を通して著者という人間とつながりを持つことにより、時間的空間的障壁を超えて自分に影響を与えてもらえるものなのです。

さらに、本は世界を解釈するツールともなります。世界はつかみどころのないものであり、とっかかりや視点が大切です。

本は世界をその内容によって切り取ったものであり、著者の視座から見た世界の出来事を書いています。

著者の肩に乗り、著者の視座から世界を眺めることができるのです。

千冊の、あるいは百冊の《最良の書》などというものは存在しない。各個人にとって、自分の性格に合って、理解でき、自分にとって価値のある愛読書の独自の選集があるだけである。(P50)

これは、友達をつくるのと同じということです。言われてみるとそうですね。たしかに友だちも、優秀な人物を見繕って集めたわけではありません。試験の点数や履歴書で吟味したわけでもありません。ある程度付き合っていくうちにお互い変化していることもあります。

それに比べると、大学などの入学試験や就職の際の面接試験は、「最良の人物」を見出して揃えようという感じがします。まあ、試験の点数や一回面接しただけの印象でその人のことが分かるとは到底思えませんが、選抜という意味ではしょうがないですね。

よく、「オススメの本を教えてください」と問われますが、ヘッセも言っているように各個人にとって、自分に合った本が必ずあるのです。それを探していくことも、読書の道だと思います。

読書の道をあてもなく進んで行き、気に入った本を振り返ってみると、自然と自分にとって価値のある愛読書の独自の選集ができているのです。たとえそれを人に薦めてみても、相手が気に入るかどうかは分かりません。

でも逆に、その選集を見ることによって、その人がどのような人物なのかということの一面を見ることができるのかもしれません。

そして、書店の意義はここにあると思います。社会に多くの人がいるように、書店に多くの本が並んでいます。ネット書店とは違う出会いがあります。

社会の中での様々な出会いの中で一部の人間が「友だち」として残るように、本とも多くの出会いがあれば自分に合った本が見つかりやすいこともあるでしょう。

社会から友だちが出現するように、書店からも自分の一冊との出会いが生まれると思います。

人間形成が形成される本体なしに、いわば教養の対象となる人間とは関係なく行われるところでは、知識を得ることはできるかもしれないが、知識への愛、知識との生きたつながりは生まれない。愛のない読書、畏敬の念の欠けた知識、心の伴わない教養は、精神に対する最大の罪悪の一つである。(P86)

結局のところ、知識や技術を手に入れて何をしたいのでしょう、我々は。そう、楽しく生きたいんですよね。そのためにも社会や他人とも上手く過ごしていきたい。

だから、知識や技術、いわゆる教養も社会や人間との関係、紐づけをもって学ぶべきです。知識をどのように生き方に活かすことができるのか。

西田幾多郎先生のおっしゃる「善」、森信三先生のおっしゃる「人間心理の洞察」といったものは、ここにつながると思います。

そのため、読書をする姿勢としても自分の生き方や人間関係などとのつながりを意識して、無機的な知識の吸収にならないようにしたいものです。

私は数万冊の本を読みました。そのうちの多くを二、三度、そのうちの数冊は何度も読みました。(P213)

『再読だけが創造的な読書術である』の紹介記事でも書きましたが、やはり再読は良いものであり、良い本は自然と再読されるのだと思います。

ただ、どんな本も再読すればいいというわけではなく、そう思うような本と出会うためにはヘッセでも数万冊を読んでのことのようです。

読書術について速読、濫読、などなど色々ありますが、まずは自分の興味関心に基づいて本を手にしてみることが一歩でしょう。

その一歩から芋づる式にでも読み進めていき、時として濫読気味になり、ときとして積読になったりしながら、自然と友だちのような本と出会うこともあります。

その中から、一生の付き合いになるような再読する本も出てくるのだと思います。

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