芸術とのつきあい方

2020年3月19日

芸術とはなにか 千住博 祥伝社新書

「芸術の見方」というと、そういったノウハウ的な考えで芸術を見たくないだとか、見られたくないと感じることもあります。

しかし、文字や言葉と違って、芸術がポンと目の前にあるとき、それがあなたに何を訴えているのか、あなたはその芸術を見て、聞いて何を感じればいいのか、とまどうこともあるものです。

功利的な目で芸術をみるのもイヤですが、芸術を見る、理解することは以前も書いたように「モヤモヤした得体の知れない相手にとっかかりをつける」ことにつながると思います。

この本は日本画家であり、京都造形芸術大学教授の千住博氏の著書であり、人間にとって芸術とは何であるか、どのように付き合っていったら良いのかなど、ヒントになる内容が満載です。

芸術ってどう見たら、付き合ったらいいのかいまいち分からない人はもちろん、そうではなくある程度芸術についても分かっているかなと思う人にとっても、芸術との付き合い方がより一層深まると思う本です。

この人間という複雑で混沌とした存在が、何とか人や自然との関係を良くしようとして、生み出したものが「芸術」です。つまり、芸術とは、イマジネーションのコミュニケーションに他なりません。(P3)

まず著者はここで、芸術の定義を述べます。イマジネーションのコミュニケーションであると。

普通行われているコミュニケーションは一般的に言葉や文章といった文字を使うことが多いです。たとえば「そこの書類を持ってきてください」だとか「明日の出張は新幹線で行く予定です」などなど。さらには身振り手振りなどや表情といったものも使われます。

そういう手段を使って我々は何を伝えたいかというと、事実や自分が思ったこと、相手に依頼したいことなどでしょう。やはり、文字や文章で表すことができることを伝えるのが、一般的なコミュニケーションです。

では、イマジネーションのコミュニケーションとはなんでしょうか。イマジネーションとは、そういった言葉や文字では伝えることができない、心や頭の奥底から生じるものとのことです。

たしかに、「この気持ちをどう伝えたらいいんだ(言葉にできない)」ことや、「この夕日の美しさは言葉にできない」、「悲しくて何と言ったらいいか分からない」といったことは、日常でもしばしばあるものです。

こういったイマジネーションを伝えるものが、「芸術」ということです。

一般的なコミュニケーションのなかにも、表情や歩き方、息遣いから気持ちや気分などを読み取ることができる場合もあります。こういったものは、ある意味芸術に近いのかもしれません。

大きく洋の東西を分けることになったのは、西洋に発生した一神教の影響です。万物に神々が宿り、不思議に満ちあふれた自然の側に身を置く原始時代の発想法ではなく、ただひとりの神と自分の間にすべての物事が整理され、理解可能なものとして、その間のすべては考えられました。(P71)

日本画と西洋画の違いについて述べた部分で、この話が出てきます。

縄文時代から自然には神秘的な力が宿ると考えられ、その象徴であるウズマキ模様が土器に描かれました。

日本に古くから根付いた宗教である仏教でも、全ての物に仏性があると考え、自然は仏性にあふれていると考える宗派があります。

そのため、日本画は「自然の側に身を置く発想法」として、自然が起こすさまざまな現象に感動し、奇跡と感じる点を描いているのです。

西洋の一神教は、ひいては科学の発展にもつながったと思います。神の作った摂理があり、人間はそれを解き明かすことによって神の意志のもとで発展することができると。

科学の発展はまさに神の摂理を探求することだったのでしょう。

・・・正直な自分の内面を作品に照射し、同じ人間としての自らの心を映し出す鏡として作品に向かい、作者とはいささか境遇や背景は違っていても、同じ人間としての立場で謙虚に対峙することが、現代美術への鑑賞のアプローチです。(P119)

現代美術を理解するためのポイントが述べられています。ポイントと言っても、言われてすぐピンとくるような話ではないかもしれません。

「自分の内面」とは何でしょうか。そのときそのときの気分であったり、気持ちの浮き沈みであったり、考え事があったりという状態なのかもしれません。

そういった、日々変わるような内面もあれば、性格であると、考え方であるとか、あるいは記憶や経験、思い出といった、その人にずっとしみついているものもあると思います。

ふと出会った芸術が、自らの内面を映し出す鏡のように感じることあります。この絵をみると、自分の気分を表しているようだとか、この曲を聴くと、つらいけどがんばったあの日々が思い浮かぶとか。

また、鏡ですから、自分では気づかなかった内面を映し出し、気づかせてくれることもあるかもしれません。

だから、芸術と対峙するときは、その芸術は自分のどんなところに合いそうか、なぜそんな印象をこの芸術から受けるのか、といったところを考えて見るのも良いでしょう。

豊かな発想とは、心の自由度の高さです。これは、突拍子もないことを考えたり言ったりすることとは違います。常に、数多の様々なアイデアを絞り出し、その順列、組み合わせを考え、山のようなサンプルのケースを思いつくかどうか、そして、そのなかからもっとも良いと思えるケースを正しくピックアップできるかどうか。想像力、創造力、冷静な判断力が三拍子揃って、豊かな発想が実るのです。(P140)

心の自由度を幅広く保つことで、広い視野から豊かな発想を生み出すことができます。

では、心の自由度を高めるとはどういうことか。絞り出すようにたくさんのアイデアを生み出し、たとえ豊かな発想ばかりとはいかなくても、様々なサンプルを並べて置くことです。

裾野が広くなければ、安定して頂点を高くすることはできません。

そういった幅広い作品の中から、ときどき想像力、創造力、冷静な判断力が揃った作品、つまりイマジネーションに富んで様々な人々の心に同調する点にあふれており、これまでにない斬新な形、色、あるいはメロディを有し、浮かれて熱中してヒョイと出てきたようなものではない作品が現れるのでしょう。

芸術を生み出す方も同様の苦労はしていると思います。ピカソも代表作の陰に数多の習作があると聞きます。偉大な作品の陰には数多くの表に現れてこない作品群が、裾野として存在しているのでしょう。

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