「男らしさ」ってどうなんだ?

2020年11月14日

これからの男の子たちへ 太田啓子 大月書店

大ヒット中のマンガ、『鬼滅の刃』でも、主人公である炭治郎は「長男なんだから」、「男なんだから」といったことを言っています。

たしかに、「長男はきょうだいを助け、引っ張っていかなきゃいけない」とか、「男は家庭の大黒柱でなければいけない」という考え方が、昔からあると思います。

さて一方では、「男の子って育てにくい」とか、「男の子ってどうしてこうバカなんだろう」などという話が聞かれます。うちにも息子がおり、妻も苦労しています。

さらに、男の子の習性、対応法、育て方などについての本もたくさん見られます。本当に、男の子、男性というものには、どんな性質や問題があるのでしょうか。

今回ご紹介する本は、そんなことを考えたことがある方にはとっておきの本です。

「男らしさ」は良い面もあれば、有害な面、つまり「有害な男らしさ」もあります。

弱音を吐かず、社会的な成功と地位を積極的に追求し、危機的状況があっても動じずにたくましく切り抜け、攻撃的で暴力的な態度をとることも含めて、社会の中で「男らしさ」といわれている、という説明ですね。

(P22)

この本は、弁護士である著者が2人の息子さんを育てられる中で関心を持つようになった「男の子の育ち方」について、自身の経験もふまえて書いておられます。

著者は、「有害な男らしさ」に代表される「男の子にかけられる呪い」から自分の息子たちを解放しようとしながら育てています。

そして、男の子にかかるジェンダーバイアス、たとえば「男の子なんだから・・・」といった考え方であるとか、男性が優遇されるような社会システムについての考察を展開します。

伝えたいことは、大きく分けるとふたつです。

ひとつめは、「男らしさ」の呪いから自由に生きてほしいということ。

ふたつめは、「男性であることの特権」に自覚的になって、性差別や性暴力を許さない、と、男性だからこそ声をあげてほしいということです。

(P236)

ところどころに出てくる、著者が息子に語るメッセージが、じーんときます。自分の家でもそんなふうに伝えられればいいなと感じます。

さあ、男性のみなさん、自分にはどのような「呪い」がかかっているのか、この本を読んで早いうちに理解しましょう。

そして、一見なんの問題もなさそうに見えてしまう勘違いの人生を歩まないようにしましょう。

さらに、「どうして男ってこうなの」と思う女性のみなさん、「男の子って育てにくいー」と日々苦労している母親のみなさんにも、ぜひ読んでいただきたい一冊です。

うちの妻も、いつも元気600%くらいの息子たちを相手にして、家を守ってくれています。家に電話なんかをしているときには、BGMとしてエンドレスに聞こえる彼らの騒ぎ声に、ある意味感心します。

私もこの本を読んで、著者のように息子たちにメッセージを伝えられればと思いました。

しかし、男性の視聴者を想定しているアダルトコンテンツで描かれている性行為はいわば「男性向けのファンタジー」なので、女性の心身に対する配慮がないこともあり、そのまま安易に真似すると、女性の心身を傷つける可能性があります。これを男の子たちは早めに知っておいてほしいと思っています。

(P111)

いきなりきわどい話の引用ですが、大事なところです。そういったコンテンツに限らず、ゲームの世界でも、テレビドラマの世界でも同様だと思います。

ファンタジーの話なのだ、作り物の話なのだという理解、心構えが大切です。理想のファンタジーと現実を混同してはいけません。

VR(ヴァーチャルリアリティ)の技術も発展を続け、作り物でもより実体験に近い世界を体験できるようになるのでしょう。

しかし、ファンタジーと現実は違うのです。ファンタジーは演出に演出を凝らして、決められた時間でストーリーをもって、刺激的に視聴者を満足させ、予定調和的に完結します。

ああいう作り物は、その場面だけで終わりですけれど、現実は続きがあるんですよ。現実の続きを考えれば、そんなことできないでしょう。

相手との関係は次の日以降も続くのです。一時だけではなく、大切な関係を続けていきたいなら、相手のことを思いやった行動が必要です。

・・・なんだか、変な方向に来たので、この辺で区切ります。

男の子を育てる上で大事なのは、母親が自分の欲望を口にすること。それはイコール支配ではなくて。支配というのは、自分の欲望がまるで存在しないかのように、口にせずして相手をコントロールすることですよね。それに対して、母親が欲望を口にするというのは、「君は羊羹が食べたいんだね。でもママはケーキが食べたい。どうする?」。この「どうする?」を子供に投げかけて、話し合いの場を提供すること。自分の欲望を正直に語る女性を身近にみることが、最良の学習になるはずです。

(P225)

母親が自分の欲望を口にすることによって、子どもと対等な位置、土俵に登り、そこからディスカッションなり相談なり建設的な話にすすむわけです。これは、母親に限らず、先輩や上司についても言えると思います。

たとえば職場の先輩や上司にしても、彼らがあまり具体的にどう考えているかを述べず、それでも下から何か言うとすぐに怒ったり批判したりするようでは、何も言えなくなってしまいます。

上司も自分が何を望んでいるのか、どうして欲しいのかを具体的に伝え、それを承って、部下はどうしたらいいのかを考えられるような環境が良いのではないでしょうか。

何だか分からない、何を考えているのか分からないけれど、怒られないようにしよう、となってしまうと、職場も委縮しますす、雰囲気も悪くなります。

最近、いくつかの本でも言われていますが、いわゆる「逆ホウレンソウ」であるとか、上司から部下への積極的な質問や問いかけが大切なようです。

ときには多少の燃料、起爆剤としてお酒の力を借りるのもいいでしょう。古来、ノミニケーションはそのような役割の一端を担っていたのかもしれません。

自分の弱さを認めると同時に、助けが必要なときには誰かに助けを求めていいんだということも知っておいてほしいと思います。脳性麻痺の障害をもつ小児科医の熊谷晋一郎さんは、「自立とは、依存先を増やすこと」とおっしゃっています。何かに頼ること、依存することは、むしろ自立した大人として必要なことです。

(P238)

「男だから弱くてはいけない」とか、「長男だからしっかりしなければいけない」といったことがまさに「呪い」であり、男の子が困ってしまう原因です。

そんながんじがらめの考えにとらわれず、融通無碍に生きていければいいと思います。そのポイントが、「自立」ということの考え方です。

「自立」と「依存」は相反するもののように見えます。しかし、自立とはひとまず、「自分の専門分野については任せなさい」というところではないでしょうか。

最近、医者の診療科の話でも同じようなことを感じます。とある病院で上司が「モチはモチ屋」とよくおっしゃっていたことを思い出します。

つまり、こういうことです。自分の専門とする科の内容については、もちろん責任をもって自分の知識や同僚、上司とのディスカッションも加えて立ち向かわなければなりません。

しかしながら、専門外の科のことについては、中途半端な知識を駆使してなんとかしようというのではなく、それを専門とする先生に相談してしまうのです。

最近では臨床研修制度でいろいろな科をまわっていますから、ある程度いろいろな科の知識がついているかもしれません。

そうではあっても、やはりその診療科の最新の知識や知見は、専門とする科の先生が一番詳しいのです。

研修で得た豊富な経験や知識を活かしたい気持ちもわかりますし、それは役に立ちます。しかし、ちょっと専門科に相談してみると、自分の知らなかった対応があったり、意外と心配するほどでもなかったりするものです。

医者としても、まずは自分の専門はよく勉強しておいて、専門外のことにはいつでも他科の先生に相談できるという姿勢があることが、自立した医者と言えるのかもしれません。

医者という職業は、けっこう「有害な男らしさ」の要素が強いのかもしれません。これまで多かった父性的な対応や、『白い巨塔』などのドラマにみられる(悪い面での)医局制度やヒエラルキーなど。

もちろん、修練や勉強により能力向上を目指すことは必要です。でも、過ぎてはいないか、みんなそういうわけではない、ということを理解して、狭い見方に陥らず俯瞰的に見ながらやっていければと思います。

*****

さあ、男性のみなさん、自分と自分の人生をつつんでいる「呪い」を少しは自覚できましたでしょうか。

女性のみなさん。男性はそんなかんじなのです。よろしくお願いします。

母親のみなさんも、もちろん父親のみなさんも、著者のように思いを込めたメッセージで、次世代を作る男の子を、少しでも「呪い」から解放しようじゃありませんか。

自分もがんばります。

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