さまざまなスポーツで、「体幹力」が重要と言われています。“体幹力を鍛える”というテーマの記事や書籍も、多く見かけます。
(体幹力については『走ることについて考える時に僕の考えること』の記事もご参照ください)
また、“なんとなくこう思う”というような「直観力」、たとえばサッカーなどで自分を含む味方チームと敵チームの配置全体を把握する「俯瞰力」、あるいはどんなことでも「集中力」が重要と言われます。
これまた、こういった“~力”をテーマとした記事や書籍も、多く見かけます。スポーツや、ビジネス、あるいは人生をより良く生きるうえでの、有用なスキルのように感じます。
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しかし、これらは直接目指そうとする、あるいは身に付けようとする項目ではないと思います。
もちろん、「体幹力」を鍛えるための体幹トレーニングや、「直観力」、「俯瞰力」を鍛えるための考え方などはあるでしょう。
また、「集中力」を高めるための呼吸法、瞑想、音楽など、さまざまなことは言われています。
たしかにそういったトレーニングで、「体幹力」などはつくかもしれませんが、そうやって直接身に付けた“体幹力”は、たとえば一流サッカー選手や将棋棋士、その他人生の達人と呼ばれる人物が有する、それらと同じでしょうか。
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私は、そうではないと思います。
「体幹力」は“体幹力を鍛えるトレーニング”で手に入れたものではなく、基礎的なトレーニング、練習や実戦での経験によって、徐々に身についたものではないでしょうか。
もちろん、「体幹力」というものがあるという考え方や、それを得られる方向に向かうようなコーチング、勉強も必要でしょう。
でもやはり、「体幹力」はそういった「体幹力」を直接的に気にしない練習や実践の結果であって、はじめから目指すべき到達点や、手段ではないと思います。
木の幹にしてもそうでしょう。立派な幹だけあっても根がしっかりしていないと困ります。
幹を支えるしっかりとした根を張ること、栄養を生み出す枝葉を張ることが、幹との相互関係によって(つまり根が張るから幹が育ち、また幹が育つから根が張る)お互い徐々に成長していくのだと思います。
そして時々、果実が実るのだと思います。
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このブログでも度々述べている「謙虚さ、謙虚力」にしても同様だと思います。
「謙虚さ」が大事だからといって、いきなり身に付けられるものではなく、日々の行動で常に気をつけて振る舞うことによって、徐々に身についてくるのもだと思います。
人間はキカイのように急にモードを変更することはできません。
我々も、こういった「徳目」を少しでも身につける方向に向かうように、日々の仕事を行っていきたいものです。