ブレインテックと「善」

ブレインテックの衝撃 小林雅一 祥伝社新書

もちろん、華々しいブレインテックに感銘を受ける内容であるが、それと同時に“病気や障害と人間との関係とは“、と改めて考えさせられる本であった。

とくに人間の個性、人となりに関わる脳機能と技術との兼ね合いについて、“これでいいのかな”とも感じた。

つまり、極論ではあるが、“それほどまでして技術で脳機能を補うことがよいのか?“と感じたのである。

上の文で“よい”については「良い」や「善い」があるが、あえて“ひらがな”表記として曖昧にした。もちろん、不運の事故や病気によって機能を失ってしまった人において、その機能が回復することはとても“良い”ことである。

しかし、そうやって失った機能をとっかえひっかえ補うことは、ヒトとしての生物に対してどういう意味を持っているのか、人間にとって「善い」ことなのか? などとも感じる。

まあ、人類は昔から病と闘ってきて、いろいろな病を制圧してきており、それで今程度の暮らしができるようになっているのだから、善いのだろう。

さらに、既知の病は制圧しても昨今の新型コロナ感染症のように新興もあり、将来の生活など予測もできないものであるから(江戸時代の人が現代の生活を、おそらく予測していないだろうように)、絶えず刃を磨いておくことは大切である。

だいいち、医者である自分がこんな悲観的なことを言っていては、“世間様”に叱られそうである。もっと、個人が障害の程度に合わせて個人らしく生きられるように、こういった技術も利用しながらのサポートを考えるべきデスネ。

ただ、なんとなくブレインテックの発達は、人間が不老不死のロボットに置き換わっていくことを感じることは、否めない。

上でも言及したように人間は“個人らしく”生きられるのがよいと思う。手足の機能もアタマの機能も、標準以上のモノを装填しました、なんて人間は、個人的とは言えない。

そこに人間の息吹を吹き込むには、非不老不死を元に発達してきた宗教・哲学などの思想、文学、芸術などの思想が必要であろう。

そういったことも考えさせてくれて、かなり頭の中をグルグルとかき混ぜてくれた一冊だと思う。

脳機能や工学・技術に興味のある方のみならず、宗教や哲学、人間学などに興味のあるかた、携わっておられる方にも、一読の価値がある。

同じくDBS手術を受けて症状が大幅に改善した患者の中には、家族や友達から「貴方は貴方ではなくなってしまった」「昔の貴方が懐かしい」などと言われるケースもあるという。

なぜ、このように皮肉な事態を招いてしまうのか?

それはおそらく、それまでの人間関係が患者の病気を中心に形成され、回っていたからではないか、と考えられている。(P110)

パーキンソン病という手足の動きが徐々にぎこちなくなり、動けなくなってしまう神経難病があり、それに対する治療手段の一つが、DBS(Deep Brain Stimulation)である。飲み薬では効果が不十分となったり問題が生じたりした場合に施行することがある。

これもブレインテックの先駆けと言える技術であり、電極を脳の深部に差し込んで、電流を流し続けることにより、脳機能を調整している。

脳卒中や頭部外傷の前後でも性格や人柄が変化してしまうこともあるが、脳の手術やこういった深部電極による刺激でも変化することがある。もちろん、症状が改善して明るくなることもあるだろう。

しかし、周囲の人からみると、いぜんのおっとりしたほうが良かった、などと言う話もあるかもしれない。病気も患者の個性の一つといえるのかもしれない。

医師としても、ある程度こういった変化が起こる可能性も、説明に加えるべきであろう。

従ってBMIでも、「とにかく今、できる範囲で始めてみよう」というのは何ら後ろ指を指されるような姿勢ではない。それどころか、このように積極的に脳に介入することで、むしろ脳科学のさらなる発達を促す可能性もある―これがBMI関係者の偽らざる本音なのである。(P143)

脳機能は、脳卒中や戦争などで脳の一部が損傷された患者の症状を観察すること、症候学で解明されてきた経過がある。

しかし、それだけでは分からない脳機能もあり、さまざまな神経心理学的検査や脳血流検査、脳波検査など検査で解明されてもきた。

さらには、手術や投薬など治療による症状の変化によっても、脳機能が徐々に解明されてきた。

さらにここでは、BMI(Brain Machine Interface)といった脳と機械をつなぐ装置により脳機能を補助することを介して、逆に脳機能を知ることができるという話である。

よく、人工知能の開発を考えることで、人間の脳機能が分かってくると言われる。コンピュータではこういう機能が、脳ではこういったネットワークでされている、ということが分かるのである。

BMIを、安全性が担保されている限り使用してみることで、新たな脳機能が解明されるということである。症候学や神経心理検査、画像検査では分からなかったことが、こういった技術で分かってくるかもしれない。

さらには脳からの電気信号で自在に操作できるロボット義肢が飛躍的に進化すれば、いずれパラリンピックの記録がオリンピックを上回り、より高みを目指す(健常者の)アスリートが敢えて自らの四肢を切断してロボット義肢を装着する恐れもあるという。(P147)

ここが、私はこの本で、一番ひっかかった。ひっかかったというのは、内容に疑義があるわけではなく、考えさせられたということである。

はたして、失われた能力を補う技術は、人間をどう変えるのか。無い能力を身につける技術になるのではないか。

極端なことを言えば、脚をモーター付き台車に換えれば、早く移動することができる。上肢を翼に換えれば飛べるかもしれない。

さらに、厳しい修行や稽古を重ねて得られる禅の境地や様々な熟練の技術も、脳にうまいこと刺激してアッという間に到達することができるかもしれない。

我々が日々苦労している手術も、脳にうまく刺激したり何か移植したりすれば、修業しなくてもアッという間にうまくなるんじゃないか。

でもそれって、人間の生き方や成長として、“おもしろくない”気がする。

ディープラーニングのような機械学習で使用される教師用データは、予め科学者によって、きちんと準備・整理されている。

・・・これとは対照的に、幼児の額に装着されたビデオカメラが捉えていた映像は、混乱と乱雑さの極みであった。(P193)

意識や心を持たないAIは、与えられたデータを機械的に解析するだけだ。

これに対し、小さな子供たちは飽くことのない好奇心に駆られ、積極的に身の回りの世界に介入して、その謎を解き明かそうとする。

・・・こうした行動へと子供を突き動かすのは、「世界の意外性」であると一部の科学者は見ている。(P194)

小さな子供たちは予定調和の世界ではなく、意外性のある世界から何かを学ぼうとする。少なくとも学びに必要な熱意や積極性はそこで培われる。たとえば大人になってからの偉大な科学的発見や発明につながるような探求心や創造性も、恐らく、こうした子供時代の貴重な経験によって育まれるのではないか。(P198)

AIはビッグデータやディープラーニングといった人間ではとてもできないような勉強法でお勉強しているようだ。

しかしそういったデータや手法は、あらかじめ科学者が準備・整理されたものである。

うちの幼児をみていても、驚くほどの成長を遂げている(たぶん)ものだが、けして教科書やタブレットとにらめっこしているだけではない。

眼は疲れるし、宿題は面倒くさいし、早くレゴで遊びたいし、腹は減るし、母親には叱られる、父親は帰りが遅い・・・。天気は良かったり悪かったり、急に幼稚園や学校が休みになる。様々な意外なことが起きる。

さらに、どこからしいれたのか、ものすごい「好奇心」がある。そして好奇心の源泉は「意外性」だろう。

こうしたらうまくいった、こうしたら怒られた、こうしたら思ってもいないことになった。そこには嬉しい、楽しい、悔しい、悲しい、驚いたなどといった感情が伴う。

どうしてそうなったのだろう、次はどうしてみよう・・・。そこには熱意・情熱や積極性が伴う。

こういったことが、幼児に限らず人間の脳の発達に重要なのだと思う。大人になっても、好奇心を失わないでいたいものである。

それに比べてAIには、驚くことや、悔しい、嬉しいなどといった感情はない。どうするAI。

幸せも不幸も結局は私たちの中にある。幸せを他に求めるよりも、自らの心を治めて足るを知れ―そう哲学や宗教は解く。しかし「心」と「脳」に置き換えた時、そのような諦観的思想はまったく別のものへと生まれ変わる。(P214)

脳と言い換えたとき、そこには実態が見えてくる。あの、やわらかそうな、血管が張り巡らされているカタマリだ。

模型やイラストで見たこともあるし、実物か分からないけれども、それっぽいものを映画などで見たこともあるかもしれない。

そして、ファンクショナルMRIや脳血流計測など、今では脳の機能を可視化する技術が発達している。それらはある意味、「心」を可視化しているのかもしれない。

あるいは顕微鏡レベルや、それさえも超えるミクロの世界も、我々はある意味可視化している。神経細胞はもとより、神経細胞同士のつながり(シナプス)での様々な神経伝達物質によるやり取りを、見てきたかのような絵やアニメーション、CGに描いて説明している。

この「シナプス」と呼ばれる神経細胞のつながりとそこを架け橋する神経伝達物質は、運動や感覚といった脳の代表的な機能はもちろん、記憶・学習、あるいは感情といった複雑な脳機能も担っている。その神経伝達物質などが不調を来すことにより起こる脳疾患も知られている。

そして、画像なり模型なりCGなり、目に見えると何かできそうな気がする。それらをどうにかして変えればよいのではないか。

物質が、血流が足りないなら補えばいいのでは、腫瘍ができたのなら取ればいいのでは、神経細胞が不調なら交換や補充すれば・・・。

「機能」をなんとかすることは難しいかもしれないが、その土台である「構造」をなんとかすることは、物理的、化学的に可能になってきている。構造を治療することにより、機能を治療する。

循環を手術することはできないが、心臓を手術することはできる。心臓をうまく手術で治すことにより、循環が良くなることを目指す。

同様に、「心」という機能を直接手術することはできないが、その土台である脳という物質を手術することはできる。そして、機能の回復を期待する。

*****

たしかにブレインテックは、直接手術や薬物療法、リハビリなど従来の治療法に加えられる、新たな脳機能回復の方法だろう。

しかし、知識・技術の利用には、なにが人間にとって「善い」ことなのか、よくよく考えることが大切である。西田幾多郎も言っている。

富貴、権力、健康、技能、学識もそれ自身において善なるのではない、もし人格的要求に反した時にはかえって悪となる。そこで絶対的善行とは人格の実現其者を目的とした即ち意識統一其者のために働いた行為でなければならぬ。(西田幾多郎 『善の研究』 岩波文庫 P202)

さらに、こういった技術を利用しながらも」“人間“として生きていくためには、「生老病死」「memento mori」「人生二度なし」といった、これまで言い伝えられてきた人間の本質を忘れてはならないと思う。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。