戦火のサラエボ100年史 「民族浄化」もう一つの真実 梅原季哉 朝日選書
第一次世界大戦以前は、王朝や帝国は多様な民族を強大な権力でまとめて支配していた。オスマン帝国、ロシア帝国、オーストリア・ハンガリー帝国といった具合である。
第一次世界大戦が終結し、それまで国家を形成していた王朝や帝国が崩壊した。人々は強固な支配勢力が無くなったとき、つぎなる絆として民族による連帯を重視した。いわゆる民族自決である。
そして、民族を基本とした強固な支配制度がさまざまな形で形成された。
ドイツでは、ヒトラーが純血主義を強調してドイツ国民をたばねた。そこでは敵対勢力として、ユダヤ民族が持ち出された。スターリンは共産主義のもとで多くの民族を結束しようとした。多民族国家ソビエト連邦である。
各地で民族を基本とした国家による統治が進む傾向にあった世界で、国を持たないユダヤ人は各地で迫害されながら、パレスチナの地に国家樹立を求めた。
しかし、そこでも聖書時代からの敵対勢力である先住のアラブ人との関係悪化があり、英国の(いまいちな)介入もあり、現在も続く民族紛争に至っている。
今回ご紹介する本は、第一次世界大戦から100年ののち、そういった民族紛争の場となった旧ユーゴスラヴィアの出来事を、新聞社勤務の著者が描き出している。
えてして歴史の勉強は教科書や写真、映像などにより出来事を外面から客観的に見てしまう。この本ではそれを当事者やその家族、子孫の目からみた出来事、つまり主観的な見え方の集合として、歴史をとらえている点がおもしろい。
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歴史と民族や文化、宗教が複雑にからみあうボスニアの歩みを語ることは、専門の歴史学者にとってすら難しい作業だ。この本では、それを「日本人にとっても分かりやすい」ように記述するため、家族史を軸に、個人の視点を盛り込むように心がけてきた。(P268)
だが、序章でも指摘したことだが、「分かりやすさ」を追い求める先には、それゆえに陥りやすい危険が潜んでいるかもしれない。
民族や宗教、文化的にみて自らと異なる存在を、「我々」に敵対する「やつら」とひとくくりにして、敵愾心をあおる。そんな民族主義に基づく言説には、複雑な背景を飛び越して、単純にものごとを判断する「分かりやすさ」があったのではないだろうか。(P269)
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舞台となったサラエボは、ボシュニャク人、セルビア人、クロアチア人といった異なる民族が共存する土地であったが、諸外国の介入や政治家の扇動による民族対立が紛争を起こすこととなった。
そこでは、民族も宗教も異なる人々が有機的に共存していた土地を、「民族」や「宗教」、「敵対勢力」、そして「民族浄化」といった「分かりやすい」言葉が「分けて」しまったのだ。
「分かる」ということは、そこで思考を停止してしまうことかもしれない。水平的にも土地や民族を「分ける」のはもちろん、垂直的にも個人個人の思考を、より深い部分、上位の部分から「分けて」固定し、一件落着としてしまうのではないか。
政治は分かりやすいのはいいが、その「分かりやすさ」はさまざまな複雑なことを省略し、端折ったものではないかに注意が必要である。政治にしても広告宣伝にしても、「分かりやすさ」を打ち出して大衆に働きかける要素がある。
もともと世の中はそんなに分かりやすいものではない。
現在の知識偏重社会では、なんでもネットで検索するなどして、分かりにくいことも「分かりやすく」解説し、納得させてくれることが重要視されている。
「誰がこうしたから、あーなって、こうなった」というのは、歴史の教科書によく書かれている文面だが、かなりその隙間というか行間を削除して作られた無機的な記述であろう。
もちろん、知識としての歴史の流れを覚え、その知識をもとに試験などで評価するには、そういったあいまいさや不正確性のない記述が必要である。
しかし、それだけでは歴史は面白くない、今回紹介した本のように、歴史のなかには主人公のような登場人物以外にも、その周囲で生きてきた人々や世界があるのだ。
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「民族」は吉本隆明のいう「幻想」の要素を多分に含み、強固な支配制度を有する王朝、帝国の崩壊した第一次大戦後の世界では、重要な国家形成の絆だったのだろう。
それは事実であるが、その「民族」という言葉が、分かりやすい道具として、大衆を迎合させ集団行動に導いたのだ。
ヒトラーによるユダヤ人迫害も、ドイツ国民(これも歴史から見て吉本隆明のいう「幻想」の性質をもつ言葉かもしれないが)に対して「分かりやすい」敵対勢力をあてがったのである。
第二次大戦時の日本においても、「大東亜共栄圏構想」であるとか、「鬼畜米英」といった「分かりやすい」言葉が日本国民をたばね、そして悲劇に導いた。
現代においては、「民族」や「宗教」で日本人はあまり動かないかもしれない。しかし、「経済」や「豊かさ」であるとか、「ゆとり」だとか「絆」といった言葉も、ある意味で大衆をまとめ上げる「分かりやすい」言葉なのかもしれない。
もちろん、経済も絆も大事である。
しかし、世の中はそんなに「分かりやすい」ものではないということを心の片隅において、歴史や現代を見ていきたいものである。