“愛は寛容であり、愛は親切です。・・・”(『新約聖書 コリント人への手紙Ⅰ』)
(『「後悔」しないためには、「後悔しない」ことである』の記事もご参照ください)
先日使わせていただいた上記の引用文章で「寛容」と「親切」に(もともと同音熟語も多いのですが)誤変換が多かったのです。
コンピュータも「愛」の説明については、悩ましいところがあるのでしょう。
せっかくなので、誤変換例による解釈をしてみました。
・かんよう:涵養、肝要、観葉、慣用、・・・
・しんせつ:新設、新説、新雪、臣節、・・・
愛は「涵養」です:
愛は、人々の間に流れ、うるおし、豊かな文化を育みます。また、個人のレベルでも愛をもった生活はその人の行動や思想をうるおし、豊かな人生を作り上げるでしょう。
愛は「肝要」です:
そうです、大事です。夫婦間のみならず、親子、兄弟、子弟など、さまざまな人間関係をつなぐノリのようなものでしょう。
また、様々な問題の発端となる一方、解決の糸口ともなる、まさに肝(きも)であり要(かなめ)です。
愛は「観葉」です:
見た目を楽しむ観葉植物のように、その(表面上の?)美しさを眺めるだけでも意味はあるかもしれません。
ただし、念入りな水やりや栄養は必要で、手のかかることも多いです。枯れてしまうこともあります。
愛は「慣用」です:
「愛してるよ」などという言葉を慣用して言うか言わないかは、お任せします。「慣用句」のように考えて連発していると、ありがたみが薄れてしまうこともあるでしょう。それでも欧米などでは必要なようです。
愛は「新設」です:
二人の関係が始まった当初は「新設大学」のように、売りもなければ実績もなく、不安定な状態が続くでしょう。
その後、様々な経験を積んで、あんなことやこんなことがあって、この二人ならではというエピソードにあふれた歴史のある「愛」になるのです。
愛は「新説」です:
とつぜん「愛」の宣言をされて、「なにそれ、そんな関係じゃありません」ということもあります。
はたまた、それまでなんとも思っていなかった二人が、ふと「これって『愛』かな」という説に気づくこともあるでしょう。
愛は「新雪」です:
うっすら積もった雪のように、純粋で美しい時もあります。しかし、泥水をかけられ汚れたり、固まったり、根雪になったり、すぐに消えてしまうこともあります。
また、やむにやまれず他人の畑から大根を盗んでしまったおばあさんの足跡を、新雪が消してくれるように、汚点を覆い隠してくれることもありましょう。
愛は「臣節」です:
臣下として守るべき節義です。妻あるいは夫の臣下として、粛々と従うわけです。家庭への貢献など果たすべき義務・役割を行いつつ、男女関係など節義を保つのです。
・・・天罰が当たりそうなので、このくらいにしておきます。