なぜ、我々はマネジメントの道を歩むのか(新版) 田坂広志 PHP新書
マネジメントについての本は多く出版されている中でこの本は、“自分と他者が人間として成長していくうえでのマネジメント(という作業)の役割”、について説いてくれていると感じました。
マネジメントといえば、職場における上司の部下に対するいろいろなことが思い浮かびます。
この本では、目指すべきは部下の「成長」であり、そのためには上司も常に「成長」していかなければならないと書かれています。
「成長」は“させる”ものではなく“する”ものでしかない。“成長する”は自動詞なのである、と。
では、部下の成長を望む上司としてはどうすればよいのか。そのためには上司も常に成長していかなければならないのです。
見えない、そして存在しない極限を目指す「後姿」を見せることが、部下の成長を続けさせることができます。
*
この本はまずは、下に対する姿勢を教えてくれると思います。人間は“人の間”で生きていくもの。その“間”にしても、立場としては三方向があると思います。
つまり、上、下、横の関係です。
そういった中で、この本は、下に対する姿勢を強調しながらも、逆の目線で上に対する姿勢を示唆し、さらに同じように努力している横に対する姿勢も示唆してくれると思います。
*
たしかにマネジメントというと、職場における上司と部下の関係が思い起こされます。
しかし、それだけではなく、親が子に対する姿勢、教師が生徒に対する姿勢などにも当てはまるのではないでしょうか。
そういった意味でも、人生に大切な(一見)下の関係の人間との付き合い方を、よく指南してくれる本だと思います。
相手を成長させるには、自分が良い“触媒”である必要があります。ただし、ここでいう“触媒”とは、化学でいうような“自身は変化しない物質”ではありません。
人間関係における良い“触媒”とは、“自身も変化し、成長し続ける人間”なのです。
このように、心の世界は、逆説に充ちています。
世の中の常識では、こう思われている。
自分に自信があるから、傲慢になる。
自分が強いと思うから、感謝しない。
それは、実は、まったく逆なのです。
本当の自信がないから、謙虚になれない。
本当の強さがないから、感謝ができない。
(P87)
みなさんの職場でも、傲慢な態度をとる人はいるでしょう。
能力があり、自身があるからそういった態度をとっているように感じますが、実は違うのです。
世の中を見渡すと、偉人と呼ばれる人たちは、けして傲慢な態度をとらず、謙虚であります。
それは、自身への深い信頼と自信があるからできることでしょう。
周囲を見渡すためには、しっかりした土台が必要です。教養の大海も、まずは自分の専門分野というしっかりした立場があってこそ、その広さ・深さがうかがえます。
人に対して謙虚になれる人、感謝できる人は、自分の立場や能力を分かっていて、そこからさらに成長するには、周囲から吸収するしかないことを分かっています。
そうであれば、あとは謙虚に、感謝の気持ちでいる心掛けが、必要です。
「人間学」が、書物から学ぶことのできないものであるならば、どうすればよいのか。
それが、自身の「体験」からしか学べないものであるならば、どうすればよいのか。
ただ一つの方法しかありません。
人間と「格闘」する。
それが、唯一の方法です。
(P100)
『修身教授録』をはじめとする森信三先生の著書を読んでいると、人間学の要諦に触れ、その知識を得ることができる気がします。
しかし、その森信三先生も「真理は現実の中にあり」とおっしゃられ、実践のうちでしか人間学は身につけることができないことを明言されています。
私もどうしても多くの本を読み、知識を増やそうとしてしまいますが、ときには書を置き街に出かけたり、人と話したり、ときには静かに考えたりすることも必要だと思います。
苦手な人間づきあいや対話も、自分を磨いてくれる一つの「格闘」と考え、徐々に増やしていきたいところですね。
人生において、「成功」は約束されていない。
しかし、人生において、「成長」は約束されている。
(P162)
ある仕事をして、結果として成功や失敗のいずれかに行きつきます。どちらにしても「成長」は得られます。
いや、成功しても失敗しても「成長」が得られるべく「反省」なりするべきです。
*
田坂氏の本をこのブログでご紹介させていただくのは、これで5冊目でしょうか。
それほど、氏には影響を受けていると実感します。
まずは『知性を磨く』で、知識と智恵の違い、「知識から知恵へ」という考えを焼き付けていただきました。
その後も、多くの著書を通して、仕事や能力、生き方や人間関係に関する考察を深めさせていただいたと思っております。
いわゆる“私淑”というやつでして、人生の師の一人と仰がせていただいております。
氏の著書には、ここで引用したような、まさに“心に刺さる”名言、名文が頻出します。
そういった名言、名文をちりばめた作品『自分であり続けるために』も、座右の書となっています。
さて、最後に本書の文体について。
「すべての文章を一行に収める」という、独特の語りのスタイルは、いまから十四年前の私が試みた文章のスタイルであり、当時、「散文詩」のスタイルで本を書きたいと考えていた私にとっての、実験的な試みでした。(P7 新版序文)
他にも氏の著作にはこういった文章の本があります。(ブログ上は横書きになってしまうこと、文間のスペースがうまく表現できないことは、ご海容ください)
著者は上のように述べていますが、私は次のように感じました。
- 大根やニンジンをストンストンと丁寧に切るように読める。
- 文字が多ければ得られるものが多いというわけではない。
- 詩や短歌、俳句、ツイッターなどは、数少ない文字と言葉で遥かなる広がりをもたらす。
- 行間で考えさせてくれる。いま読み過ごしてきた一文について。
文章のキモは、内容や考えを伝えることです。多文を弄しても伝わらなくては駄文です。
小林秀雄のように短文波状攻撃も良いし、この本のような半ば「詩」のような文章も、極めて強力なメッセージ性をもたらしてくれると思います。