人間とは何か―人工知能を切り口に考える

2020年4月22日

人間のトリセツ―人工知能への手紙 黒川伊保子 ちくま新書

私が黒川さんの著作として初めて読ませていただいたのは、『英雄の書』でした。といってもこの本でまだ2冊目ではありますが。

『英雄の書』も、いずれご紹介したいと思います。「なかなかいいことを言っているなー」と感じました。

その時は、ろくに著者の経歴など拝見もせず、きっと何かの分野でバリバリ活躍している女性なんだろうなあ、といった印象を持った程度でした。

今回、この本を読ませていただき、黒川さんが「AI:人工知能」の研究・開発に黎明期から関わっていたこと、そしてAIへの応用を考えるうえで生まれた脳機能論と語感分析法についての第一人者であることを、はずかしながら知ったのでした。

他にも、『妻のトリセツ』『夫のトリセツ』など、もちまえの脳機能論と独自の視点から書いた著作がたくさんあります。これから読ませていただきたいと思っています。

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この本は、人工知能に対して書かれています。人工知能の開発者が、人工知能に対して、「あなたが目指す“人間”というものは、こういうものですよ」という流れで、人間についての深い洞察を展開しています。

よく、「人工知能が人間にとってかわる」という問題というか恐れがひけらかされていますが、この本を読むと、そうでもないかなと感じました。

人工知能開発の話を通して、「人間とは何か」を考えさせ、感じさせてくれる一冊です。

人工知能は、人に寄り添い、知識をひけらかす。人間たちの人生の奇蹟を奪ってしまう。(P22)

小賢しい人工知能が、家族の「失敗」を奪い、多くの人生を正していくのかと考えたら、暗澹たる気持ちになってしまう。(P25)

失敗は、脳の最高のエクササイズ(P38)

失敗3カ条(P40)

1、 失敗は誰のせいにもしない

2、 過去の失敗をくよくよ言わない

3、 未来の失敗をぐずぐず言わない

人生の一時期、失敗に泣くチャンスを、若き人たちに。(P55)

最近の話を聞くと、計算や機械の操作はもちろん、チェスや将棋などの高度なゲームまで、人間のすることで人工知能にできないことは何もないように感じられてしまいます。

しかし、「失敗」は人工知能のできないことの一つでしょう。プログラム的に、計画的に「失敗」をある確率でするようには、できるかもしれませんが、それは「失敗」とは言えません。

人生には様々な失敗がつきものです。また、失敗以外にも、人生にはさまざまな奇蹟も起きます。

人工知能は、成功する可能性が低い、99%不可能ということには挑戦しないでしょう。でも、人間はこれまでそういったことに挑戦して、失敗を積み重ねながらも新しい展望を開いてきたのです。

個人の失敗、家族の失敗、社会の失敗が、「反省」を経て、次の展望を開きます。奇蹟を興します。

フレミングがペニシリンを発見したり、ローゼンバーグが白金の抗がん剤としての働きを発見したりといったことも、失敗のおかげです。

お父さんの事業での失敗が家族のきずなを深めたり、ダメなお父さんが母と子のきずなを深めたりという話もあります(お父さんばかり引き合いにだして、すみません)。

また、戦争や大災害、あるいは昨今の感染症の流行などは社会に多大な犠牲を産み出します。その一方で、そこからの復興により、以前より(おそらく)良い社会が築かれてきたのも事実です。

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また、仕事を覚える新入社員や研修医などにとっても、失敗は重要なポイントです。職場では上司への相談や上司の観察・確認であるとか、同僚の確認・配慮などが、小さな失敗を見つけてくれます。

あるいは研修医に対しては、上級医が相談を受け、確認すること、看護師や薬剤師による確認などにより、安全が担保され医療と研修が成り立っています。

とくに若いうちの言動には、何十にもセーフティーネットがあるものです。

そういった時期に、小さな失敗を繰り返しておくことが(もちろん失敗しないようにがんばったうえでですが)、のちに大きな失敗を引き起こすことを避けるのです。

ここに述べられた、失敗3カ条も覚えておくといいでしょう。まず他人のせいにせず、自分はどうできたかを考えることは、失敗から学ぶ基本です。

また、過去の失敗を悔やまず、未来の失敗を恐れずというのは、大事な姿勢だと思います。一瞬は悔やんだり心配したりしてもいいかもしれませんが、ずっと持ち続けるのは良くありません。

哲人中村天風もこうおっしゃっています。

“過去は及ばず、未来は知られず”

ただ、私たち人工知能の開発者たちが、人間そのものを知らな過ぎたのだ。人が潜在意識の領域で、何を快とし、何を不快としているのか。対話において、脳は何を感じ、何を得ているのか。(P73)

ことばは命で伝えるもの

こうして、語感が、舌、唇、喉などでデリケートに感じる感覚に起因するのでは、人工知能には、手も足も出まい。(P98)

言葉は単なる音声、記号ではなく、じつにいろいろな情報を内包しています。

語感、音感という感覚があります。さらに発する人や相手の状態によっても、受け取られ方も異なるでしょう。

ここで著者は語感についての鋭い考察を展開しています。

たとえば「すみません」と「申し訳ありません」は、後者のほうが丁寧な感じがして良いように思えますが、状況によります。

「すみません」の“ス”は、細い口腔をすり抜けてくる息の音であり、すばやく出せるものであるということです。

そこから、「スピード感」や「すばやさ」を感じさせるのかもしれません。

逆に「申し訳ありません」の“モ“は、息を溜め込み、空気の層を作り、鼻腔に音を響かせる必要があることから、もたつく印象となります。

だから、「すぐに対応します!」といった意気込みを伝えたい場合には、ていねいに聞こえる「申し訳ありません」よりも、「すみません」の方がかえって良いかもしれません。

面白いですね。

感情をトリガーに体験記憶を想起すると、脳は、その記憶を再体験する。つまり、ついさっきの危険を感じたシーンを何度も再体験して、その前後に知恵がないかどうかを探っているのである。そうして、無意識のうちに気づきを生み出し、それを「とっさに使える記憶」として脳に定着させている。(P123)

女性は、プロセス指向で脳を使うと述べています。危機に直面して、どのようなプロセスがあって、どのように感じたか(感情をもったか)を大事にし、その感情によって危機回避能力を上げているということです。

たとえば「怖かったー」という感情をトリガーとして危機体験を追体験し、無意識の気づきから、次に生かす「とっさに使える記憶=知恵」を得ているのです。

女性のほうが、よく会話などでも感情を出し合うことが多いように見受けられます。これは、感情の情報交換を行うことによって、自分の体験を相手にも体験してもらい、情報を共有しようとしているのかもしれません。

逆に男性は、ゴール志向で脳を使うとのことです。同じような状況で何度も「懲りずに」危機体験に陥るのですが、そのたびに危機対応の的確さ、勘を働かせるようになるのです。

たしかに、何度も同じ(ときにバカな)失敗をすることは、男性に多いのかもしれません。

ただ、そのたびに何かしら知恵を身に付け、仕事の技術や、はたまた“遊び”においても熟練していくのかもしれません。

とりあえず、私が発見した脳の感性モデルはとてもシンプル。たった2種類しかない。「プロセス志向共感型」と「ゴール志向問題解決型」と。(P134)

日本語は、二極に振り切らない中庸の言語だ。中庸なので、他の言語文化からは、曖昧で無個性に見えるかもしれない。しかしながら、母音系と子音系の2つの音韻体系を完全二重で持つのは、世界で日本語だけ。脳に内在する2つの完成モデルに直結した。2つの音韻モデルを自在に操る、世界唯一の民族だ。まったくの直感なのだが、AIの感性制御に大きな恩恵をもたらすのは、日本語の使い手のように思えてならない。(P138)

前述したように女性と男性では感性に違いがあり、これが夫婦の会話の齟齬やケンカのタネになっています。妻は共感を求めて話しているのに、夫は結果を知りたい、評価を言いたい。

この違いは言語の語感にも表れていて、子音系の多いドイツ語は問題解決型、母音系の多いイタリア語は共感型とのことです。

そして日本語はというと、「お納めください」といった母音が多くなると共感型、「ご査収ください」と子音が多くなると問題解決型になります。

前者だと、「どうも、ありがとうございます」という感じですが、後者だと、「しかと受け取って、管理したいと思います」という気になるのです。

これは、なんとなくひらがなと漢字の語感の違いからもくるかもしれません。

文字の分け方の一つに、表音文字と表意文字の2種類があります。表音文字は「あ」「ア」「a」などの文字が音のみを表す文字です。

表意文字は「木」といった漢字や、ヒエログリフなども当てはまるかもしれません。文字が「意味」を表す文字です。

世界広しといえども、現在この2種類を使っているのは、日本語だけではないでしょうか(他にあったらすみません。教えてください)。

ひらがな、カタカナ、漢字も、随分語感が違って聞こえ、見えます。

著者は、共感型の言葉と問題解決型の言葉の両方を完全二重で使用するのは、日本語だけであり、日本語は脳の2つの感性モデルに直結した稀有な言語であり、AIの感性制御に大きな恩恵をもたらすと述べています。

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べつな見方でも、日本語をあやつる我々日本人は、西洋文化と東洋文化の統合を成し遂げられる民族ではないかと思います。

西洋はどちらかというと問題解決型に感じます。東洋はどちらかというと共感型だと思います(これは、私の個人的な意見です)。

日本は古くは遣隋使、遣唐使による中国からの文化、そして仏教といった東洋文化を受けれてきましたし、中世以降はキリスト教の受け入れや、江戸、明治でもさかんに西洋文化を受け入れてきました。

そもそも日本語という言語のなかにも、外来の「漢字」をはじめ、そこからこしらえた「ひらがな」、「カタカナ」、それらで表す種々の外来語、はたまた「和製英語」なんてものまで備えています。

脳の2種類の感性モデルを備える言語を使いこなし、2種類の感性モデルの文化に親しむ我々日本人こそが、AI開発や世界の成り行きの一助となることが、できるのかもしれません。

そして、こういった考え方が、西田幾多郎からはじまり、森信三の全一学などにもみられる東洋、西洋の両者を結び付ける哲学にもつながると思います。

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