対話とナラティヴ

2021年7月10日

他者と働く 宇田川元一 NEWS PICHS PUBISHING

上司とうまくやっていけない、部下がうまくついてきてくれない。それに対して、上司や部下とのつきあい方のノウハウを盛り込んだ話や本はたくさんあります。

そんな中でこの本は、職場だけでなく、家庭や広く社会における人間関係における、新しい「関係性の考え方」を教えてくれます。

職場に限らず家庭においても、はたまた地域社会やこの世界、私たちは他者とともに生きています。他者、つまり自分以外の人間とうまく付き合うことが大切です。でも他者とうまく付き合うのは難しいものです

そのためには、「道徳」や「人間学」といったことも大切です。一方、職場や家庭で問題に対峙したときに、それをどう対応するかも、職場や家庭をうまく進めるために必要です。

ある問題が発生して、自分一人で対応することもあるでしょう。知識や技術で解決できる問題であれば、調べたり人に聞いたりして解決できるかもしれません。

しかし、世の中はそういった“とける問題”だけではありません。答えの無い問題、“とけない問題”もありますし、職場や家庭でよく遭遇します。

そういった問題に対しては、やはり他者とともに当たっていくのがいいのではないでしょうか。そして、その“他者とともに”問題を解決するための方法の一つが、「対話」です。

著者は経営学者であり、組織における「対話」や「ナラティヴ」と、社内起業家、戦略開発との関係についての研究をなさっています。

私も自分の仕事である医療において、一人一人の患者さんの、これまでの経験や考え方など、それらが醸し出すナラティヴを大切にしようと考えています。

医療におけるナラティヴは、治らない疾患、慢性疾患、あるいは終末期医療といった、いわば“答えのない問題”、“とけない問題”に対応するうえで、糸口を見附けさせてくれます。

この本では、同様に組織や家庭の中で生じるとけない問題に対して、自分や他者のナラティヴを大事にし、それを持ち寄って行う「対話」の重要性を、よく説明してくれていると思います。

これだけ知識や技術があふれている世の中ですから、技術的問題は、多少のリソースがあれば、なんとかできることがほとんどです。つまり、私たちの社会が抱えたままこじらせている問題の多くは、「適応課題」であるということです。

見えない問題、向き合うのが難しい問題、技術で一方的に解決ができない問題である「適応課題」をいかに解くか―それが、本書でお伝えする「対話」です。(P6)

世の中にはとける問題ととけない問題があります。調べればわかること、知識や技術があればなんとかできるものが、とける問題です。

一方、とけない問題とは、一定の答えのない問題でしょう。善悪であったり、未来予測であったり。答えのない問題に対しては、目標としては最適解にたどりつくことでしょうか。

そして最適解に近づくため、少しでも良い方向に進んで行くための方法のひとつが、「対話」なのだと思います。

同じ職場、同じ環境にいるとは言っても、一人ひとりは育ちかたから性格、考え方、いろいろ違っています。

そういった違った人々が、同じテーマについて「対話」することにより、とけない問題の、最適解のようなものに近づいていけるのでしょう。

その他に、とけない問題の最適解に近づく手がかりとしては、昔から偉人が言ってきた「人間心理の洞察」「人を思う心」などがあると思います。

じっくりと相手や相手の周囲を「観察」してみましょう。相手にはどんなプレッシャーがかかっているか、相手にはどんな責任があるか、相手にはどんな仕事上の関心があるか、それはなぜか、など、いくつもの気づきが得られると思います。(P42)

職場での人間関係でうまくいっていないことはありませんか。人間関係の問題は、まさにとけない問題の代表例だと思います。

アドラーは“人の悩みはすべて人間関係の悩みである”と言っています。

職場で、どうしたら後輩や部下にもっとうまく指導できるのだろう、どうしたら上司とうまくやっていけるのだろう。

そういった問題に、少しでも良い方向づけをしてくれるのが「対話」だと思います。

たしかに、様々な本で「対話」の重要性が強調され、その方法論であるとか、技術が述べられています。

それでも、我々は「対話」の本質を分かっていないかもしれません。なんとなく、「一人で考えるよりも数人で意見を持ち寄ったらいい答えに行きつくんじゃない」くらいの印象かもしれません。あるいは、皆が納得できる一つの答えを作り上げよう、という感じかもしれません。

しかし、「対話」とは決して一つの答えにたどりつくために行うものではありません。そして、その「対話」に重要なことは、「対話」をする人同士がまったく違った境遇、歴史、考え方を持っているということです。

違った人々が、とりあえず同じテーマについてとっかかりをつけてみる、とっかかりを提示してみると、自分で当たり前とおもっていたことが他人には新鮮だったりして、思わぬ抜け道が見つかることもあるのです。

まずは、自分のことを考えたり自分の意見を主張しようととがんばったりしないで、相手や相手の周囲を「観察」することです。

自分と相手はどう違うのか、見た目やよく知った経歴のみではなく、考え方や生い立ち、これまでの経験など、よく知り及んでおくことができればと思います。

そういった、一見すると仕事に直結しないようなお話をできるのが、酒を交わしてのノミニケーションのすごくいい点なのではないかと思います。もちろん飲まなくてもそういった話を引き出せる人もいるでしょうけどね。

そして、本書の副題にもありますように、一方では他者のナラティヴは決して”わかりあえない”ものであるという、謙虚な心構えもまた、大切です。

「ナラティヴ(narrative)」とは物語、つまりその語りを生み出す「解釈の枠組み」のことです。物語といっても、いわゆる起承転結のストーリーとは少し違います。

ナラティヴは私たちがビジネスをする上では、「専門性」や「職業倫理」、「組織文化」などに基づいた解釈が典型的かもしれません。(P32)

その、一人ひとりが持つ異なる境遇、歴史、考え方などが醸し出すのがナラティヴというのもだと思います。そういった要素が、その人の問題に対する「解釈の枠組み」を形成します。

そして、一人ひとりが異なるナラティヴを持っているため、それを突き合わせる、そこから生まれる考えを突き合わせる「対話」が成り立つのです。

上肢の考えに同調して皆で同じ方向に進んで行く、問題が立ちはだかったら上司の指示でいっせいに身をひるがえして対応する、それもいいですが、そこには多様性や工夫が生まれません。

個性といってもいいナラティヴを、各々持ち寄り、問題が起こったらそれぞれのナラティヴが生み出す考え方、対応法を突き合わせてみると、問題の最適解につながるだけでなく、他のことにも生かすことができたり、さらなる職場と仕事の発展につながることが発見されたりするのです。

例えば、いつも上司の意見に皆でしたがって過ごしていても、上司の考え、知識、技術以上のことは望めません。

自分はこう思う、考える、こういうことを経験した、こういう経験がある、こうしたらどうか、ああしたらどうかということを、自分のナラティヴを活かして考え、持ち寄ってみることにより、新しい道筋が見えることもあるでしょう。

それでも一度、自分のナラティヴを脇に置いてみることが必要です。そうでないと相手のナラティヴは見えてこないのですから。もちろん自分のナラティブを捨てる必要はありません。大切なものです。あくまでもまずは一度、脇に置いてみるイメージです。(P48)

さてその大切なナラティヴですが、「対話」においてはうまくそれぞれのナラティヴを突き合わせるために大切なことがあります。

それぞれ自分のナラティヴを主軸にし過ぎないことです。相手のナラティヴをよく見ることが、自分と相手の考え方の違いを感じ、自分にない発想を汲み出すために必要です。

そのためには、自分のナラティブからくる考え方、意見を押しとおすのではなく、相手のナラティヴを良くみて、理解しようとする態度が必要です。

この本を通じて、私は対話という言葉の意味を刷新したいと思って書いてきました。より正確に言うならば、対話を「私とあなた」の関係性をつくっていくための実践という、対話の本来の意味に戻したいと思って書きました。(P186)

「対話」というのは、閉塞感ただよう現代の職場や社会、家庭を打開する、一筋の流れ星のように、期待されているスキルだと感じます。

しかし、「対話」について、あまりよく分かっていないのも、事実です。良くある話ですが、「対話」は「会話」「討論」などとは異なります。

答えのない、とけない問題に対して、様々なナラティヴを持つ人々が集まり、ナラティヴから湧き上がるテーマに対する各々の意見、考え方を提示し、その問題の最適解に近づくことが、「対話」だと思います。

決して着地点があるわけではありません。でも、始めるまえよりは、ずっと皆がその問題に対して、なんとかなるんじゃないかという解決感が持てるもの、それが「対話」の効果だと思います。

この本は、そんな「対話」の本質を、うまく教えてくれる本だと思います。

自分が自分の人生の主人公として仕事をしていくためには、自分を形作ってきた経験に目を向けていくことが大事だと思うのです。(P188)

自分のナラティヴはどのようなものなのか、ときどき振り返って考えてみることも必要です。そうすることによって、「対話」の中で自分がどういう役割を果たすことができるのか、ちょっと分かるかもしれません。

自分はこれまでこういう経験をしてきた、こう考えてきた。こういったことは、結構後づけの、それこそ“物語”になることもあるかもしれません。

でも、たとえ“物語”だとしても、いずれも自分を作ってきた大切なナラティヴの元です。自負というまでもいかないかもしれませんが、私は「対話」においてはこういったナラティヴで考えを出すことができるのではないかな、くらいに、自分を知っておくことがよいでしょう。

ときどき、子どものころのアルバムを見返したり、日記や書いたものがあれば読み直してみたり、親や友人に自分のことを聞いたりするのもよいかもしれません。

仕事をするうえで、「主体性」は大切です。主体性は自分が自分の人生の主人公として生きていく、自分の仕事の主人公として仕事をしていくための、足場の鉄骨のようなものだと思います。

その主体性を頑丈にするものが、自分を形作ってきた経験、考え方、境遇、それらが作り出すナラティヴなのです。

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よく引き合いにだされる“VUCAの時代”、答えのない問題がゴロゴロしている足場の不安定な時代を進んでいく今日この頃です。

そのためには、日頃から「対話」の重要性を自覚し、そのために自分と相手の「ナラティヴ」を重視することが、大切なのではないかと、再確認させてくれる本でした。

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