「霧」の中で出会った温もり

天然理科少年 長野まゆみ 角川書店

なぜこの本を読んだのか。当時の私は、今ほど本は読まない、いや、ほとんど読まない人間であった。

そのころ、自分は大学受験の予備校生であり、初めての一人暮らしをしていた。高校時代から“理系“というくくりで生きており、その後も”理系“の道を進む予定を考えていたと思う。

そんな状態もあってか、この「理科」という言葉に惹かれたのかもしれない。あるいは、単行本表紙の、ルリボシカミキリの青、少年の青に惹かれたのかもしれない。

もう20年以上前のことである。当時は、そんな状況だったから先の見えない閉塞感があり、「霧」の中を歩いているようだった、かもしれない。

・・・まあ、たいてい、こういう昔の話は、かなり脚色されている。

さて、そんな「霧」のなかでフト目にしたこの本。購入して読んでみると作中の世界も、「霧」が立ち込めていた。そして、その「霧」の中を覗いていると、知らぬ間に登場人物たちの世界に入っていた。自分も。

父親の都合で転居を繰り返す主人公の少年、岬(みさき)。とある「霧」につつまれた転居先で出逢う同級生の少年たち。

ワールドマップを思い描けないような、「霧」と雑木林に囲まれた転居先の生活空間。木造校舎の中学校があり、濡れ落ち葉の重なる道の先には「幻の湖」があるという。

ところで、本文中での登場につられて、私もスウェン・ヘディンの『さまよえる湖』を読んでみた。こちらはこちらで科学的な描写ととともに、中央アジアのなんともならない雰囲気が感じられて良かった。

主人公と同級生2人の3少年、そして「霧」が混ざり合って、話は進んで行く。じつのところ「霧」は主人公を、父親を軸とした時空で滑らせている。

この本は、一気に読むことをお勧めする。それほど長い話でもなく、短時間で没入して読むことができる。

途中に点在する、博物図鑑のような図と散文詩が、「霧」にまかれそうになる自分を少し正気に戻し、さらに本文に対するスパイスとなりながら、話を進めてくれる。

一気に読み進めて、思い切って著者の用意してくれた「霧」のなかに飛び込み、「霧」のなかで繰り広げられる少年たちの世界を鳥瞰しよう。

岬はその手をそっと握ったが、思いがけない冷たさに躰が慄えた。寒さのせいではなく、浮世離れのした冷たさだった。(P146)

小さな躰からは、冷たさばかりが伝わってくる。(P151)

岬は父の腕に飛びこみ、久しぶりにその温もりにしがみついた。

「体温とか、肌合いって、ことなんだよね、」(P160)

「霧」「湖」「雪」。冷たさばかりが連なる。

しかし、クライマックスには「霧」は晴れ、躰と心に「温もり」が訪れる。

そして「霧」が液化したのか、なぜか溜まる「泪」とともに、読者も現実世界に戻ってくることができるだろう。

その「泪」は、現実世界をちょっと違った目で見せてくれる。

「霧」の中を歩いているような時代に、フト出会った温かい本であった。

(引用のページは単行本によります)

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。